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【小説】ヒーローは卒業しない
“※この物語はフィクションです。細かい設定は実際と異なるものがあります。”
今日は目覚ましよりもずっと前に目が覚めた。部屋の電気を付けると、朝の5時前だった。6時にセットしていた目覚ましを止めて顔を洗い、コーヒーをレンジで温めて飲むと、いくらか頭が冴えてきた。
あえて暖房を付けない部屋で縞半纏を装備した俺は、机という戦場に向かった。昨日の俺からの挑戦状は、机の上にきれいに並べてあった。家を出るのは6時10分。朝食は歩きながらでいいや、40分で区切りを付けよう。
自分と目の前の問題。ただそれだけの世界。階下からの気配や音、だんだん明るくなっていく外のことまでもまるで俺の意識から消えていた。この時間が好きだ。もちろん勉強は受験生の仕事とはいえ、集中できるときもあれば全く身が入らずスマホにばかり時間をとられる時もある。だがたまに、"過集中"と言われるほどにまでたどり着く時がある。この心の静寂の中に宿る戦いの火が燃えたぎる感覚がただ好きなのだ。
「…よ、…た!……ゆうた!!!」
英単語帳の10ページ目を読み込んでいた時、部屋のドアから母が心配そうに覗いているのをやっと確認した。
「あぁ…おはよう」
「おはようじゃないわよ!静かだから寝てるのかと思ったじゃない。そろそろ学校の準備しないと!」
「…わかってるよ」
今日はここまでか。だいぶぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、出掛ける準備をした。
「いってきます」
「え!ご飯は?今日お味噌汁ゆうたの好きなトマトいれたのよ?」
「歩きながらチョコバー食べるから」
「…もう!ちゃんと食べないと頭動かないんだから!試験まであと少しなんだから体調だけは…」
「…うるさいな」
「なによ!!」
ぼそっと誰にも聞こえないようにいったのに、しっかり拾われてしまったらしい。仕方なく席につく。
「いってらっしゃい!」
いつのまにか機嫌の直った母に見送られながら急ぎ足で学校に向かい教室につくと、奈良崎が声をかけてきた。
「お前さ、柱山神社の鉛筆持ってる?」
「柱山?隣町の?なにそれ」
それを聞いた奈良崎の目は諦めに満ちていた。
「お前知らないの?あそこの鉛筆で試験受けると受かるって噂」
「ゲン担ぎかなにか?」
「違うって!がちなやつ!陸部の先輩に聞いたんだよ、毎年それで大学受かってるって!」
「へぇ…じゃあ買いに?いけばいいじゃん」
「それが今年分もう配ったんだって。限定50本。」
「…くだらねぇな」
「…秀才はいいよなー。俺らは鉛筆にもすがらないといけないメンタルなんだよ。」
俺も気持ちがわからないわけではなかった。何かにすがりたい気持ち、それほど綱渡りな精神の日々に、俺を含め全員が胃を痛めているんだ。
クラスの中はいつも通りの勉強の話と情報交換ばかりだったが、それに混じって鉛筆の話が聞こえてきた。噂はどうやら本当だったらしい。
******
噂を頭のはしに浮かべながら俺は家に帰った。歌いながら洗濯物を畳む母をみた時、ふと思いだした。
「…母さんさ、こないだ隣町出掛けてなかった?」
母はびっくりして顔を上げた。
「あらおかえり!帰ってたならただいまくらい言いなさいよ全く。」
「言ったよ。母さん歌ってたけど。」
「あらそう?あ、そうだ今日の夜ごはん」
俺は手のひらを母に向けてストップを示した。母はちょっとむすっとしてしまった。むすっとしたいのはこちらの方なのだが。
「もう一回聞くけど、こないだ隣町まで出掛けたよね?」
「あぁきみちゃんとランチ行ったわよ。新しくできたピザ屋さんでね!そこの…」
「柱山神社とか行ってない?」
またもや話を切られた母は不機嫌に頬を膨らませた。
「行かないわよ初詣でもないのに。なんで?」
「…いや。別に。」
「なに?気になるじゃないの!」
母にだけは、何かにすがるようなところは見せたくなかったのだが。
「今日友達がさ、あそこの鉛筆で試験受けると受かるって…」
言い終わる前から母がニタニタしている。
「そうよね!なんか縁起いいものにも助けてもらわなくちゃね!」
だから、言いたくなかったんだ。
「いや、別にないならないで…」
「あ!待って…たしかね…」
母は通帳などが入った小さい引き出しから細長い箱をだして渡してきた。
「代わりにこれ使いなさい。ご利益、きっと柱山の神社さんとこよりあるんじゃないかしら?」
古びた箱を開けると、木でできたシャープペンシルが入っていた。かなり使い古されていて所々黒ずんでいたり光沢が出ていた。シャープペンシルをよくみると、
『祝卒業 第78期柱山中学校3年1組』
と彫られてあった。
