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◆きょうは母の日

5月の第2日曜日、そう、きょうは母の日である。

毎年何かしらプレゼントを贈っているが、今年は離れて暮らしているので今欲しがっている物がわからない。苦心の末に、アームカバーとストールを選んだ。母は自転車通勤をしているのだが、これからの季節は日除けのために腕と首を隠すことを知っていたからだ。


わたしは、母親に対してコンプレックスがあると自覚している。いわゆるマザーコンプレックスと呼ばれているものとは違う。

母はとても聡明で、彼女の助言は、最早予言と言ってもいいほど役に立ち、道を照らしてくれた。
若い頃には書道、華道、茶道、お琴を習っており、師範の資格を持つものさえある。OL時代には洋裁学校に通っていて手先が器用で、幼い頃はよく洋服を縫ってくれていた。料理も得意で、毎晩きちんと3〜5品は並ぶ。そのうえ今でも(パートタイムではあるが)週5日働いていて、勤続20年ほど、真面目にコツコツと家計を支えている。

お裁縫や編み物を教えてくれたおかげで、わたしは手芸が趣味になった。台所で手元を見てきたおかげで、わたしも料理が得意になった。母が読書家だったおかげで、幼い頃は毎週図書館に通った。

でも、何ひとつ、母には敵わない。

素質も勤勉さも、その結果持ちうる能力も、母に勝るものは何もない。

そのうちわたしは母に叱られる度に、
「あなたのようにはできない」
と、いじけるようになった。

わたしは、出来損ないなのだ。
タカが、トンビを産んでしまったのだ。
あなたの求めることを、わたしはできない。


しかし、わたしも立派なアラサーである。母にも不得手があり、それをカバーするために努力してきたことに気づいた。

今わたしが見ているのは、ふたりの子どもを育てあげた母親であり、アラサーのひよっこではない。今のわたしが敵うはずはないのだ。相手は百戦錬磨(?)の還暦である。


今ならわかる、母は片付けが苦手だ。掃除が嫌いである。料理だって美味しいからいいけれど、まったく調味料を量らないズボラさんだ。

でも、頑張ったのだ。30年。わたしたちを育てるために。

未だ劣等感は大きいが、感謝も確かにある。これでいい、やっとそう思えるようになってきた。


偉大な母曰く、冷凍の揚げナスが便利らしい。きょう、帰りに買ってみようか。

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