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19年間、あっという間。

誰とでもすぐ仲良くなれていいよね〜
なつきの社交性ほしい
友達多くて羨ましい

自慢をするわけではないが昔からこんなことをよく言われる。
いやいやそんなことないよ!!!
いつもそうやって返すが正直心の中では思うことがある。

もっと素の自分をみせればいいのに、と。

あまり人との関わりが好きではないならその必要はないと思う。
でももっとたくさんの人と話したいなら、その人のことをもっと知りたいと思うなら、まずは自分が動かないと。

でも最近思ったんだよね〜
あれ、TABIPPOの人にまだ全然自分を見せてないやって。
もちろん私の日常全てを知っているような仲のいいメンバーもいるのはいる。

でもそれ以外の人に、まだ全然関われていない人たちに
もっと自分を知ってもらいたい
もっと仲良くなりたい
そう思ってふとnoteを書いてみようと思った。
とんでもなく長くなっちゃたのはご了承。


2003.08.19生誕


3歳。この時から食べることが大好き。


香川県の田舎町に三姉妹の長女として生誕。

いとこのお兄ちゃん3人から甘やかされて、
おにごっこやりたい!!というけれど、捕まれば号泣。(逃げたいだけ)
お兄ちゃんのラジコンのアンテナを笑顔で真っ二つに。
プリキュアやお姫様にはまるで興味がなく、最初に覚えたカードゲームは遊戯王。
そんな幼少期をすごした。

年長さんくらいになると習い事にも通い始める。
成り行きで始めたものもあれば、やりたい!!と両親にお願いしてはじめたものもあるが、カンフー、くもん、お料理教室、スポーツクラブ、エアロビックス、フラダンス、、、
今思えばこの頃からなかなか多忙な生活してたな〜〜

くもんには結局10年くらい通ったのかな?
当時の先生が大好きだったというのも大きいけれど、どんどん新しいことを覚えたり、いろんな本を読むのが本当に楽しくて、小学校中学年頃には古文・漢文をよんだり、数学も高校生でやる三平方の定理などをマスターできるくらいにはなっていた。


でも、この中で一番長く続いたのはカンフー。
父の友人が先生をやっていた関係で、物心ついたときには武器をふりまわしてた。(苦笑
ただ初対面のひとに初めてこの話をするとたいてい驚かれる。

カンフーやってたの、、???
ジャッキー・チェンのやつ!?

小さい頃はそれでいじられるのがコンプレックスで、仲のいい友達以外にはずっと隠していたが、幼稚園から受験勉強が忙しくなる高校2年生まで、なんだかんだずっと通っていた。

だけど間違いなくいえるのは
カンフーを習ったおかげで今の自分がいる
ということ。

私の人格作りに大きく影響しているのも
19年間の人生のなかでターニングポイントとなったのも
すべてカンフーの話なしには語れない。

でも1から話すととーっても時間がかかりそうだから
またの機会に。


中学2年生。世界大会に出場するため本場中国へ。たしかこれは4回目の訪中。



中学生   ー恩師との出会いー


中学校は家から一番ちかい学校へ。
メンバーはほとんど小学校と一緒で、1学年80人ほどの小さな学校。
雨が降ったら雨漏りしてるし、プールは壊れて使えないし、ここだけの話地震が来たらこの学校は潰れます^^と先生から言われるくらいぼろぼろ。

おまけに駐輪場ではタバコをすっている友達がいたり、◯◯ちゃん妊娠して学校やめるらしいよ???そんな噂が日常的に飛び交うくらいに治安は悪目だった。

でもわたしが今でも一番仲良くしているのは、
小学校、中学校で出会ったこの頃の友達だ。

放課後は近くの海にいったり、マックで何時間もたまって話したり、二人乗りしていろんなところに行ったり、小さな神社の花火を好きな人と一緒にみたり。

チェーン店や大型ショッピングモール
今暮らしている東京にくらべたらなんにもない場所だけど
この時間が、
みんなとすごす毎日が、
本当にだいすきだった。


部活動はバスケ部へ入部。

こんな撮り方流行っていたけど、今見るとちょっと恥ずかしい。


とんでもなく球技が下手なのに、ノリと勢いで入った。
その上、少人数のため1年のはじめからスタートメンバーに選ばれる。
ハードな練習に自分の体がついていけず、何度も怪我をしたり、3年間ほぼ病院漬けの毎日でメンタルはボロボロ。
戦力になれていない悔しさや練習の辛さで、やめたいと号泣しながらひとりで自転車を押しながら帰る日もよくあった。

でも当時のわたしはちょっと変わった性格をしていた。

今途中で辞めたら顧問の先生や先輩に見下される
絶対辞めるもんか!!!!