「…それね、中学の担任の先生がくれたの。当時は卒業の品なんて紅白まんじゅうくらいだったんだけどね、先生が記念にって。それ柱山の杉だから、神社のと一緒じゃないの?」
「…柱山中学校なんてなくね?」
「閉校したのよ。この辺、ニュータウン開発でこの20年くらいで一気に人が流れてきたの。その前はすっごく田舎でねぇ。ほら、隣町に大きな団地あるでしょう、あの土地昔はお母さんの中学校だったの。」
「へぇ、いいの?使って」
「もちろん!そのシャーペンね、大事な手紙とか書類を書くときに使っていたの。きっと試験も上手く行くわよ!あ、なくさないでね!閉校の年に卒業して先生含めて6人しか持ってないんだから。みんなここを離れて連絡もとっていないから、今この辺にいるのはきみちゃんくらいねぇ。先生も亡くなってしまったし…あ、でも…」
母がペラペラしゃべるのを流しながら俺はしげしげと眺めた。彫られた文字の凹みに入っていた金のメッキが剥がれてきている。凹みを触っていると、文字以外にも凹んでいるのが分かった。よくみると、何か手で彫った痕がある。机に尖ったもので落書きをするような、そんな感じで。
「レン…ジャー…ピンク?」
ずっとしゃべっていた母がピタッと止まった。
「ちょっとみせて?」
母は老眼鏡を急いでかけてシャーペンをじーっとみると、急に大爆笑しはじめた。
「あっははははは!!なによこれー?もう、おみくんたらこんなことしてたの?もうー…」
どうやら笑いが止まらないようだ。レンジャーということは、戦隊ものか?
「…これねぇ、おみくんだわきっと。お母さんたちねちょうど5人だったから、中学生なのに戦隊レンジャーみたいにして遊んでたのよ。おみくんはレンジャーレッド。きみちゃんは優しいからグリーン。林くんはイエローで、駿くんがブルー。きみちゃんもなにも言ってなかったから知らないのかしら。」
「それ、使っていいの?ほんとに」
「え?なんで?いいわよ?」
「いやなんか、思い入れ強そうだし」
母はにっこり笑った。
「いいのよ。お母さんの念がこもってるんだから、受かるわ!」
「…えぇ…なんか…まぁ、使うよ」
母の念すらにもすがって断りきれなかった俺は、ありがたいのか分からない母のシャーペンを受験まで使わせてもらうことにした。
******
「え、眞中お前なにそのシャーペン」
使った初日に奈良崎が目を付けてきた。
「あぁこれは…」
いいかけて止めた。鉛筆ではないけれど、柱山神社のものと同じ素材を使っていると知ればなんと言われるか。貪欲で余裕のない受験生に波風はたててはいけない。
「なんか、家にあったから」
「ふーん」
それにしてもこのペン、結構手に馴染む。それにすらすらと書き易い。芯は同じはずなのに、ペンが違うだけでこうも違うのか。
それからというもの、俺はほとんどの勉強をこのレンジャーピンクと共に過ごした。かなり自分の書き癖にもついてきてくれるようになり、俺は期間限定の相棒を大切に思い始めていた。
「おーい、テスト返すぞ。」
休み時間中にテストを返しに来た先生の襲来により教室の空気はぴりついた。
「男子から順に返していくぞ、あきやまー…おおはらー…」
今回奮わなかったんだよなぁ…平均いくかいかないか…
「まなかー!」
「あ、はい!」
56点。大失態だ。凡ミスが多すぎる。気がゆるんでいた自覚はなかったが、受験も近いことだし引き締めないと。
「あおき!あおきさら!」
「すみませーん」
テストを凝視していたので真横で急に席を立たれて俺はびっくりした。
「あ、眞中くんごめんそこ通る」
「あごめん」
クラスがぴりついていても青木さんだけはいつも明るく受験などないみたいだった。でもたしかかなりの難関受けるはず。クラスの成績トップも青木さんだしな。
テストを取りに行った青木さんの席にふと目を向けると、見慣れたものに気がついた。
間違いない。
"レンジャー"だ。
それから放課後まで俺はなんとなく勉強にも身が入らないでいた。レンジャーピンクと過ごすようになって以来大好きな過集中の時間が増えていたが、今日だけは仕方ない。母が言うには6人しか持っていなくて、そのうち1人は先生。青木さんの知り合いが誰かしらなのだろうか。
放課後になり、それぞれが塾や予備校に向かうなか、運良く俺と青木さんが掃除当番になった。ごみを重たそうに運ぶ青木さんに俺は思いきって声をかけた。
「それ、半分持つよ」
ごみ捨て場から帰る途中で気になっていたことを聞いてみる。
「あの、さ。青木さんの持ってるシャーペンって…」
「え!?なに…」
青木さんの驚きっぷりにこちらが驚いてしまった。
「あ、ごめん、シャーペンがなに?」
「いや、その、」
「なに?」
「…変なこと聞くけど、それ、何色?」
いつも明るくて軽い青木さんの空気が重たくなった。
「何色っ…て…え?いや、シャーペンだから…」
気づいてないのか?それか彫られていないのか、なら先生の孫とかだろうか?
