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私を形成した指導医O先生の言葉

こんにちは。
40代女医なつ🌱です。

先日友人と話していて、

「若い時に職場で言われた言葉で、その後の人生でずっと大切にする言葉ってあるよね

って話になりました。

そこで色々思い出しましたので、話してみます。

指導医O先生

専門医やそれ以上の皆さんは、研修医レジデントの頃に心の残る指導医はいらっしゃいましたか?そしてその指導医の言葉が、自分の医者人生の軸になっていることはないですか?

「三つ子の魂百まで」という言葉にあるように(本来の意味とは多少ズレるかもしれませんが)医者になって3年、だいたい初期研修医からレジデントまでの間に身に染みた職場上司の
言葉
や出来事は、今もこれからも医者生涯変わらず自分の中にあり続けることが多いと思います。

私にとって指導医O先生は、そんな先生のうちの一人です。臨床の考え方も手技もとても丁寧で、今もとても尊敬しています。

O先生は私が3年目入局した時、10年目くらいの先生。ちょうど私たち入局したばかりのヒヨッ子たちの指導役でした。あの頃はうちの医局は本当に人手不足でO先生含めた2人くらいで、10人以上のレジデントの面倒を見ていたように記憶しています。指導医、講師クラスはまた他の仕事で手一杯。

O先生の医者としての知識や手技は申し分のないもので(まあ当時のひよっこから見た判断なんて意味ないかもしれませんが)、他科からも頼りにされている先生でした。

しかし怒ると「烈火の如く」という形容がぴったりで、眉毛が吊り上がり、勉強不足がある場合はコテンパンに理詰めにあい、自分の不甲斐なさに涙が出そうになりながら仕事をしていたような気がします。O先生が怒って投げて飛んでいったPHSも見たことがあります。涙。

もちろん怒号は患者さんには聞こえないように配慮されています。そういえば私は、医師4年目にはO先生が近づいただけで、処置をしている手が緊張で震えてしまう発作が出ていましたね。

O先生のありがたい言葉ひとつ目

そんなO 先生からもらった言葉で2つ印象に残っている言葉があります。

ひとつ目は、
「僕と同じことしても意味ないでしょ。」

受け持ち患者さんが急変した時でした。医師も看護師も患者さんの周りでテキパキ動いています。当時研修医上がりのヒヨッコの私も、懸命に役立とうと必死でO先生の隣でO先生を見つめ、お手伝いをしようとしています。

その時に、O先生からの鋭いお言葉。

「邪魔!僕と同じことしても意味ないでしょ!できる仕事を探してやって!」

3コンボ。ぐさっと刺さる的確な言葉。

急変対応の部屋で医者は二人、看護師がO先生の介助はできる、医師しかできない他の仕事(オーダーだったり他科連絡だったり)を探して効率良く診療を進めなさい、つーか自分で考えろ!!ってことですね。

初期研修医ローテの間は、必ず何をするのも指導医の許可が必要で余計なことを勝手にしたら怒られていたので、「自分で考えて自分で探して行動しろ!しかも周りを見て被らないように。」というのが、今となってみれば当たり前のことなのですが、当時は頭を殴られたような衝撃でした。

そこからは毎日、そして今も、人と被らないように、診療ゴールはどこでそこに向かうためには自分は「今」何をすれば良いのか、毎回考えるようになりました。


O先生のありがたいお言葉ふたつ目

医局入局2年目、医師4年目でしょうか。少し医者としての自信がついてきた頃だと思います。その時ふたつ目のお言葉頂戴しました。

「俺も疑え!!」

その日もまた色々急変がありました。自分がメインとなり、同期や1個上の先輩も少し手伝いに来てくれて、テキパキこなして、「ふー私もちょっとはできるようになったなぁ」なんて思って、診療が落ち着いた頃でした。

