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感情の単調化

 ここで一つ。貴方の感情とはなんですか?笑い、妬み、悲しみ、怒りなどなど…まぁ発情ってのもあるのかも知れませんが…

 そんなだいたい誰にでもある感情だが、年齢を経ると意欲減退やコントロールが効かなくなってくるなどの衰退を迎えるとされているという通説はほっておく。今日論じたいのはそこではない。近年、若者の感情の単調化が進んでいるのでないかという話だ。根拠は○○離れという言葉にある。まぁ無理矢理メディアが煽りたいがために使っていることもあるのだろうが、そこには深く触れないこととする。特に言えるのはこの2つだ。

 一つ目はテレビ離れである。当然コンテンツのオワコン化というのもあろうが、そもそも何をやっているのか調べる→テレビをつけるというその行為が面倒に感じているのだろう。代替は何か、そうAmazonプライム・ビデオに代表されるサブスクである。これがどう感情の単調化につながっているのか、これは簡単に他者の感情にアクセスすることができるというところにある。ワンタップで簡単に泣ける動画、笑える動画、考える動画にアクセスできる。つまり、感情に必要以上に触れすぎてしまい、感覚が麻痺している状況にあるのでないか、このように考えられる。

 そして二つ目に恋愛離れである。今や恋愛願望や結婚願望がある方が珍しい状態になりつつある。

https://youtu.be/pKAHFwZ0fuM
https://youtu.be/6KnMGyyeX68

今や一生するつもりはないとまで言い切る人が2割近い時代だ。また、恋人は20代男性で6割、女性で5割いないという状態だ。ならなぜこんなことになったのか。もちろん、国民に金銭的余裕がなくてとてもじゃないが無理だという人も多数存在する。それ自体は何ら不思議ではない。しかし、他人に興味がないだとか1人が楽しいだとか。こういった方向に向かっていることこそが何より単調化に直結しているのでないかと思う。特に他人への興味のなさは人の感情に触れないことと同義だ。先程の論理と矛盾するようだが、他人の感情に触れぬのに自分の感情が機能しやすい訳がない。しかもそれを動画配信サービスで擬似的な形で補給した気になっているのだ。ここが歪になる最たる原因なのである。

 かくなる私も昔より鈍ってきた気がする。まだまだ若い方であるのだがどうも笑いばかり追い求めてその他の感情の占める割合が少なくなってきている気がするのだ。
 昔のnoteでも述べたが、私は恋人は欲しいし結婚願望もある。端的に言うと自分の存在意義を保証し続けてほしいからだ。でも、私は最近好きだとかその辺りの感情がもう分からない。恋初めての野郎じゃないんだから…とかそういう類のアレではない。もう何のためにここまで頑張ってるんだろうと考え出すと泣いてしまう夜があった。でも今やそれすらほぼない。昔より元気になったのかそれとも考えると自分のメンタルが死ぬから逃避したのか分からないが…
 少し話が横道に逸れてしまった。私の体験も踏まえての話だが、感情の単調化というのはつまりストレス社会の逃避ということなのでないだろうかと思うわけである。この傾向が進むことは果たして良いのだろうか…そして私の運命の人はどこにいるんだろうか…まぁ中々答えは出ないですね。だけど立ち向かう勇気は必要だと思いますよ、心折れない程度にはね。こうやって答えのないことを探しながら明日も頑張ろう!!

最後まで読んでいただきありがとうございます。よければスキと拡散の程よろしくお願いします。

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