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恥部~最も恥ずかしい弱さは?~

今日は勇気を出してnoteを信頼してる人に見てもらいました。
「note書くからなにかお題頂戴!」
『最近一番恥ずかしいと思う事』
「おおおお。。。イイお題。。。」

という展開で今日は自分の恥ずかしいと思うところを深堀していきたいと思います。

つい最近自分でも、「自分の素を見せる事、言いたいこと言うって裸をさらすよりも恥ずかしいことなんだね。」って感じのtweetをしたんですよ。


私にとって裸を晒すことは別に何も恥ずかしいことではない。
生き物皆同じだし、慣れているのもあるし、裸の自分が一番美しいと感じているから。

しかし、そんな私でも恥ずかしいことってあるんですね。


最近私が恥ずかしいなと感じでいる事。

「それはこのnoteを見せることです。」

これは私の裸の心の場所で、誰に見られるとか人の目を気にして書いていません。率直な私の気持ち。
だから人によっては、「くさいの書いてるな~」とか、「別に文章上手くないし」とか、「自分この女嫌いだわ」「変な思想してるな」「頭おかしくなったんじゃない?」って思うかもしれない。
しかし、それを一切気にしないでいれる場所が私のnoteなんです。
一種の聖域みたいなもの。
だから土足で入り込んでくる人がいたら、容赦ない。
アナ雪のエルサみたいに氷が出てきてしまうだろう。


自己防衛で氷の棘を出す私


ではなぜnoteを見せるのが恥ずかしいと思うんよ?そんなに孤独をおそれているんですか?って話。


孤独は少しは怖いかもしれないけど、慣れすぎてそんなには怖くないと思う。(実際どうかわからないけど)

私はこう見えて結構人の目をきにしてありのままにいれなくなってしまうんですよね。もし「え?そう?なっちゃん個性あるし!周りの目気にしているように見えないよ?!」と思う方がいたら、ありがとうと思うと同時に、
そう見えないのは私がそこから脱しようと試みている結果を見ているからだと思います。

一つクリアしたと思ったらまた別の問題が現れてしまう。
例えば、美容整形していることや、性被害、夜職をやっていたことも、女の子も好きなこと、SEXが好きなこと、沢山のことをタブーにして私は今まで話すことが出来なかった。女らしくいることにもとらわれていた。

だからありのままにいれるように、髪を切ったし、今までの事も勇気を出してオープンに話せるようにした。
したら少し生きやすくなった。

しかし、新しくやってきた、ありのままでいさせてくれない奴らは、
「映画を作りたい」とか、「曲を作りたい」とか、「教育系AVを作りたい」とか、「本を出したい」とか、「ドラマを作りたい」とかそういうこと。
一般人からしたら、「止めとけ」って言ってくる、夢のまた夢の自分の大きすぎる子供みたいな夢。
そこがまだありのままでいれていない、恥ずかしい部分。

だって、「絶対に叶えるって自分」と、「そんなの叶うはずないよ現実を見なさいって周り」と、「本当に叶うのかわからなくて不安な自分」がいるから。ただ夢を語ってるだけの売れないバンドマンみたいに、「夢を語ってるだけの自立してない売れない30代」になってしまうことが怖いのだ。
これが一つ目。


二つ目に

自分が伝えたいことが正しく相手に伝わらない懸念


例えば「真面目だね」って言葉を「誠実な人」ととらえる人もいれば、「普通でつまらない人間だね」ととらえる人もいる。そんな感じ。
更に、私は人以上に言葉にがあるのもさすがに自覚している。
そしてその棘は単に人を攻撃したいからではない。
棘で相手を傷つけないように距離を取る。
寧ろ私なりの優しさなのだ。大人になればなるほど、素直に率直に言ってくれる人は少なくなる。気づけなくなる。
言葉使いを柔らかく優しく丁寧にって言うのは薬剤師の時にやっていたからやろうとすれば出来るが、とても息がつまりそうになる。
田舎ヤンキー上がりみたいな私は東京のお上品な感じにいつも息が詰まってなにも話せなく孤独になった。
寧ろそのストレートな私の言葉を、私の良さだって思いたい節もある。
棘のある言葉は人を傷つける怖さも持っているが、気持ちを奮い立たせてくれる強さも持っている。私をここまで生かさしてくれたのも、頑張れたのも、ラップやヒップホップやロックの歌詞が私を奮い立たせてくれたからだ。私はそれが単に「頭が悪い言葉だ」「品が悪い」なんて思わないし、ストレートに心につき刺さる、強くて美しいものだと本当は思っているから大好きだ。