O先生が近づいてきて、
「ねえこれ何?おかしくない?どうしてこうなったの?」

一般の方も見れるnoteなので、ちょっとぼかしますが、在るべきものが正しい位置にありません。

「あれ?なんで、、、」

私は、あわあわしながら、

「私がこっちの処置をしている間に(1個上の)B先輩が手伝いに来てやってくれて、、、。B先輩は外来に戻りました、、、。」

O先生の眉毛が吊り上がっています。
「受け持ちは、なつだよね?ちゃんと自分で確認したの?早く修正して!」

素早く気づいたので患者さんに有害事象はなく大事に至らず、すぐ修正できました。

修正しながら、O先生が隣から「ヒューマンエラーは誰にでも起きる、自分の症例は自分しか信じるな、誰が協力してくれても確認しろ、誰のことも信じるな、俺も疑え!!」ネチネチありがたいお言葉をいただきました。

それから私はある意味、誰のことも信じない、とにかく疑う、そして自分も疑う、人間不信な医者になりました。笑

この話は後日談あり、私の受け持ちの他症例でO先生が手伝いに来てくれたところ、珍しくO先生が指示凡ミスをやらかしてました。

ベテラン看護師さんからすぐ間違えを指摘していただき、看護師さんと一緒にO先生の方をニヤニヤ振り返ったところ、O先生は「俺のことも疑えって言っただろー!!!」と絶叫していました。レジデントも終わりの頃でしたでしょうか、良い思い出です。


人生においても役立つ言葉


上記二つ、ありがたいお言葉、若い頃に頂戴しましたが、どちらも同じような言葉をもらった医師は多いでのではないでしょうか。

そしてどちらも医師の仕事、だけではなく、人生全般においてかなり大切な考えだと個人的には思っています。

上記のもらったお言葉は言い換えれば、

各環境を分析し効率的に迅速に行動する。

全ての事象を疑い自分で確認、分析する。

仕事、人間関係など全て応用できる、科学的思考、批判的思考そのものだなと思います。

そしてこの考え方は、間違いなく今の自分の人生の軸になっていると思います。
医師としても、一人の人として生きていく上でも大切な考え方です。

O先生、いつもありがとうございます。
(ご存命で元気に働いているみたいです。)

伸びしろ


そういえば医師4年目で、O先生が近づいてきただけで震える発作が出現するようになっていた時期、どうしても手技がうまくいかずO先生助けていただいたことが何度もありました。(努力してもできない時は怒らない優しいO先生です。)

怒られてもいないのですが、自分で自分が不甲斐なくて、悔しくて悔しくて、医局でO先生にその日の手技のフィードバックをしてもらいながら、何度も鼻を赤くして目に体液を溜めていました。(涙と言いたくないくらい悔しいのです。)明らかにこぼれ落ちそうになってますが、意地でも目から垂れ流したくありません。仕事中に上司の前で泣くなんて「だから女医はめんどくさい」って言われるのがオチです。

そんな私を見てO先生が
「まだ伸びしろがいっぱいあるんだよ、羨ましいよ」
って言いました。

私は悔しい悔しいお化けになっていたので、その言葉を素直に受け取れず、「まだまだ全然ダメってことですね」と思った瞬間、目から溢れた体液が出てしまい、隠そうとトイレに駆け込んでしまいました。

O先生は「そんなつもりじゃないのに!」としょんぼりしていたようです。励まそうとしてくれていたのに、あの時はごめんなさい。

でも今、私も指導医となり研修医やレジデントの教育経験しまして、そして自分の子供を育てながら、O先生の気持ちがわかりました。

指導医になる頃には、自分の「伸び代」の先がそれまでより圧倒的に少ないことを段々と実感するんですよね。2、30代の伸びは劇的ですから。

でも、まだまだ中年でも伸び代を作りたくて、勉強をしたくて、新しい自分に出会いたくて、もがくフェーズに入る。私もまだまだ、医師も、医師以外も、いろんな自分の伸び代と可能性を伸ばしていきたいです。

私のnoteは女子医学生や若い女医さんも見てくれてる気がします。若い医師たちは、本当に伸びしろがたくさんあり、その伸びしろはすぐ埋められていくから、悔しい思いもいっぱいするとお思いますが、安心して飛び込んで、没頭して頑張ってください。


おわり

皆さんには若い頃、働き出した頃に、生涯心に残るような先輩の言葉はありますか?いろんな人の話聞いてみたいです。

今日はおばばの昔話でした。
需要あるんか、これ。

それでは、また。



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