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推しのイベントに行く理由をリア友と参加した時に気付いた話

こんばんは。毎日のこの時間に投稿するのが楽しくなってきました。今回は、リア友から推し作品のイベントに応募するかの連絡があり、このテーマで書こうと思いました。
誘ってくれたリア友とは、いろんなイベントで一緒に参加してきました。しかし、私の中で、ぼっち参戦と、オタ活の中で出会った方、リア友では、参加した後の満足度が違うことに気付きました。その理由について今回は語っていこうと思います。

ぼっち参戦を楽しみつつ、オタ友とも交流があったコロナ前

私は、福山潤さんのファンであり、コロナ前は福山さんがでるイベントには毎月参加していたほどボッチ参加を楽しんでいました。
しかし、周りを見るとイベント前に推しについて語る同じファンの方をみて、交流もありなのでは?と感じました。その際にTwitterで「#福山潤クラスタと繋がりたい」と呟いてみたものです。その時に関わってくださったファンの方は消えてしまった方もいますが、繋がりも変わらずにあります。 

このイベントの参加の仕方は好きです。イベントに参加します!という宣言をしなければ、会うことはありません。当日の気分で会うことや、一緒に帰宅し、イベントの感想を言い合うなど選ぶことが可能です。そういった自由さが、イベントをより一層楽しくしていました。コロナ後、リア友がオタクとしたイベントを参加するようになり状況が変化しました。

リア友のイベント参加の心境の変化

リア友とのイベント参加をするようになってから1年。声出しがありになってきた頃から、イベントの参戦の仕方が違うことへの戸惑いがありました。

声を出して楽しんでると伝えたい

イベントとの違いは声出しが当たり前ではないイベントに参加してきたリア友と、コロナ前に声を出して、イベントを一緒に作り上げるイベントを参加してきた私では、「声出し」の価値観が違ったのです。

静かにみたいというリア友。黄色い声援は楽しみにしてたことを伝えるのに重要と思っている私。
福山さんのイベントに参加した時、盛り上げたい!という思いから声出しをする方たちと一緒に声を出すのは楽しいものでしかなかったのです。しかし、声援が苦手というリア友と一緒に参加するとなるとこの楽しさは味わえないと気付いたのです。

イベントに参加するなら無理をしたくない

つらつらとリア友と価値観の違いを述べていますが、つまりはオタクを絡めずの友人でいたいと思っているのです。私にとってのイベントは、無理をしないです。楽しいなら声を出して伝えたい、という寡黙である私を知ってる人には想像できない姿です。しかし、私はそうやってイベントを楽しむことが好きなのです。そうやって日々のストレスを軽減して、現実を忘れています。私にとってイベント参加は、日常生活を忘れ、自分らしく入れる場所です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。では、また明日。

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