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小説自費出版体験記第24回/主人公の心理描写その3

しばらく道を踏み外しましたが、更生してまっとうな道に戻ります。
今回は主人公芹生の心理描写の第二段階です。
人の心理は直面する状況を映す鏡。芹生の状況を見てみましょう。

芹生の置かれた状況:ライバル的友人川島の雇われの身となる

この状況での彼の心理に、どんな言葉が当てはまるでしょう?
屈辱、自己嫌悪、自信喪失、いろいろあると思いますが、最も端的に言い表す言葉として「屈折」が思い浮かびました。
もちろん、さらに様々な状況で芹生の心理は揺れ動きますが、根底には「屈折」した心理が澱むと思いました。
対等な立場だったライバル的友人にアゴでつかわれる身。しかも川島は雇ったことにに対する感謝の言葉を強要します。
そのシーンをご覧ください。

「感謝の言葉はないのかい」
「感謝? ああ、その」
 声が出ない。
「そうさ、感謝さ。わたしは窮地に立たされている旧友を救う救世主ではないのかい。どんな世界だって困っているときに救いの手を差し伸べられたら、一言でも御礼を言うのが礼儀だろ。それとも、こんな条件で稼げる仕事が他にあるのか?」
 冷静になれば、川島の言葉は至極当然だった。確かに、この仕事で百万の給料なんてあり得ない条件だ。大学時代からこれまでの経緯、今の両者の置かれた立場、そして何より文学観の決定的な違い。川島を眼前にして自分を見失っていた。
「川島。ありがとう」
 ようやくのことで言葉を引っ張り出し、頭を下げた。

芹生が川島と破格の条件の雇用契約を結んだ直後です。この段階では芹生はまだぎりぎりの矜持を保っていた、というより、そう振舞おうと必死で強がっていた。
皆さんもありませんか? 動揺して弱気になっているときに、それを悟られないように不自然に肩肘を張ってしまうって。折れそうな心と相反するように強気を装う心が同居している状態。そんな時、普段なら当たり前に言える言葉が出てこない。それを川島に指摘された芹生は自分を振り返ります。そして感謝の言葉を引っ張り出し、頭を下げます。
この段階ではまだ多少の冷静さは残っています。だが、川島はさらに畳みかけます。

「芹生。同窓のお前に言いづらいが呼び捨ては困る。今のわたしは芹生の意識の中にある川島ではない。作家の愛澤一樹だ。こう言っては何だが社会的にも影響のある立場になっている。だから、これからは愛澤先生と呼んでくれ。それとタメ口もだめだ。愛澤企画の社員でいる限りは」
「あ、そうだね。いや、分かりました」
 すべてを投げ出してこの場から逃げ出したかった。しかし、それはできない。川島は以前の川島ではない。当代の流行作家「愛澤一樹」なのだ。
「愛澤先生……ありがとうございます」
声を絞り出した。

川島は自分と芹生の立場の違いを遠慮会釈なく芹生に突きつけます。そして「先生」の尊称と敬語を要求します。
昨日までは対等の立場だった友人を先生と呼び、敬語を使う。これと近いシチュエーションはサラリーマン社会でも多々ありますね。俺、お前の仲だった同期が自分の上司になる、もっと極端な例は、新人の頃から可愛がっていた後輩がいつの間にか自分の上司になるとか。この状況に遭遇したとき、多くの人間は相手との接し方に悩むと思います。でも生活のために逃げ出すわけにはいかない。日本型年功序列も崩壊し、こういった光景は日常となっていますね。サラリーマン社会に限らず、新弟子の頃かわいがっていた(角界のかわいがるは稽古でしごくことらしい)後輩力士が関取になり、その付け人にされた先輩力士、大学時代に肩もみをさせていた後輩が同じプロ球団で一軍レギュラーとなり、その彼の練習相手となったバッティングピッチャー。仲の良かった同期アイドルがブレークして彼女のバックダンサーをやらされる無名アイドルとか。挙がれば切りがありません。
世の中厳し~。
少し脱線しました(まだ更生しきってないな)。
いずれにしても、芹生の心は屈折します。それを象徴する描写を示します。

「初仕事だ」
「ああ。あっ、はい愛澤先生」
 川島は、意外と順応性があるね、といたずらっぽい笑みを浮かべた。
 この場に相応しい表情を見つけることは、創作するよりはるかに難しかった。俺はただ「これは運命だ。川島の下僕になりきれ」と心で呟き、でも芸術性では俺が上だ、とつけ加えた。

「お前はすぐ顔に出ちゃうから」というよく使われるフレーズがあります。別に考えれば、人間は心と違う表情を作れるということを意味しています。「ウソ泣き」「愛想笑い」も同様です。悪いことではありません。心と裏腹の表情や言葉を作れるのは、コミュニケーションを円滑にするために備わった人間だけが持つ能力です。でも芹生にとって「この場に相応しい表情を見つけることは創作するよりはるかに難しかった」のです。創作は芹生が心血を注いでいる行為であり、それよりも難い。何故でしょう。おそらく最もこの場に相応しい表情は「愛想笑い」でしょう。でもそれができるほど芹生のインテリジェンスは低くないしプライドもある。さらに言えば、躾けられたように発した「ああ。あっ、はい、愛澤先生」という言葉が芹生に自己嫌悪を与えたでしょう。つまり、作る表情と心との乖離が大きすぎるのです。
それから芹生の心は屈折します。なぜ屈折か、それは彼に相反する心が同居していることです。
「ああ。あっ、はい愛澤先生」
心と乖離した言葉の一方で、心ではこの呪わしい境遇を受け入れるように呪文めいた言葉を呟き、それと相反して最後の抵抗のような言葉を付け加えます。
この状況で心が折れない方は極めて受容的な人格か、いやなことは瞬間的にわすれる楽天家か、あるいはただ鈍感なだけか、いずれかと思います。もし私なら、蛇腹のように心が幾重にも屈折しているでしょう。

最期に

脱線も含めて6回に渡り主人公の心理描写について綴りました。これほど回数を費やした理由は、一人称小説にとって心理描写はストーリー展開とともに車の両輪だと思えるからです。
そして、もっとも自然に心理描写できる方法は、その登場人物になりきることであると体験しました。字面だけ眺めていても浮かんでこない。そのためには設定したキャラクターを掘り下げておくことが必要です。
そして、より読者に伝わり共感を得られる表現に書き直してゆく。不思議なもので、少し時間を置いて見直すともっと相応しいと思える表現が浮かぶことが多々あります。この一連のプロセスが心理描写の創造につながると信じます。
例えば
「この場に相応しい表情を見つけることは、創作するよりはるかに難しかった」という描写が、
「俺はどうすれば良いのかとまどった」
では、味も素っ気もありません。表面的な写実ではなく創造することが重要です。もっと純文学的表現もありだとは思います。ただ、『流行作家』が目指していたのはドラマ性のある「面白さ」でしたので、純文学タッチで描いて(いるつもり)いましたがあまり深入りはせず、できるだけリズムを壊さず、読者に分かりやすいシンプル且つ創造的な描写を心がけました。

ここで一旦主人公の心理描写は終了します。次回からはストーリー展開について書く予定ですが、しばらくの間、八割方書いて滞っている二作目の脱稿に集中するつもりです。投稿頻度は落ちると思いますが、ご容赦ください。
今回もお読みいただきありがとうございました。







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