「だよね。ごめん。」
「…なんでそんなこと聞くの?」
俺は青木さんの陰りを気にしながらも母からシャーペンをもらった経緯を簡単に説明した。
「だから、青木さんが持ってるの、ゴレンジャーのどれかかなぁってちょっと気になってさ。母さんの知り合いかもしれないし。」
うつむいていた青木さんが、なにか呟いていた。
「え?」
誰もいなくなった教室に戻り俺は相棒のレンジャーピンクを見せた。青木さんはそれを確認すると、真剣な眼差しで俺にこう言った。
「眞中くんのお母さんに会わせてほしい。私はレンジャーレッドの娘だって、そう伝えてほしい。」
「…え」
******
1週間後、俺と母は青木さんの家に向かっていた。母は右手に手土産、左手に重たそうなトートバックを提げていた。
「レッドって青木さんだったんだね」
「ううん、山木辰巳くん。たつおみだから、おみくん。」
「え?でも青木さんが持ってて…」
母は寂しそうな横顔をしていた。
「お母さんね、なにもまだ聞いてないけど、なんとなく分かった気がするわ」
家には青木さんと青木さんのお母さんがいた。小さなアパートに案内され、母と親娘は対面に座った。俺もテーブルに案内されたが、なんとなく気まずくて、ひとりカーペットに正座した。
「…辰巳くんの、山木くんの奥さまですね?」
「はい…山木、でした…」
そう言うと、青木さんの奥さんは泣き出してしまった。母はその手をそっと握る。
「5年前に夫の会社が倒産したんです…夫は社員を守るために必死になって…でも結局…。ある日夫は書き置きを残して…もう今となっては生きているのか死んでいるのか…。法律上離婚にはなってしまいましたが、私はまだ…まだあの人を待ってるんです…。」
母はひと通り話を聞くと、トートバックから卒業アルバムやら写真の束やらを出した。その中から1枚をみせて優しく伝えた。
「おみくんは、誰も見捨てない人でした。昔から優しくて強くて正義感のある人で、約束も必ず守ります。大事な奥さまと娘さんを置いて逃げるようなことは、私が許しませんよ。」
そして横で今にも泣き出しそうなのを必死に眉間にシワを寄せてこらえている青木さんの手も握った。
「さらちゃん。あなたのお父さんは、レンジャーレッドなの。ゴレンジャーの真ん中なのよ?今もどこかで誰かを助けているに違いないわ。ね?」
"レンジャーレッド"を握りしめて青木さんは声を殺して泣いた。俺はみてはいけない気がして、その押し殺した空気だけを感じ取っていた。
帰り際、俺は見送りに来た青木さんに伝えた。
「お互いさ、このシャーペンで絶対大学受かろうよ。」
すると青木さんは腫れた目を細めて笑った。
「眞中くんって真面目なのに抜けてるよね」
「え?」
「文字入りのシャーペンなんて試験で使えないでしょ」
「あ」
「…まぁ、筆箱にお守り代わりに入れておく。」
明るく笑ういつもの青木さんに少し戻った気がした。帰り道、オレンジと紫が混ざった空にシャーペンをかかげながら、俺はゴレンジャーがそろういつかを夢見ていた。学校は卒業しても、ゴレンジャーはずっとゴレンジャーという気持ちで彫ったのだろう。そしてその気持ちは恐らく今でも…。
俺はその日だけは受験生ではなく、レンジャーピンクの息子として誰かを救った、ヒーローのような気がしていた。