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【小説】バーミリオン



※この物語はフィクションです
細かい設定は実際と異なるものがあります。






漆の独特な匂いが嫌いだ。

大抵の人間は漆になど縁がないはずだ。好きか嫌いかも考えたことがないだろう。だがこの村は過半数の家で工房を抱え、漆商品を扱っている漆が名産の村だ。俺の家ももれなくそうで、祖父がたった一人でいまだに工房を持ち、ごっつい手で細々と金になるとは思えないものを作っている。漆製品は基本高く値段を設定しているが、この村では売れるのは突出した職人技とデザインによって作り出された代物だけだ。祖父のように村に埋もれたしがない工房のものは売れる以前に目に触れることもそうそうなかった。


「さとしちゃん。さとしちゃん。」

2階で制服にアイロンを掛けていた俺はため息をつきながら声のする方へ降りていった。うっすら生臭いような台所をみてさらにため息をつく。とっくにカレーの匂いでもしていい頃なのに。意味もない客間の奥の奥に、むせ返る空間があった。

「なんだよ。」

「お薬がないんよ。あのいつもの赤いの。私あれがないと…」

「…その辺にあんじゃねえの。カレンダーにいれてるだろ。」

「入っとらんかったわ。」

「じゃあ飲んだんじゃん。」

「さとしちゃんっ!」

大仰な機械式ベッドの上の人は目をむき出しにした。

「私が忘れるわけないわ!おとうさんが端正込めて作る朱塗りの漆の色だけん!…私大好き。」

「んなのどーでも…」

「さとしちゃんっ!いつからそんな子に」

「はいはい探しますよー」

といいつつ、ないといわれた時点でもう薬の場所はだいたいわかっていた。

「ばあちゃん、手」

「え?」「ひらいて」

しわくちゃの手のひらの上に、朱色の錠剤がひとつのっていた。

「まあ。綺麗な色ね。ふふ。」

こうなると祖母はしばらく薬にみとれるのだ。なにも言っても聞こえない。

何度目かのため息をつきながら、祖母の部屋の障子と窓を開け、簾を下ろした。その時、建て付けの悪い引き戸が開く音がした。

自然と台所に足が向く。そんな自分に気が付き心底嫌になった。やがて嫌いな漆の匂いが近づいてきた。

「…なんだ飯まだか」

返事の代わりに乱暴に冷えた瓶ビールと惣菜をおく。隣の家のおせっかいな婆さんがちょこまかと惣菜を持ってくるから、もうずっと台所は機能していない。

「どうや今日は」

自分の事など聞いちゃいないことは分かっている。

「…普通」

「…そうか」

毎日同じ確認事項。それ以外話すこともない。が、今日は違った。

「さとしお前明日学校ないやろ。明日ばあちゃんの病院なんやがわしは町内会の寄りで行けんでの。連れてってやってくれんか。」

「…ん」

断るよりも、今会話する方が嫌だった。

惣菜には目もくれずにカップ麺にお湯をいれて2階に上がる俺にかけられる言葉はなかった。


******


「相田さんどうですご調子は」

「もう先生!さとしちゃんが最近冷とうてかなわんのです。小さい頃はねぇ」

先生は頷きながらカルテを書き処方箋を出した。いつもの事なのだろう。

「ありがとうございます先生。私あと30歳若かったら先生に惚れるやろうねぇふふ。」

「そんなこと言うて旦那さんが一番なんじゃろうに。お気をつけて。」

車椅子を押しながら会釈したとき、「さとしくん」

と呼び止められた。

「どう、君一人で美佐子さんみとるんだろう。負担ではないかね。」

「はぁ」

「あの様子やと認知症の進み具合も気になってくる。まだ初期やがね。いずれ下の世話もせんといけんくなるやろうな。ちょっと爺さんと話しあっておきなさい。あーそうそう、美佐子さんが好きな赤いジピリダモール、先週少なくしてまったみたいでな、今週多めにだしとくわな。」