いいのか悪いのか、
こう思えたおかげで3年間辞めずにがむしゃらに練習した。

上下関係や先生への礼儀を覚え、信頼できるチームメイトもできた。
シャトルランなんか1年生の時は50回でヘトヘトだったのに、100回を余裕で超すくらい体力や筋力もついた。
この時バスケ部に入ってよかったなあと、今は心底思う。


そしてもうひとつ。
当時の顧問の先生には感謝してもしきれないくらいお世話になった。

まだ24歳の若い男の先生。担当は社会科、スポーツマン。
機嫌が悪くなるととんでもなく怖い。
でも誰より生徒のことが大好きで、とにかく熱い先生。

部活の話も、将来の話も、わたしのほぼ現実的じゃないどんな馬鹿げた話でも、いつも真剣に、面白そうに聞いてくれた。

また私が海外に強く興味を持つようになったのも
この先生の影響だ。

旅が好きで、自ら世界中を飛び回っているひとだった。

社会の授業のときには教科書の写真だけでなく、
自分が旅した場所、食べたもの、言葉にならないくらい美しい景色。
目を輝かせて楽しそうにその話をする姿は、
私の人一倍つよい好奇心をいつも掻き立てた。


「一度は日本を出てみなさい。
 いろんな景色を、自分の目で見ておいで。」


先生が何気なく言ったその言葉に背中をおされて、
今ではいろんな国に足を踏み入れている。

この先生との出会いがなかったら、
未知の”世界”を見ることがなかったら、
まったく違う人生を送っていただろうなあ。


高校生 ー挑戦と絶望ー

中学校ではほどほどに勉強できたため、進学先にはあまり困らなかった。

地元から離れてもっと新しい世界や人と関わりたい!!
海外や英語にもっと触れたい!!
新しいこといっぱいやりたい!!!

今も変わらず好奇心いっぱいで自由な当時のわたしは
もともと家から自転車で10分ほどの地元の高校に行く予定〜^^と周囲に言っていたものの、
英語実務科という名の普通科ではなく自宅から片道1時間半かかる中心部の高校に行きたい!!!と出願前になって突然両親や担任の先生に宣言。

そして海外に興味を持ち、英語のスピーチコンテストや英検を受けていたり、カンフーをやっていて実は世界大会にも出ました?海外でたくさんお友達ができました?という一見意味不明な経歴をペラペラ喋り、なんと自己推薦で7倍の倍率のなか合格。


少しここで笑い話。
例年でも稀に見るような倍率だったので、合格発表の日は落ちているものと全く期待していなかった。
そのため受験票も持ってきておらず、一緒に来てくれた父には「寒いから早く帰ろう〜」と言いながら帰る気満々だった。
「まあ一応お父さんだけでも見てこようかな〜」そういって掲示板を見に行った父が10秒後、「え!!!!!これそうじゃない!!??そもそも番号何番よ!!!」と興奮気味で走ってきた。たまたま写真にとっていた受験票を確認するとなんと私の番号。
せっかく受かったのに取り消しになるところだった。ほんとに危なかった汗汗



そんな波乱もありながら無事入学。
陸上部にも入り、朝は7:00の電車、夜は家族みんなが寝ている頃に帰宅、そんな生活がはじまった。

そもそも知っている友達なんてひとりもおらず、この過酷な生活スタイルを乗り越えられたのも、高校2年生のときに設けられているアメリカへの1か月ホームステイを楽しみにしていたからだった。

学校付近の観光地にくる海外の人に英語でガイドをしたり、ホームステイ先のユタ州について調べたり、自分たちの情報をまとめた資料をホストファミリーに送ったり、
毎日ワクワクでいっぱいだった。