本当はこんな自分の感性を大切にしてあげたい。
自分の感性を大事にできる環境だったら、きっと棘なんか生まれやしない。


だからそれが出来ない環境は私にとって、とてつもなく息が詰まる。
夜職を止めたのに思ってもない言葉でニコニコ演じてる時の私みたいで嫌いだ。

小さい時から男の子のグループが羨ましくて羨ましくて仕方なかった。
男の子たちはアホなこと言ったりやったりしてもそれを笑い合える仲間がいて、喧嘩してもそのあとの方が友情が芽生えて仲良くなったりする。
結果何もダメージがなく強い。

本音でぶつかり合うことも出来ずに、ぶつかったらぶつかったで陰で集まって陰口しか叩くことしかできない奴らがかわいそうで、哀れで、
「なっちゃん怖くない?」「関わらないでおこう」とかめんどくさくて、
面白くなくてずっと孤独だ。


いいことも悪いことも本音でぶつかり合える変にめんどくさくなくて男の子みたいな仲間関係が欲しいんだと思う。
地元メン最強!みたいな地元の人達やヘラヘラ三銃士みたいのが、とても羨ましく感じて仕方ない。
私も混ぜてよって言いたくなる。

(私の大好きな地元の中学の事についてはまた別の記事で書かおうと思う。)

三つ目に何でこのnoteを見せることを躊躇うのか、恥ずかしい弱さだと思うのか?

それは守りたいもの、大切にしたいものが出来てしまったからです。
自分の発言で、変な受け取られ方をして、お守り女子、着物プロジェクトに火の粉が降らないかが心配なのです。
例えば、フェミニズム、ビーガン、動物愛護、障害、夜職、風俗、ジェンダー、整形、
これらは、今の世界ではまだマイノリティーに当たってしまうもの。
でも間違いなくこのマイノリティーは先駆者へと変わっていくと思う。
ただ時代が追い付いていないだけで。
どんなことでも一番はじめを切り込むこと、タブーを超えることは叩かれるし、非難してくる人も多い。でも、黒人差別でも、人権でも、数々の偉人たちは皆それをやってのけた人。
権力や勢力にマケズ、社会の圧力や周りの目と戦ってきた人だと思う。
そんな人に私はなりたい。

「私の声なき者の声になりたい」

というのは、こういったマイノリティーが出せない言葉を私が借りて声にするようなものだから。





【以下メモ書き】

恥部。
自分の価値を見出そうとしている。
もうちょっと負の感情をいたわる。
弱い自分をいかに認めていくか。
認めたうえでこうしているんだ。
もうちょっと弱さを出したらいいよ。
前向きであらなきゃいけない自分。

これを見せることが怖い。
→「なっちゃんと関わらんとこ」自分が伝得たいことが正しく伝わらないこと。
他人の評価が気になる。リア友(レールから外れることを善としない人)
自分の棘がある。本来はこの自分の棘が出てくる理由も愛してあげたい。棘をいいと思ってくれる人と一緒にいたい。も認められたい。

リストカット、自傷ただかまってほしい。人に刃を剥けることをさけた。自分に向いてた。→自分を大切にできていなかった。本当は私のその優しさのような場所に気づいて欲しかった。助けてほしかった。


棘が出るときはそれだけの感情が動いてるとき。
→その感情は「やめて!触らないで!私をいじめないで。」(自分の防御反応が出るとき棘が出る。守らなきゃいけない位向き合うには難しい課題・テーマだったりする)
孤独を恐れる自分。を覆い隠そうとしなくていいよ。
恋愛とか甘えていいよ強がらなくていいよって言われても、傷ついて孤独になるのが怖い。「クールぶっちゃう、大人に見せてしまう自分がいる」
私の課題。向き合えてない場所。

要らないプライド。

私のつまり「子供な自分を認める事」

大人であらねばって守ろうと、傷ついた自分に耳を傾けないといけない。優しくしないと大事にしないと。守り方をまだ知らないな


→インスタやSNSで公開する。

自分が一番楽な姿は?→見た目は大人中身は子供(コナンの逆)でいたい。男の子友達の絡みみたいのがずーっとやりたかった!!!!!


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