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ゆなさん《前編》

こんばんは!なつきです✨

以前からTwitterで親しくしていただいているゆなさんとお会いし、お話を聞かせてもらいました。

自然体で、声も高く、かわいい女性やん!という第一印象でした。女性装で生活されており、ご家族もおられ、会社員として高い成果も上げられています。
そんなゆなさんの魅力や、これまで性自認に悩み、苦労されたことを聞いていきます。

前、中、後編に分け、お届けします。
前編では、生い立ちからどのように性の違和感を感じてきたかを伺いました。


それではいきましょう!


いつくらいから性に関して違和感がありましたか?

ゆなさん 小学生になったとき、男女で明確に分けられたことにすごく違和感を感じたかな。
幼稚園の頃は、割と女の子みたいな扱いだったんだよね。小さい頃から髪の毛も伸ばしてたと思う。歳の近い姉がいるんだけど、家には姉のおもちゃがあって、男女どちらの遊びもできる状況だった。
小学生になると、男女が明確にバンって分けられた感があった。服装とかも区別されて、すごく違和感を感じた。女の子と遊ぶことが多かったんだけど、なんか男の子と遊びなさいみたいな風潮を感じて、なんでなんだろうみたいに思ってた。

~私も小学生くらいに違和感というか、漠然と女の子っていいなぁって思っていました。

ゆなさん うちの姉は、私と逆で活発で男勝りだったのね。私はどちらかというと大人しくて。親は姉に女の子らしくしなさい!みたいに言って、よくぶつかってた。それをずっと見てた訳だから、違和感とかは言い出せないよね。反面教師みたいにして、理解されるわけないって思ってた。
ラッキーだったのは、同い歳くらいの姉の服が家にあって、姉が着ない服を私が着ることが多かった。親も私たちに「性別が逆に生まれてきたんじゃない?」って言ったこともあったね。

小学校の高学年とかになると、「好きな子誰?」のような会話が増えた。人を好きになる感覚がよくわからなかった。仲良しで一緒にいて楽しい気持ちはあったけど、少しずつ「私なんかおかしいのかな?」って思ってた。
男女で当然のように分けられる意味がわかんないし、私は女の子との価値観がすごく合うというか、女の子といる方がすごく自然な感覚だった。ずっとそんな感じだったかな。

中学校になると、高い声も出なくなってきて、身体の変化に気持ち悪さを感じた。それまでは女の子のパートで歌っていたのにできなくなった。ものすごい違和感で、気持ちもすごく辛い状態だったのね。なんとなく女の人として生きていたいけど、当時は情報もないし、この感情は一時的なものかもしれないし。
恋愛観が周りと違うことも違和感だった。好きな子を聞かれて、人間的に好きって言っても違うとらえ方をされる。周りが思うように、当たり前のように異性を好きになれなかったし、誰にも相談なんてできない。ちゃんと女の人が好きになれたら普通になれるのかなって思ってた。

高校ではじめて女性に恋をした。「やっぱり自分は正常なのか!これからは普通に生きれるのかな?」、希望を持てた。でも今考えると恋愛感情というよりは、人として好きだっただけのかもしれない。

大学になると、パソコンも与えられて、いろんな情報も入ってくるのね。当時、テレビも少しずつ性同一性障害を取り上げるようになってきたころだった。調べれば調べるほど当てはまることが多かった。
一人暮らしをしていたんだけど、たまたま近くに専門医がいたから、何回か通院して性同一性障害の診断をもらった。でも治療始めるにしても、19歳の頃だから親の同意がいるのね。だから必然的にカミングアウトせざるを得なかったの。

~Twitterに書かれていましたね。ご両親に女性として生きるならプランを示せって言われたって。

ゆなさん 今の社会では、普通に女性として働くことは難しいんだろうなとは思ってた。だから「男として就職して、会社にとって重要な人材になれたらカングアウトしたい」って言った。やっぱり反対されたね。そんなことできるわけないって。今、そうなれたんだけどね。

~有言実行で格好いいです!

〜お話を聞いて、性自認は女性、性対象は男性になるんですかね。

ゆなさん そうだと思う。
なつきさんはLGBTQの人たちにポジティブになってほしいみたいな思いがあるんだよね?でも正直言うと、普通になれるならなりたいって思うよ。消去法でどちらかになれるなら合わせたい。

~みんなそうだと思います。自分がマイノリティなのはもう仕方ないから、割り切ってそれぞれの環境の中で妥協点を探っているのかと。

前編はここまでです。明後日予定の中編では、ゆなさんのお仕事や、どうやって成果を上げてきたのか等、聞いていきます。ぜひお読みください。

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