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母親との距離感が1番難しい

私の両親は離婚している。

父は毎日朝早くから夜遅くまで仕事をしていたし、あまり一緒に過ごす時間がなかった。母は私が成人するまで離婚をしなかった。今振り返ってみるともっと早く別れていてもおかしくない状態だったのに・・・まあそれは母の愛情なんだろうと受け止めることにしている。

私が実家で生活していた間、離婚はしていないけど父との時間はほとんどなかった。両親と一緒の時間は食事の間くらい。なので、ほとんどは母と二人暮らしのような、そんな環境で育ってきた。(離婚理由などはまた後日お話しすることとして)今回何を言いたいかというと、母親との関係性って難し過ぎない?ということ。

母と私、二人での時間が長かった。長かったのに未だに探りながら話してしまうこともあれば、少し強い口調で当たってしまうときもある。その場合、ほとんどは時間がたってから反省しLINEで謝ることが多い。
もうアラサーなのに、母の前ではまだまだ子供だし甘えてばかりだな、と感じる。


母は育った家庭環境が悪く、子供の頃から精神的に病気を持っている。日常生活に支障はないし、仕事もできる。深く関わらない分には明るくて愉快な性格に思われがちだ。

それでも、まともに親から愛情をもらえずに育った人が、普通に子育てをして、普通に愛情を与えることができて、普通の教育をすることがどれだけ大変なのか私には計り知れない。
きっと「自分は〜してもらったことがないから、できなくて仕方ない」のように開き直ってしまったり、ましてや無自覚に自分の子に同じことをしてしまったりしている人も少なくはないのではないか。と思う。

母が通っていた精神科の先生とその奥さんの看護師さん。その二人が母にとって、そして私にとっての恩人である。
母へ対しては両親のように接し、愛情を注ぎ、ときには叱り、居場所となっていた。厳しかったけど、不思議といつも温かかった。
私が生まれてからは私の育て方を教え、母が間違ったことをしていたら忠告し、私が母のような心の病気にならない為に、いつも気にかけてくれていたらしい。
小さい頃の私の記憶では、「優しいおじさんとおばさん」でしかなった精神科医のご夫婦。今では心から感謝している。



そんなことを経て私が成人し、結婚し、今は実家を離れて暮らしているので母と会うのは月に一回。1〜2泊する程度。
実家で住んでいた頃はそりゃあ衝突が多かった。私が一人っ子だったことや、母の性格などいろいろな理由から過干渉が酷かったし、それに伴い私が顔色を伺い過ぎて苦しい時期があったり。その頃はお互いがお互いに依存していたのだと思う。
母も人一倍不安を感じやすい上に、父からの協力も実の母(私にとって祖母)からの助けもほぼない状態での子育てだと思うと、今では状況を俯瞰して見ることができる。
本当に苦労してきたのだと思う。
でも当時の私はそんなこと分かるわけもなく、苦しかった。それもまた事実だし、その頃の自分の気持ちも否定したくない。

結婚してから4年が経ったので、母と今の距離感で過ごすのも慣れてきた。お互い依存心も薄くなり、良い関係を築けていると思う。
一緒に住んでいた頃は絶対話さないようなことも話すことができるし、母だから話せることも増えた。
でも、母だから言って欲しくないことや、母からの言葉だから傷つくこともある。

小さい頃は母が大好きでひたすらにべったりだった私も、大きくなってからたくさん衝突してきた私も、顔色を伺って苦しかった時期の私も、今の私は全部忘れていない。

全部が全部、私と母の関係。過去は過去だけど、過去があって今の関係があるわけで、たまに心の距離感が難しいなぁと感じることがある。
そもそも、「母と娘」という関係性って割と特殊なんだとか、そんな話も聞くくらいだから「同性同士」というだけで普通の親子(母娘)でさえ多少難しいものなのではないのだろうか。
男の子なら異性というだけで「自分と違う」という認識がしっかりできるのは、子供がいない今の私でさえなんとなく理解できる。そう考えると確かに女の子だと、難しいのかもしれない。
距離感、付き合い方、関係性。いろいろ悩んできたけれど、「普通の親子」でも難しいことなのだから、難しくて当たり前。上手くいかなくて当たり前なのかもしれない。
いろんな時期を経て、お互いが変化しあって、お互いが楽しんで、お互いを尊重しあって、たまに喧嘩になるけど、なんだかんだ唯一無二の母であり娘である。
そんな関係性を少しずつ積み重ねていけたら幸せなのかもしれない。
正解は分からないし、正解があるもかも分からないけど、人並み以上に不器用で難しい私たちだけど、ありのままの今を大切に生きていきたい。
一番近いような存在であり、一番遠くにいても切れないような何かを感じる不思議な関係。苦しさも感謝もいろいろ混ざっているけど、それで良いのかも。




苦しい思いをしながらも、自分のことよりも私のことを考えてくれていて、どんなに辛くても自分一人でなんとかしてきた母。
だからこそ、人間関係は難しいし関わった人からよく思われないことも多い。勘違いされても仕方ないような対応しかできないこともあると思う。

実母からも、自分の夫からも、義母からも、真っ当な愛情を受けることがなく育った母の過去を知っている私だから、今の母を受け止められるのかもしれない。母から直接愛情をもらっているからこそ、母の味方でいられるんだろうとも思う。

頭では分かっていても、私の周りの人から母のことを悪く言われるのは辛い。母の表面しか知らないのに、それだけで心無い言葉をこぼす人がいると、胸が張り裂けそうになる。その人が私にとって大切であれば大切であるほど、私の心は壊れる。居場所が分からなくなる。

「私の大切な人だから、大切にしてくれる」なんて、都合いい言葉だ。そんなことができる人ばかりではないのは重々承知だけど。
大切な人に大切な人のことを悪く言われると、どちらのことも敵にできなくて、どちらが正しいなんてなくて、だけど辛くて。悲しい気持ちの逃げ場がなくなり、そんな自分を責めてしまう。

私が過度の平和主義者であり、感受性が豊か過ぎることで自分を苦しめているけど、人が思ったこと、発した言葉、感じ取ったことは私には変えられない。100%自分のことを理解してくれる人なんてどこにもいないんだけど、「相手にとっては大切な人」への発言は、それが本音であり正論であっても正解ではない場合もある。

綺麗事に聞こえるかもしれないけど、大切な人から大切な人のことを悪く言われる事って、死ぬほど辛い。

小さいことでも積み重なると、心がボロボロになる。

変えることができるのは自分だけなので、心が消えてなくなる前に自分自身で逃げ道探して生きていこう。
母と私は相変わらず、不器用ながらもしょうもないことで笑い合えるような、特に理由がなくても話したいと思った時に「電話できる?」と聴き合えるような関係でありたい。

私の生活には夫がいるけど、母には絶対的に味方でいてくれる心強い存在はいないだろう。
だから私は、母がなんとなくポツンと寂しさが生まれた時に「少しだけ話せる?」と連絡できるような娘でありたい。
ひとりでいることが好きでも、孤独は感じてほしくない。

綺麗事だと言われても、私は大切な人の大切な人まで大切にできる人でありたいと思っている。


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