「はい」


薬局に行ってもずっとばあちゃんは小さい頃の俺の話を隣の婆さんにしていた。診察日が同じの仲良しさんらしい。

「相田さん」

呼ばれていくと、外国人の薬剤師さんだった。

「今日ハ多めのクスリですネ」

俺は少し顔をしかめた。多めというか、多い。なんかずっしりしてる。こんなに一度にだされるものなのだろうか。そのまま受け取ってばあちゃんのところに向かった。

「あら?美佐子さん。お薬変わったの?」

「…え」

先程から話し込んでいた婆さんがそういった。

「どういうことですか。」

「さとしくん聞いとらんの?だって美佐子さんいつもお薬は一包化だけん薬の袋はひとつだがね。今日はそんな大きい袋がもうひとつあるに、おかしい思ったんよ。」

「…」

なんとなく感じていた違和感は自分だけではなかった。そこに先程の薬剤師が駆け寄ってきた。

「すませんネ。ジリピダールだけ別で出したので。」

「あ…はい。」

「さとしちゃん?ねえお夕飯の支度しないといけないから帰りましょう。今日は厚揚げの炊いたのがええわ。」

薬剤師は足早に消えていった。


******


「さとしちゃん。おかしいわ。」

「何」

「私の好きなお薬はもっとおとうさんの朱塗りのようにつやつやしているのよ。おかしい!おかしいわ!私これ飲まない!」

いつもなら錯乱したと放置するだろう。だが俺はまだ違和感を拭えていなかった。ばあちゃんに駆け寄り薬をみた。

そこには明らかに違う薬剤が大量に転がっていた。くすんだ色で、少し小ぶりだった。

「…ばあちゃん、絶対口いれるなよ」

俺は工房に走り込んだ。爺さんは手元から目を離さずに動きもしなかった。

「…仕事中なのが分からんがか。」

「ばあちゃんの薬間違ってる。」

爺さんは顔を上げた。

「何?」

「あの赤いやつ。あれ絶対違う。」

爺さんは悪くした足を引きずりながら急いでばあちゃんのところに行き、薬をみた。

「…さとし。」

次に待っていたのは平手打ちだった。

「お前がついていながらなんしよっとか!まともに薬ももらえんがか!この…」

爺さんははっとした顔をした。次の瞬間罰の悪そうな顔をした。ばあちゃんのすすり泣く声がしたのだ。

「お父さん、いけません…八重子の前で…隆史さんもおるんじゃ…」

俺は仏壇の位牌をちらとみた。実在した姿より位牌の方が記憶が長い両親というのも不思議な話だ。

「…さとし、誰に薬もらった」

事の顛末を聞いた爺さんは病院に連絡し、処方箋を確認してもらった。その後病院が薬局に問い合わせたところ、処方箋に不備があり、その日実習に来ていた外国人の担当だったことがわかった。薬剤師が外国人と連絡を取る間、爺さんは町内会の連絡網を使って、同じ外国人から薬をもらったという5人の患者を集めた。皆まだ薬は飲んでいなかったが、調べてみると知らない薬が混ざっていた。

俺はその日のことを思い返していた。婆さんとの話を聞いて慌てたかのようにわざわざ別で出したと言いに来た外国人。あいつは確かにジピリダモールが言えてなかった。外国人だからじゃない。きっと薬剤師じゃないからだったんだ。


外国人と連絡が取れない薬剤師は不審に思い警察にも頼んで調べたところ、薬剤師の資格の証明書が偽造されていた。

自宅に警察が事情を聞きにきて、事件は大きく変化した。ばあちゃんが間違われた薬をみて警官たちは顔色を変えた。

「君。」「はい…」

「本当に外国人から薬をもらったのか。元から君が持っていたんじゃないのか?」

「え…貰いましたけど」

警官は目を見合わせて、静かに脅すように伝えた。

「この薬剤は治療薬じゃない。ヤーバーといわれるタイの薬物だ。わかるかい、麻薬なんだ。」

空気が変わった。冷や汗がスイッチを押したように流れ始めた。隣にいる爺さんも時が止まっているようだった。

「もう一度聞こう。君はこれをどこで手に入れた?」

言葉がでなかった。薬局でもらったんだ。あの外国人から。近所の婆さんだってみてる。ばあちゃんだって…

俺は祈るようにばあちゃんをみた。目があったばあちゃんはなにも理解していない風に笑った。

「君の無実は君にしか払えないんだよ。黙っているならこちらにも…」

「ま、まてぇ!」

爺さんがあまりに力強く言ったものだから警官たちは少し萎縮してしまった。

「さ、さとしは…こいつは麻薬なんざ持つような子でゃねえ。柄の悪い連中とも関わったことなんてねぇんだ。友達とつるむような時間でさえわしらぁのために割いてくれとるんじゃ。こいつに限って麻薬なんて間違いだ!」

こんなに長くしゃべった爺さんは初めてみた。そんな少しお門違いなことを考えていたら、引き戸が勢い悪く開いた。

「相田さん!大丈夫かえ!さとしくんは!」

「さとしくーん!」

ご近所さんと薬局であった婆さんだ。

「おら見たぞ、病院の帰り道車椅子の美佐子さんの足さ揉んでやってよぁ、こんな優しい孫さいねぇがに!」

「そん薬!たしかにさとしくんは薬局でもろたんじゃ!わしはみた!あん外国人じゃ!さとしくんでねぇ!」

警官によってたかって話をする老人たちをみて、嫌いな漆の匂いがいつになく鼻につんときて視界が少しぼやけた。


******


あれから何度も事情聴取や検査を受け、俺の無実は実証された。それどころか、凶悪な麻薬散布事件を食い止めたとして賞状をもらった。

その効果もあってか、興味本位で話しかけてくる同級生が増えた。俺は今までより、少しだけ口数の増えた日々を過ごしていた。


「さーとし。」「おぁ山形。」

「今日美佐子婆さんのヘルパーくるんけ?」

「あぁ、夕飯マカロニグラタンやと」

「お前ああいう女の人が好きなんか」

「ばっ!うっせぇわい!」

山形は何かと絡んでくるが不思議と嫌いではなかった。

「さとしお前しっとるか」「なんや」

「うちの OBがバーミリオンちゅう会社立ち上げるんやて。」

「なんや横文字だらけやな」

「朱色ちゅう意味なんやと。村の工房の作品を仲買して平等に売るとかいうて。考えたのう。」

「ふーん」

山形はにやっと笑った。

「これは腕がなりますねぇ!未来の蒔絵師さん!」

「うるせぇっちゅうに!」

癖で鼻に持っていった手を、顔をしかめながら引っ込めた。俺の嫌いな漆の匂いがした。