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noteで記事を書き始めて2週間。ルーティーンワークの重要性

12月16日に初回の投稿をしていたので、noteで記事を書き始めてから約2週間になる。
元々、アカウントは持っており更新は止まっていた状況から、リスタートした形である。

noteのマガジンで収益を得るとか、何かの集客のために書いているわけではなく、文章を書く力を養うことと、思考の整理を今のところは主目的にしているため、あまり時間を掛けずにスキマ時間にスマホで書くことをルールとしている。

なので、基本的には移動の電車の中で書く形だ。当然、この記事も自宅から事務所に向かう電車の中で書き始め、帰りの電車で仕上げる形になる。電車待ちの時間も含めると往復で45〜50分掛けて書いていることになる。毎日その時間を掛けて書いていると思うと結構な時間になるが、負担感としてはそんなに感じない良い塩梅の負荷だと思う。

そういう形での投稿であるため、記事に装飾をしたり目次を付けたりということはせず、基本的には文字とアイキャッチ画像のみとしている。アイキャッチ画像に関しても、noteを通してクリエイターの方が提供している画像を載せさせて頂いているだけのため、時間はかかっていない。(画像やイラストを提供しているクリエイターさんには感謝である)


2週間毎日記事を書くということを始めたことで自分に起きた影響がいくつかある。
1つは、入ってくる情報にアンテナを張るようになったことだ。毎日1記事書くというと、何かしら書くためのネタを用意する必要がある。ぼーっとしていては気が付かないことや、インプットしていても流れてしまっていた情報を自然に一段深く理解しようとしていることに気が付いた。

アウトプットすることがインプットの質を良くするということだろう。

もう1つは、少しの充実感が得られること。何かを積み上げていくということで、着実の前に進んでいるような錯覚を感じるのかもしれない。自分の成長というのは、日々の生活の中では目に見えて感じられる機会は少ないが、1記事1記事と積み重なっていく中で、今日も少し前に進んだ感覚が得られてくる。

ビジネスにしても人生にしてもマラソンのように長丁場である。瞬間的に短距離走のように思いっきり走ることも必要な時期もあるが、基本的にはいかに走り切るのかが重要である。その観点から、少しの充実感を得られる簡単なタスクをルーティーンワークとして持つのは良いのかもしれない。

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