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医者過労死の話

40代の女医なつ🌱です。

神戸市の選考医過労死の話。
とても痛ましいですね。

こんなに働き方改革と騒いでいても
ハラスメントがどんどん告発される時代になっても、こんなことが起きるんですね。

今日はこのニュースを聞いた
ただの個人的な感想と勝手なアドバイスです。


自分の時代を振り返る

私は初期臨床研修医制度始まったばかりに医者になりました。
その頃の上の専攻医は下が入ってこないので延々と新人雑用をしていて、他から見ても明らかに憔悴していて、今回の専攻医のような状態でした。

とはいえ私たち研修医も、病院側が全く慣れていない新しい初期臨床研修制度で、ルールはどんどん変わっていくし、科によって指導医によって言うことが全く違い、新社会人、1−2ヶ月ごとに変わる職場、ルール、仕事相手に
完全に適応障害の毎日でした。

うちの学年は幸運にもいませんでしたが、周りの学年は研修中にドロップアウトしていく(研修中に休職する)人たちもけっこういた気がします。

また労働基準局のテコ入れもなされていない時代だったので、当直したら帰れるなんてことは全くなく、日勤当直日勤残業(流石に仮眠できる日はしてますけど34時間勤務とかやってましたよね)やって、やっと帰れて寝て、翌日普通に出勤とかしてましたね。起きるのが辛いんだこれが。

他職種の友人にに辛くないの?とか聞かれたような気もするけど、答えに困っていたような覚えがあります。

本当に忙しい時余裕がない時って
感覚が麻痺して辛いと思うこと自体できないし周りの医師が皆やっていることを辛い、と認めることもなんだか出来なかった。

自覚できたとしても、辛いと人に言う時間もないんですよね。そして時間が過ぎてく。

この研修医から専攻医時代、本当に医療者以外の友達からの連絡に返信する余裕がなくて、たくさんの友人をなくしましたね。これはズボラな私のせいでもありますが、、、

こんなに忙しいと、もし隙間時間があっても、足りない知識を勉強しなきゃいけないし(指導医にどやされるから)
とにかく寝たい。
としか、私は考えられませんでした。

(ショートスリーパーで、直明けに看護師さんの飲みにいく研修同期の強者いたけどロングスリーパーの私には化け物に見えましたね)

自分の時代を振り返ったら?

上記の体験談書くと、医者になったらこんなの当たり前。昔の自分の苦労を懐かしがって美談かのように話している典型的な日本の嫌な上司ですが、

嫌な年長者や指導医であるかは、
この辛かった経験を踏まえて
若い世代にどう振る舞うか

だと思います。

私の研修医から専攻医時代を思い出しても
明らかに過労だった。
辛いという感覚が麻痺するくらい
(防衛反応かも)だったし、

あの時共に支い合える研修医や専攻医の友人がいなかったら、
当直以外の日曜に休みがもらえてなかったら、
先輩方が気にかけてくれていなかったら
職場環境が孤独だったら、
人がいない分、のしかかる責任も重かったら

神戸の病院の彼のようになっていたかもしれません。

ある程度若い時に過労で辛い思いをした医者たちは、彼のニュースを聞いて
自分がそうなっていたかもしれない
と、自分のことのように心を痛めた人は多いと思います。
もしくは若くない今でも激務をこなし、
同じ気持ちの中堅以上ももたくさんいるかもしれません。

私は専攻医の時に
一回り上の女医の医局の先輩から、

「自分が産休育休ほとんど取れなくて産後復帰を強いられ、辛い思いしたから先生たちにはそんな思いしてほしくない。」
と言っていただいたことがありました。

「自分も辛い思いしたから、お前もこれぐらいやれ、できるだろ。」
できなかったら
「そんな器だったのか、残念だ」
と見切られる事が蔓延していた医者の世界で

「辛かったからこそ、次世代には同じ事をさせたくない」
と言ってくれる、その女医の先輩の言葉はその後の私の医者としての生き方を支える言葉の一つになりました。
と同時にそういう人間になろうと思いました。

あなたは自分の時代を振り返って、後輩に何と声をかける人ですか?

生存者バイアス

「自分が辛い思いをしたからお前もできる」と言う考え方は
明らかな生存者バイアスです。

でも残念ながら医者の激務世界、生存者の言う脱落者(生存医者の中では脱落者でも一般的には違う)はいっぱいいます。
現実にこんなに脱落者がいるのに「おまえにもできる」と強いるのはおかしい。

私はこの生存者バイアスの後輩への押し付けは大嫌いです。

医者の世界というのはこの生存者バイアスを押し付ける考えの先生が、本当に本当に多いです。特にじじい。
指導医としてマジで失格だなと昔から思ってます。

自分ができた方法だからと言って部下も同じ方法でできるとは限らない。
その時に自分とは違う能力・背景を持った相手に指導する上でどんな工夫をするのか、どう引き上げてやるのか、
それが指導医の力量です。

突き落とすだけなら簡単ですよね。

逃げるのが必要な時がある

医者の世界は労働基準法違反の激務が今でもいっぱいあります。
(タイムカード打刻しないで、勤務時間正直に申請しないで、と言う病院側からの命令は、医者仲間からまだよく聞きます)。

私の研修医時代は研修期間の期限があり終わりが見えていたから、仲間先輩がいたから激務でも頑張れたところもありますが、専攻医となるとそうもいかないですよね。

終わりが見えないし、初期研修医のように仲間も近くにいないことが多い。(同期はバラバラに出向していくから)

「終わりが見えない、生存者バイアスたちの押し付け通りやってると苦しくなる、いや最近は何が辛いのかもわからない」

そんな時は逃げることが必要です。

精神科の臨床研修を思い出してください。
患者のことだと「休む」「逃げる」ことが
当たり前でしょ、と思うのに

こと自分になると思いつかなくなるのが医者です。自分の能力を過信しすぎているんです。

実際過労を強いてくる生存者たちも、
命からがら生き残っていたり、友人がいた、先輩がいた、持ち患者がその時は少なかったなど、少しずつの条件の違いがある。
お金だってその時代の価値で、今よりもっともらってたしね。

そんな違いを認識もせず、私とあなたの条件は一緒だと言ってくるような奴らはただのアホだから。

だからそんなアホたちの、
俺らの時代はできたけどね、、、
なんて話は無視していいんですよ。

研修医、専攻医途中で休んでも普通のこと。
他人に何も言われないし、言ってくるような
くだらないやつは無視して良い。

私の知人の医師たちも、いろいろな時代で苦難あり、いわゆるドロップアウトした人も多いけど(私もドロップアウトのゆるふわだったわ。)
休んで体力戻れば、元の専門科に戻ったり、戻らなくて転科したりそれぞれの人生幾通りもある。
そして今皆医者を続けてる。

命あってこそ。
皆休むのが必要な時に、ちゃんと休むか場所を変えるかできただけ。

無理なら休もう。

おわり

もう子供もいて立派なおばさん女医になったので、研修医くらいは自分の子供と重ねて見てしまいます。

真面目で患者さん思いで、自分ならできる、親には心配かけたくないという頑張り屋さんが
今回のようなケースに陥りがちです。

とても悲しいです。

こんなことがなくなるのを陰ながら
祈っております。

辛いときは休んで、一回離れてまた元気になったら始めましょう。

それではまた。



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