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かえる場所

なつです!こんばんは🌝
490号!
自分と見つめる1週間でした🌞



では本題!


家族って何?

という問いへの
2つ目のこたえ。



それは、還る場所だ。

じぶんの心の根っこにある
大切な生きる源を
もう一度抱きしめにかえる場所。


わたしが家族を語るときに
なくせないのは
亡きおばあちゃん。

じぶん自身をかえりみるとき、
亡きおばあちゃんの記憶がよみがえることが多い。


なぜ「おばあちゃん」なんだろう?


思い出を振りかえると
自転車の練習に付き合ってくれたり
おばあちゃんの変顔に笑い転げたり。
共働きの両親がいない間は
外に連れ出してくれ色んな大人と関わったり
手作りの夜ごはんを用意してくれたりした。

だからわたしは
孤独を感じることは少なく
好奇心のままのびのびと育つことができた。


そんな温かい記憶とともにあるのは、
ひどい言葉を吐いてしまった、中高生のじぶん。

謝ることもせずに
徐々に弱るおばあちゃんを見るしかできず
おばあちゃんは旅立っていった。


大切な人を大切に思う気持ちはあるのに
感情と言葉と行動をないがしろに
していた瞬間が度々あった。

そんなちぐはぐな感情と言動のわたしも
受け止めてくれていた。


悲しいでもなく
寂しいでもなく

悔しい。

その頃に戻って変えたいのではない。

ただ同じことをしないようにしたい。


傷は心に残るから。


わたし自身
傷ついた過去はふとした瞬間に膨れ上がる。
傷が顔を出したあとはすんなり消えていく。

痛みをすぐに消化できるのは
古傷を負ったあと
救ってくれた寄り添ってくれた手があったから。

わたしは
手を差し伸べてくれた人から
強く深い喜びをもらい、

再び跳ね上がるパワーをもらった。

傷つけられた心は
人を想う心に助けられてきた。


傷ついた出来事は
じぶん自身にとって
生きる源を得るきっかけ
だとわたしは思う。


じぶん自身が傷ついたからこそ
相手の傷に気がつくことができる。

じぶんが傷ついたからといって
誰かを痛めつけていいわけではない。

じぶんの言動を決めるとき、
じぶんがどう思われるか?
という軸で考えるのは
大抵は容易い。

相手がどう思うのだろう?
と考えて行動する方が
難しい。


とはいえ
気配りはあってもなくてもよいものだ。


けれどわたしは、
おばあちゃんの痛みが
たとえわたしの記憶にだけ残る
一方的なものだとしても、

大切な人は傷つけたくない。
大切な人を大切にしたい。

じぶんの感情のまま
考えや言動をすすめないことが
大切な人を大切にすること
だと教えてくれた。


わたしにとって
家族、おばあちゃんという存在は
大切さを教えてくれる場所。


じぶんは大切にできているだろうか?と
今のじぶんをかえりみるために
還る場所であり、

人を大切にできる自分になろうと
これからのじぶんを奮い立たせるために
還る場所。


今日も素敵な自分で🌻


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