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遺書No.889 因果応報。


※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.12.16
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因果応報。

【意味】
前世、或いは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。(仏語)
・・・まぁ、昨日のブログにも書いた時間と物語の帰結先とも言える訳だけど。
要するに、良い事をすると良い事が返ってくる、
逆に、悪い事をすれば悪い事が返ってくる、と。
個人的な経験則でいうと、後者だけは納得。
今までの人生ずっとそうだった。




こんばんわ、みーくんです。




因果応報ってやつだけど、
確かに今までの人生を振り返ると、
悪い事をしてしまった後には、
必ずというほど悪い事が起きた。

これは自分自身だけでなく親兄弟も含めて、
我が家系の血統因子的なモノと疑えない程に、
実例に困らず枚挙に暇なく証明されている。

いわゆる天命というか、
俗に言う「~な星の下に生まれた」的な、
ひどく根拠に乏しい占いレベルのこと。

だが、しかし。

誰もがそうだとは思えない。

ツイてる奴はとことんツイてるもんだ。


『人の持つ運の総量は等しい』だなんて説は、
絶対に認めないし、肯定する気にはなれない。

そして、悪い事をすれば自分に悪い事が返ってきたのは確かな事実なんだけど、良い事をしても良い事が返ってきたとは到底思えないのも、また事実。

むしろ俺が世の中の人達に提示したいのは、

『悪い事をすると悪い事が起きる』
のではなく、
『悪い事ばかり起きるから悪い事をする(したくなる心理・精神状態になる』
という側面も大いにあるんじゃねーの?


って話ね。

ツイてない、嫌な思いをするからこそ、
その不公平感から不順な動機が生まれるんじゃねぇかって。

これ、なんかいい訳がましく聞こえたり、
犯罪を擁護するかのよに聞こえるかもだけど、
実は何かとてつもなく大きな真理が隠されている気がしてならない。

世の中から犯罪をなくすとか、
人間が持つ性悪を滅却するなんてのは絵空事。

そんな事を思う自分もいるけれど、
その悪行の数々には必ず動機がある訳で。

でもその動機ってやつは、
行動にいたるまでの当事者の視点だ。

勿論これが間違いだとは思わないし、
司法の観点で言えば、
犯罪を起した当事者の動機ってのはスタート地点でいい。

だけどその動機が生まれる状況ってのは、
いつだって何か間接的な要因が存在する訳で。

本人が望まない、
というか本人の責任に因らない、
発生源が全く本人とは無関係な完全なる、
偶発的な事象に因る不運が起きた時にこそ、
その当人に不公平感とやるせない感情から、
犯罪にいたる動機が生まれるんじゃねぇか?

そんな気がするんだけど。

少なくとも俺の場合は、
破壊の衝動や犯罪的な思考が働く瞬間てのは
必ずといっていいほど、
理不尽だったり不条理な何かによる辛苦を感じた時だ。

そらそんな気持ちになる時くらいあるさ。
勿論その時その時で気持ちの強さに程度の差はあるし、抑えてこその理性というモノが存在する訳だけどそんな事は誰もがきっと分かってる。

【罪を犯す気が知れない】なら分かるが、
【罪を犯す奴の気が知れない】はちょっと違うと思う。

罪を犯してしまう奴の気持ちなら、
分かるだろう?
偽善的な仮面をはいで向き合えば、
本当は分かるだろう?

もしも本気で分からないって人がいるなら、
多分そいつは物凄く恵まれた、
幸運の星の下に生まれた奴なんだと俺は思う。

もちろん犯罪を肯定する事とは意味が違う。
行動に至る経緯に共感するかどうかとは、
全くの別問題だ。

実際に罪を犯してしまえば、
そこには心理と行動の間に線が出来る。

何が言いたいかっていうと、
本当に思うんだ。

もしも不公平感を生まれる機会が減ったなら、
犯罪だって激減するんじゃないかって。

犯罪って単語だと言葉として強すぎるけれど、
これは小さな事も含めての話だ。

悪い事をするから悪い事が起きるっていう
因果応報論だけど、
逆に悪い事が起きなければ
悪い事をしなくなるんじゃねえの?って事だ。

それらの不公平感を生み出す様々な機会が、
現在の社会システムの中にも沢山あるよね。

それがもしも改善されれば、
社会からかなりの悪行が減ると思うんだよね。

まぁ社会システムだけでなく、
本当に自然というか天命的な運不運は絶対にある訳で、
それは誰にもどうしようもないモノだけれど。


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2023.2.7
毎日遺書を書き始めた当時889日目の投稿内容。
遺書と銘打った個人ブログとはいえ、言葉遣いが気になるなぁ…これも若さとするか。



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ナツキのパパ@令和の父親アップデート作戦中!
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。