誰かといるときの虚無感

こんにちは。ぱるむです。
今回は、誰かと一緒に居るはずなのにどことなく虚無感に苛まれる、そんな現象について話していきます。

「BeReal.」というSNSが若者の間で流行しています。
アプリの通知が来て2分以内に写真を投稿することができれば、その日のうちにあと2枚の写真を投稿することができます。
また、内カメと外カメの両方で写真を撮ることができます。
よって、より「今」の様子を周囲の人に知らせることができます。

アルバイト先に2歳年下の後輩がいます。
彼女は、大学での人間関係に悩み、今ではアルバイト先の先輩といつも一緒に居ます。
彼女は、「最近○○先輩に依存しすぎている。心から気を許すことができる友達が欲しい」と嘆いていました。
私から見ると、彼女は明るくて面白くて、歯に衣着せぬ発言がとてもすがすがしくて、でも繊細な心の持ち主だから相手を思いやることができて、大好きな後輩です。
そんな彼女でも意地の悪い友人と運が悪くめぐり逢い、悩むことがあるのだなと驚きました。

彼女は常にだれかと一緒に居る印象があります。
私がスタバで作業をする、と言うと「ついていってもいいですか!」とついて来てくれます。
LINEもすぐに返事をくれます。本当に人懐っこくてかわいい後輩です。

そんな人が好きで可愛げのある後輩の動機が自分の中にある寂しさを埋めるためだとしたら、心配すべき問題点だと感じました。

SNSの流行により、より高い充実度を求められていると感じるため、虚無感に苛まれているのではないでしょうか。
Bereal.は通知が来たタイミング以降でしか写真を撮って投稿することができません。
そのため、BeReal.に楽しんでいる、充実している自分を投稿するには常に誰かと一緒に居なければいけません。

では、BeReal.をはじめととする様々なSNSに投稿される情報が、その人そのものを表す情報なのでしょうか。

インスタグラマーとよばれる。インスタグラムにキラキラした写真を投稿する友人がいます。
余り仲良くはないのですが、(この一文を入れてしまうあたり。私はSNSに没頭してキラキラした自分を魅せたいと思う人のことを理解しようとしていないのかもしれません)彼女と数年に一度ご飯を食べます。
いかなる瞬間も携帯を取り出し、写真を撮ります。
求めている画角があるのでしょうか、映える撮り方があるのでしょうか、彼女の写真のこだわりが強く、一緒に居て疲れてしまいます。

その光景を見ていると、SNSでアップされた写真以上の光景は望めません。SNSで見た写真より地味で、キラキラしていないのです。
こんなものか、と思ってしまいました。

彼女は、自分の容姿にコンプレックスを持っています。
醜形恐怖症です。
自分自身の容姿が嫌いだから、加工して、メイクをして可愛くなった自分をSNSに投稿します。
いいねがついたり、可愛くなったねと言われることで自己肯定感が上がります。
しかし、SNS上の写真と実際の姿には乖離が生まれます。
そのため、一部の自撮り写真をたくさんアップする人に対して悪く言う人が出てきます。
その人たちの心無い言葉でさらに自分自身の容姿を嫌うことに拍車をかけます。
醜形恐怖症は、視点を自分自身の容姿に向けている以上絶対に抜け出せない負のループで悩むことになります。


SNS上の写真は承認欲求を満たすこと、あるいは自己満足であることの二つの目的があると思います。
だからこそ、SNSで誰が何をアップしようと、それは他人のことだと分けて処理をすることができます。

アルバイト先の後輩は、SNSを見て自分の生活と周りのキラキラした生活とのギャップを埋めようとしたのではないでしょうか。
虚無感を埋めるために人といるのに、その人と本当の深いかかわりができないため、人といるのに虚無感に苛まれる、と一層孤独を加速させるのではないでしょうか。

醜形恐怖症の友人しかり、ひとりあそびを極めればいいのに、と思ってしまいます。





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