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私がカメラで写真を撮る理由

なんでしょう
カメラが好きだから?
カメラで撮る行為が好きだから?
写真をきれいに写したいから?
raw現像して、自分好みに色を調整したいから?
カメラを持ってることがかっこいいから?
カメラに憧れていたから?

全部当てはまる
じゃ自己満なのか?


ダンゴムシ探し

自己満もある
それでもその価値をなにか求めている
求めてしまう
だって価値があることだと思うから

じゃその価値はなんなんだ
言葉にすると難しい
なぜなら私は語彙力が皆無なのだ
皆無なりに今回考えていきます

私がフルサイズミラーレスを初めて買ったのは2018年
当時の最新iphoneはxs翌年はiphone11

その時代はもうとっくにi phoneでもすばらしくきれいな写真なのだ
なんならrawを知らず、jpeg一択色調整の仕方もわからなかった私は
当時のi phoneでも(バカにしてません)十分足りうる性能

それでもなぜカメラを買ったかと考えると、撮る被写体が関係している
それは最愛の我が子
そう、パパになったのでした


外に行きたいボクは玄関に居座る
お出かけのようだけどただ車で遊ぶ兄弟
寝起きからはしゃぐ元気

ーそれでもきれいに撮れるスマホで十分でしょ
いやいや、そんな単純なことじゃないんだ

ーもうi phoneあるんだからわざわざ大金払ってカメラを買う必要ないでしょ
 子育てにこれからお金がかかるんだから
ごもっともです

ー贅沢品だ
 そのとおりです
 むやみに買っているわけではないんです
 私だって考えがあって買っているのです
 今から言葉にしますが結論はこうです

カメラが欲しい


ーほらね、カメラが欲しいだけでしょ
 違うんです「カメラが欲しい」のなかに1兆個もの想いが込められているのです
 言葉にすると一言なんです

ってな感じで、結論はカメラが欲しいでした

話を戻すと、
最愛の我が子が生まれるときになぜスマホではだめだったかというと
私の気持ちですよ、私個人の気持ちの問題ですよ

iphoneで写真動画を撮ることは、どこか軽い気持ちで撮る行為

そんな気持ちが当時あったのです
iphoneで本気で毎日活用している方、iphone信者様、iphoneで子どもをよく撮っている方…大変申し訳ありません

当時ですよ当時
そう思っていたので、最上級に大切な
自分より遥かに大切な、小さなキミに
どうしてiphoneで記録を残さなきゃいけないのでしょうか
私は嫌です
はっきりといいますが、フルサイズのミラーレスカメラが欲しいです
カメラで大切な人を大切に残しておきたいのです
自分より大切な人を丁寧に重々しく残しておきたいのです

そんなことはいいませんでしたが
そんな感じの気持ちでした

では現在はどうか?

ーあんな重いカメラをやめて
 子育て環境であれば軽い小さいは正義でしょう?
 であれば最新iphone15pro一択でしょう
 そうでしょう?
はい、そうですね

でもやはりスマホ・便利ツールって意識が抜けないのです
確かにとても綺麗です
場合によってはフルサイズカメラかiphoneで撮ったのかわかりません
なんならどっちで撮ったでしょう?と見せられたら答えられる自信はありません
動画だってミラーレスカメラに劣らず撮れるでしょう
でもやっぱり私にとっては便利な板なのです
なんかわからないけど手軽に撮れますって気持ちなのです
私の気持ちですよ(再度謝ります、申し訳ございません)

私にとってはカメラで撮る行為は
大切な我が子を残す手段として最高のこと

カメラを構える
ピントを合わせるもちろんオートフォーカス
シャッターボタンを押す
撮っているときは写真は振り返らず
ここだってときに何枚も撮っておく
夜や早朝に編集作業
これがまた楽しみ
自分の写真で子どもたちがかわいく撮れている
いつもの日常を撮っているため生活感丸出し
周りの状況も入るように撮っているため撮影時を結構覚えている
明るさや色の調整角度ちょっとシャドウに色を乗せて粒子間も追加
書き出して一月溜まったら印刷するため保存

簡単に言うとこんな流れで日々を繰り返しています
仕事育児で忙しくてもこの流れは結構楽しいです
人によっては面倒くさいことしてるね
写真撮ってフィルターかければいいじゃん
そのとおりです
写真のいろいろを自分なりに学んで解釈をしたのは

写真は何でもいい上手い下手もない

そうなんです
写真って難しく考えていました
そう思いませんか?なんか難しい
確かにきれいな風景写真や星空写真
光を計算し尽くしたどうやって撮ったのって写真

でも我々は(もう子育てパパママを同じ気持ちだと勝手に思っています)
子どもを撮るのです
かわいいかわいい我が子が被写体です
それはそれはどんなにドアップでも
どんなにぶれていても
どんなにわけわかんない写真でも
その写真1枚1枚が思い出の1枚なのです
撮った方は結構覚えているものなのです
写真って作品・アート・自分のもののイメージですけど
家族を撮る写真、子どもを撮る写真に関しては
家族の写真だと思っています

ジャンルで言うと
ポートレートでもない
スナップでもない
なんでしょう
わかりません
写真について考えることは
子どもたちに思いを寄せるものだと考えています
もうそれはイコールです
写真=育児
こんな方程式ができました
新定理ですね
のちに証明してみようと思います

でもそれは写真を撮られた側はもしかしたらあまりわからないかもしれません
もしかしたら小さい頃なんかはなおさらです
だからプリントして残しておくのです
いつでも見れるようにしておくのです
写真は振り返って真価を発揮するのだと思います

長々と言葉にしてきました
思ったことを書いていくと長くなります
うまくまとめることができません
それでも私は文章が苦手ではないのかもしれません
文章っておもしろい
そんなことを思うnoteに感謝です

それは置いといて

カメラを持つ
カメラで撮る(子どもを見ている)
撮影時は何にフォーカスして(子どもを見ている)
どこまでの範囲を写真におさめるのか(子どもとその周りを見ている)
現像段階では
どんな印象の写真に仕上げるのか(画面に写っている子どもを見ている)
あーでもないこーでもない試行錯誤(ずっと子どもを見ている)
書き出し
溜まったら写真プリントを注文(選ぶときにまた子どもを見ている)
写真が届く
写真をアルバムに入れる(印刷された写真に感動しながら子どもを見ている)
子どもたちと写真を見ながら話す(子どもたちと見ている)

うん、やっぱり写真を考えることは子どもを考えること
子どもを考えるためのものって考えると自分の気持ちの入った
大好きなもので大好きな子どもを撮りたい

それは大好きなコーヒーを大好きなマグカップで飲むようなことでしょうか

カメラが欲しい

の文字を深堀っていくと
こんな感じでした

そこはもちろん多様性
いろんな意見があっていい
使用用途も違えば、被写体も違う
好きなものも違えば、カメラは必要ないという方もいる


私がカメラで写真を撮る理由

それはカメラが欲しいのなかにいろいろな気持ちが入っているでした




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