「おすすめのチーズ教えましょうか?」 ~経済的理不尽のなかで創作を続けていくこと~
ともかくチーズという食物が好きで、食事にはとくにこだわらないほうだとは思っているのだけど、チーズだけにはこだわってしまう。
こだわるというか、良質でおいしいチーズをたくさん食べたい。まあ、こだわっているんだろうだと思う。
コンビニやスーパーで安価で手に入るようなプロセスチーズも普段食べるぶんにはいいけど、やっぱりこう、成城石井とかカルディとか紀伊国屋という、すこし高級感のあるスーパーに並んでいるような、あるいはチーズ専門店に並んでいるような、ナチュラルチーズ。
当然プロセスチーズよりもお値段は張るけど、やはりナチュラルチーズのとっくりとしたチーズ感はたまらない。たびたび購入して帰っていたのだった。
先日、チーズの福袋があったので、見当をつけて購入してみた。
するとまあ、ナチュラルチーズの出てくること出てくること。おいしい。おいしい。
年始、すこーしばかりメンタルが低空飛行だったのだが、ひたすらナチュラルチーズをまぐまぐ食べていたら、なんだか元気になったような気がするのだ。
お戯れでチーズの情報を検索してみる。タンパク質について。そうしたら信憑性はさておき「精神安定作用」と書いてあった。
然り。たしかに、私はナチュラルチーズを食べまくることで精神安定いたしました。
精神薬に比べるとずっとおいしいし、やたらと食べまくらないかぎりは副作用はないし、なんだかふわんと幸福感もあるし、ああ、こりゃいい精神安定剤だわチーズ、とそれだけで儲けた気持ちになったものだ。さすが、福よ。
さて、ところで。
創作というのはしばしば、金銭的余裕がないとできないとされる。
もちろんこれは真実だと思う。そもそも空腹では小説を書いたり絵を描くどころではないだろうし、いちおうの衣食住があったとしても、「金がない」ということにかかるストレスというのは半端ないものがあるだろう。それは自分のなかの世間との闘いでもあるし、じっさいに周囲からの視線や、あるいは人間関係の問題でもある。それと、自己投資もなかなかできなくなってくる。読みたい小説や漫画を買うのに足踏みしていれば、やがてインプットそのものが停滞していく。
そして、よく冗談めかして「売れっ子になって焼肉」とか「神絵師になって焼肉」とか言われる通り、おいしいものも食べることができるようになる。言い方こそ冗談めかしてはいるが、これは、切実な経済的真実だと思う。自身の創作物がカネになり、おいしいものをたっぷり食べたり、またふるまうことができれば、それはもう味覚的にも自尊心的にも最高においしい事態だろう。
私もその通りだと思う。
私もじっさいそこまでというか、正直あんまそのあたりの余裕はない。
広く公言しているわけではないのだが秘密でもないので言うと、具体的にいま私は、ふらふらとバイトをしつつ国からのあるお金も受け取りつつ、通信大学でいわゆる苦学生をしている。通信大学は年間の授業料が正規の大学にしてはありえないほどお安いのでどうにかなってはいるが、たとえばスクーリングを追加で取るときの追加の数万円をいつも工面するレベルの苦学生である。大学生と言うにはわりといい歳なので、実家に住まわせてもらっているぶんはいちおうの生活費も入れている。
ちなみに学費はほとんどデビュー作の書籍の原稿料で払った。というか、デビュー作の、当時まだ二十一歳の私にとってはとてもでかかったお金は、ほとんど、学費や教材に費やした。マジでデビューしてよかったなと思った。大変ありがとうございます。ほんとに……。
まあなのでとくに経済的に余裕はない。
だが、一年先や三年先レベル出の将来への対策は講じつつも、そこまで気持ちで余裕のなさは感じない。
なぜならば、私は、たとえばじゃあいまふわっと「おかねもち」だとしてやりたいこと、というのを、ある程度は自力でがんばってかなえてしまうからだ。
たとえば。ナチュラルチーズ食べまくりでも、高級焼肉食べ放題でもなんでもいいんだけど、そうしたいと思う。
ふつう、「貧乏であったら」諦めなければならないとされるところだ。
だが、私はそういうときに諦めない。
どうする? まあ一例だけど、――数日間の徹底した大量自炊をおこない、食費を浮かす。
今回のナチュラルチーズの福袋は、二千円であった。数日間浮かしたお金で、購入をいたす。
そんでまぐまぐまぐまぐ、食べている。
そして私はいついかなる状況でも、書籍代だけは確保したい。これはもう長年の経験則で額の見当はついているので、そもそも月の生活費にもう「書籍代」として予定させてしまう。
その代わり大きな買い物を見送り、優先順位が低いものから切っていく。あるいは生活でストレスなく削れそうなところを最検討する。それだけのことだ。
もともと物欲がそこまでないのかもしれない、とは思う。
必要なものが必要なだけあればそれでいいと思ってしまうのだ。いまのところは。
ただ、もちろん、「節約」レベルではどうにもならないこともある。
すこしばかりおおげさに言っておくけど、
たとえば書店で「新刊ぜんぶください」と言っていちどに何百冊購入するとか、世界旅行するとか、家を買うとか。
それはこれからの人生がんばって稼ぎましょうという話ですね。おそらく、その「かなえられないものの程度」というのが、あんまりにも、大きいと――貧乏は創作の手をも止めうるのでしょう。
ただ、私は、いままでいまのところ、どんなに経済的に困窮しても、それによって手を止められたことはいちどもない。
さいわい小説はパソコンが一台あれば書ける。パソコンさえもままならないなら、一本十円しない鉛筆でチラシの裏に書けばよい。
ずっとそう思ってきて、正直経済的にやばすぎたときでも、ずっと書いてきた。
「金持ちにならないとできないこと」と、「現状でも工夫すればかなえられること」は、やはり腑分けすべきなのだ。
そうすればあんがい、そこまでそうでも、ないのでは? 状況。
もちろん、ひとによるとは思うし、私自身が比較的恵まれた状況であったことは否定できないだろう。
たとえば養う家族がいるとなったらほんとうに感情論として別レベルだと思いますし。
けどもあんがい工夫はできるし、文句を言うより解消してしまったほうが楽だったりもする。
たとえばそれは私が、「ナチュラルチーズをやまほど食べたい」と夢見たうえで、工夫でかなえてしまうということ。
まるで、おかねもち、かのように、ね。
貧乏は、理不尽だ。
けども理不尽を理不尽のままにしていては、いけない。――まあ、まずは、おすすめのチーズ教えましょうか?
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