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[小説]『朔の日 歌う月の鳥』⑥

<第六話 胸のあたりの物語>

 カフェ「朔(ついたち)」は、犬のような形をしたこの地方の前足にある、僕の叔母の満月ねえちゃんの店だ。
 僕が「朔」に泊まりに行く日は、お正月にみんなで決めることになっている。おじいちゃんは黒いスケジュール帳を出して、おばあちゃんは大きなカレンダーを机にどんと広げ、満月ねえちゃんは携帯のスケジュールアプリ、僕は卓上カレンダーを持ってきて自分で書きこんでいく。春休みから始まって、ゴールデンウイーク、夏休みとページをめくっていくうちに、この一年も楽しいことが、すごろくの大きなマスのように待っていると思えて、わくわくしてくる。
 
 僕が小学校に入学する頃、満月ねえちゃんはこの家を出た。幼稚園に通っている間、いつもお母さんの代わりに親子遠足や発表会に来てくれた満月ねえちゃんがいなくなると知って、大泣きしたことは今も覚えている。
 ゴールデンウイークになって、「朔」に初めて遊びに行く時も、僕はちょっとふてくされていた。でもお店に着いてすぐ目が合った水槽の中の猫は、それはそれはすごい猫だった。
 僕の初めての親友は、間違いなく猫のヨルだ。

☆ ☆ ☆

 小学生になって嬉しかったのは、鍵をもらえたことだ。学校から帰って鍵を開けるたびに「えっへん」な気分になる。玄関に入ると、たいていおばあちゃんのミシンの音がしているから、負けないように「ただいま!」と言うと、声が届いた合図のようにミシンの音が止まる。
「カナタ?おかえりー」
 おばあちゃんは服を作ったり直す仕事をしていて、僕が帰ってくるとおばあちゃんの仕事は終わり。お菓子を一緒に食べたあと、僕が宿題を始めると、おばあちゃんは夕飯の支度をしながら、時々ドリルをのぞきに来る。
「いつまでカナタの宿題を見てやれるかなあ。音読ならただ聞いているだけでいいけど」
 僕が一年生の時にそう言っていたおばあちゃんは、確かに最近、算数の教科書を見て「うーん」と言っている。
「でも勝ちたいから頑張るわ」
 高校で物理を教えているおじいちゃんは、僕の勉強をおばあちゃんがいつまで教えることが出来るか、賭けているそうだ。小学校を卒業するまで教えられたらおばあちゃんの勝ち。それまでにおじいちゃんに助けてもらったら、おじいちゃんの勝ち。でもヘルプカードというものが毎年六枚出て、そのカードを使えばおじいちゃんを召喚できる。そんなことを二人で真剣に話し合っている様子はおもしろかった。勝った方は、行きたい場所に旅行に行ける。ただし、みんなで行くこと。
「勝っても、負けても楽しいんじゃない?」
 そう言うと、おばあちゃんは首を横に振った。
「カナタ、私にだってプライドがあるの」
 おじいちゃんは笑っていて、どちらでも良さそうだった。
 
 よく考えたら、質問しなくてもいい僕になればいい。授業をしっかり聞いて、わからなければ先生に聞けばいいんだ。おばあちゃんのプライドを守ることは、僕のプライドだって守ることになる。
 おかげで、おばあちゃんが「ついに分数の世界に入ったかー」とぼやいたものの、四年生の僕は、夏休みの時に読書感想文や自由研究でふたりにそれぞれ質問したけれど、お正月の今、ヘルプカードは五枚残っている。きっと三月までに使い切らないだろう。

☆ ☆ ☆
 
「お前、えこひいきされてるよな」
 テストの答案用紙が返される時に、先生はどうして「今回の最高得点は九十五点で瀬戸カナタさんです」なんて言うんだろう。みんなの前で「瀬戸さんのようにちゃんと授業を聞いていればみなさんも取れるはず」とか、やめてほしい。先生は先生のいない教室を知らない。そんなことより僕は、間違えた五点について考えたい。
「カナタ、よく職員室に行くじゃん」
「テストの問題、その時に実は教えてもらってるんじゃないの」
「絶対、怪しいよな」
 クラスメイトにあれこれ言われるのは初めてじゃない。だからって、慣れるものじゃない。図書室に行こうとすると、来てしまった、正義の味方が。
「あんたたち、やめなさいよ」
 学級委員で、幼稚園からずっと同じクラスの伊藤マハナが、突進してきたので、たちまち”スタメントリオ”と言われる少年野球で活躍している三人は「こわっ」と逃げて行った。
「まったくもう、あの”三十点トリオ”は」
 彼らは一度だけ揃って三十点を取ったことがあり、それで”三十点トリオ”とも言われるようになってしまった。
「今、ひとりスタメンから外されちゃったでしょ、ほらタケシが」
 ああ、だからタケシはなんだかイライラしているのか。
「八つ当たりだよ。野球の憂さは野球で晴らせっての」
 僕の家の前に来てもマハナが怒っているのでさすがに気になって「マハナ、何かあったの」とたずねたら、怒ったような泣きそうな顔で立ち止まった。
「あいつら、ママの仕事をバカにした」
 たちまち大声で泣きだすので、僕は慌ててしまった。予想通り、おばあちゃんが「カナター!!!何、泣かせてるの!!!」と飛び出して来た。ああ・・・