そんな中、1年生の冬休みに衝撃のニュースが飛び込んできた。

新型コロナウイルスの蔓延。
海外渡航の規制。


絶望だった。

学校は休校になり、
総体や文化祭、校外学習はすべて中止。

あれだけ楽しみにしていたアメリカ行きも
渡航2ヶ月前にキャンセルとなった。

この学科が70年前にできて初めて海外に行けなかった代。
授業にくる先生や他の学科の友だちみんなに気を遣われて
いろいろな言葉で慰められて

「またいけるようになったらいけばいいよ
 なくなるわけじゃないんだからね」

最大限の優しさでかけてくれている言葉だとわかっていても、

やりたい事がすぐ目の前にあるのに
手を出せない悔しさ。

自分を奮い立たせるモチベーションが
一瞬でなくなる悲しさ。

そんな中途半端な気持ちじゃないんだよ、と
込み上げてくる怒り。


生まれて始めて心の底から感じた負の感情だった。


しかしそうは言っても時は流れる。
全世界が同じ状況で、みなが何かしらの辛い思いを抱える中、
私も高校3年生、大学受験を控える受験生になる。

とりあえずは地元の国立大学を志望していたものの、
優柔不断な性格で、興味関心のある事しかなく、

進学先調査の紙が配られるたびに
ほんとうにこれでいいのかなあ、
そう悩んでいた。

塾帰り、息抜きがてらヘロヘロになりながら最寄りの本屋に行き
海外いきたいなあ、、旅したいなあ、、、
そんなことを思いながら何時間も旅行コーナーの前に立ち
たくさんの本を漁るのがルーティーンになっていた。


そんなある日、たまたま出会ったのが

TABIPPOが編集協力して出版されたこの本。
読んだことがある人もいるかもしれない。ここにはカメラマンさんが実際に訪れた場所の写真が載っており、そのひとつひとつにコメントや旅の豆知識が記載されてある。

言葉も出ず、この本に引き込まれた。
1ページ、また1ページとめくった。
希望を失っていたところに光が差す感覚だった。

そしてここからTABIPPOという団体を知った。


”旅で世界を、もっと素敵に。”

そんなビジョンのもとに、全国から集まってくる旅好きの若者たち。
好奇心旺盛な当時の私が興味をもたないはずがなかった。


ああ、わたしも旅にでたい。
この人達と一緒にいろんな世界をみてみたい。


本音を言えばすぐにでも学生支部メンバーに申し込みたかったが
これでも一応受験生。
おまけに進学先もまだ未定。

どうしよっかな〜と呑気に考えていると
たまたま担任の先生から指定校の話があった。

定期テストは頑張っていたため評定は普通にあるし、学外でもそれなりにたくさんの活動をしていた。

これだ。

直感で感じる何かがあり、数ある中から東京の大学を探した。

せっかく行かせてもらえる環境なら日本の中心の大学へ。
もっとたくさんの人と出会って視野を広げたい。
TABIPPOに入ってみたい。
そこで新しい世界を見てみたい。
あの時こうしていれば、と後悔をしたくない。

またまたぶっ飛んだ自由奔放さで
校内選考直前に両親や祖父母に東京行きを宣言。
かわいがってきた長女が東京に、、、!!??
案の条反対する母と祖母を無視し、
そのまま申し込むと見事に通過。

こういったわけでスルスル大学が決まり
残りの学校生活はいろんなことに挑戦したり、たくさんの人に話を聞いたり、とにかく遊び呆けた。

そして4月。
上京してひとり暮らしをはじめ、念願のTABIPPOにも入り今に至る。

かなり長くなってしまったけれど
私の19年間はザッとこんな感じ。

うまくいっていることもあれば、
人並みに悩んだり、つらい思いをしたりも。

だけど自分の境遇に後悔したことはない。
どんな場所でも、どんな人とも
全力で、笑顔いっぱいで、楽しむことができるからだ。


これから先もどんな世界がみれるのだろうか、


一瞬一瞬の瞬間や出会いを大切に
いまを楽しんでいきたい。

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