 マハナのお母さん、レアさんはハワイ生まれでフラダンス教室をしている。うちのおばあちゃんに衣装の相談でよく来ていて、僕達は幼稚園の帰りに話が終わるまで遊ぶことが多かった。
「この間、オータムフェスティバルでフラのショーをしたでしょ。あれをクラスの子達が何人か見ていたそうなの。女の子達はステキだったって言ってくれたんだけど、男の子達、特にあのトリオがひどいことを言ってきて」
「ひどいことって」マハナが黙り込む。おばあちゃんを見ると、首を横に振るので僕はそれ以上聞くのをやめた。
「フラは神聖な踊り。どれだけ説明しても伝わらなくて。あいつら、宇宙人だよ」
 僕達も宇宙人だよと言うのはさすがにやめて、僕はフラについて話すマハナにうんうんとうなずく。
 
☆ ☆ ☆
 
 ある日、転校生がやってきて、三十点トリオのターゲットはたちまちその佐々君に向かった。
 質問攻めの三日間が過ぎると、「暗いな、お前。つまんねーの」と話しかけることもなくなって、気にするふうでもない佐々君に僕はホッとした。

「瀬戸君」
図書室に寄らずまっすぐ帰ることにした日、話しかけられて振り向くと、佐々君がいた。
「佐々君、こっちの道なの」
「うん。初めて一緒になったね」
 僕達は自然に並んで、あらためて自己紹介をした。佐々君は話してみると、暗くもなんともなくて、三十点トリオのことを「黙っていたら、離れてくれるかなと思った。暇つぶしにはされたくないから」と言った。そのひとことで、僕はもっと佐々君のことが知りたくなったけど、暇つぶしだと思われないようにするにはどうしたらいいんだろう。
 考えていると「カナター!」とマハナがダッシュでやってきて、「掃除が終わって図書室に行ったら、いないんだもん、もう!!!」と怒り出した。
「あ」
 そうだった、最近天然石に興味を持ったマハナに、僕の持っている鉱物図鑑を貸す約束をしたんだった。
「佐々君も一緒に寄ろうよ。カナタんち、いろんな本があるんだよ」
「そうなんだ。いいのかな」佐々君が本に反応してくれたことが嬉しくて「よかったら、ふたりとも一度ランドセルを置いてから来てよ」と言うと、ふたりは同時に「いいねー」と言って、僕達は笑った。
 
 おじいちゃんの本棚は僕の背の高さで、部屋をぐるりと囲んでいる。昔は壁一面だけで、天井まであったらしいけれど、大地震がいつかこの地方にも来るというニュースに、満月ねえちゃんがおじいちゃんを説き伏せて今の本棚に変えたらしい。おかげでこの部屋の本は小学生の僕でも手が届く。
「すごい。本がいっぱいだ」
 佐々君は、目を輝かせて見渡すと、そっと一冊の本に手を伸ばした。
「考古学?」岩石・鉱物図鑑を抱えたマハナがのぞきこむ。
「うん。前に住んでいた所に博物館があって化石掘りにも行ったんだ」
 佐々君は遺跡に興味があること、大好きな博物館から遠くなるから転校は嫌だったことを話してくれた。
「だから早くひとりでいろんな遺跡に行けるようになりたいんだ」
「大人になりたいってこと?」マハナが聞く。
「そう。好きな勉強だけをたくさんしたい」
「わかる!」
 今度はマハナと僕の声が重なってまた僕達は笑いあった。
 
☆ ☆ ☆

 意気投合したタイガとマハナと僕は「図鑑クラブ」と名付けて、週に一度僕の家に集まるようになった。ある時、名前の由来を調べる宿題が出て、その話になった。大きな河、と書くタイガの名前は、お父さんがつけたらしい。
「阪神タイガースファンなんだ。本当は虎之介にしたかったらしいよ。でもお母さんは巨人ファンだから反対したんだって。二人とも試合の時は大変だよ」そう言うタイガは野球よりサッカーが好きだ。体育の授業でサッカーをする時、タイガはめちゃくちゃカッコいい。
「マハナはね、ハワイ語であたたかいっていう意味なの。ママはレア。幸せという意味よ」
「どっちもいい名前だね」タイガが言うと、マハナは照れてくちびるをきゅっと噛んだ。
「僕の名前は」僕はタイガが開いている本を見ながら「遺跡が大好きなお父さんがつけたって聞いてる」と言った。
「えっ、カナタのお父さんも遺跡が好きなの?この本、お父さんの本?」
「うん」
 僕はマハナが知っていて、タイガがまだ知らないことを伝えるべきだと思った。
「お父さんはおじいちゃんと同じ高校で地理の先生をしていたんだって。それである日、この家に遊びに来てお母さんと出会ったんだ」
「うわー、じゃあ、おじいちゃんがキューピッド?」
「うん。それで僕が生まれて三人でここに引っ越して来たから、お父さんの本が混ざっているの。僕が二歳の時に事故に遭っていなくなっちゃったんだけどね」
 いつもの口調で話したつもりだったけど、タイガは僕を見つめたまま、動かなくなってしまった。でもクラスの誰かから聞く前に、自分の言葉でタイガに言ってしまいたかった。
 お母さんも死んでしまったこと、僕だけが助かったこと、僕はなんにも覚えていないこと。でも親戚の人達が法事で話しているのを聞いてしまって、想像で記憶が作られて、時々夢に見てしまうこと。そして、本当に思い出したら僕はどうなっちゃうんだろうと思っていることも。

 マハナは背中を向けて、色の図鑑を眺めている。ページはずっと、青の和名のままだ。雲に遮られていた夕陽が窓から差してきて、タイガが逆光線にふちどられた影絵みたいになった。静かな時間が過ぎてゆく。
「もし、思い出す日が来たら」一度うつむいたタイガが、まっすぐ僕を向いて言う。
「すぐ教えて。会いに行くから」
 マハナがページを指で押さえたまま、背中でうなずく。
「この本、大切に読むね」タイガはビニール袋に入れてからショルダーバッグにしまった。
 
 僕は無性に猫のヨルに会いたくなった。
 
<第六話 完>

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