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【ゆとりですがなにか】名言集

2016年に放送された「ゆとりですがなにか」。
今年の映画公開にあたり、懐かしくなりドラマを見直しました。
当記事ではドラマ版の心に残った言葉を記録しています。

ちなみに映画も観てきましたが、やっぱり好きでした。
世代とか時代とか年齢とか、そういうのを抜きにして、みんな一人ひとりがそれぞれの日常、人生を、もがきながら一生懸命必死に生きていて。
みんな少しずつどこかがダメで、失敗もたくさんするし情けないところもたくさんあって。
それでも毎日自分を生きていくこと。
その中で大切な人たちとつながっていくこと。
大事件も起こらないし、スーパーヒーローも出てこない。
そんな"普通"の日常の愛おしさを感じさせてくれるこの世界観が大好きです。


●作品情報

公式サイト

【ドラマ版】ゆとりですがなにか
日本テレビ 2016年4月期 毎週日曜22:30
初回放送 2016/4/17

【映画版】ゆとりですがなにか インターナショナル
2023/10/17公開

キャスト・スタッフ

【キャスト】
坂間正和   :岡田将生さん
山路一豊   :松坂桃李さん
道上まりぶ:柳楽優弥さん
宮下茜       :安藤サクラさん
山岸ひろむ:仲野太賀さん
麻生厳       :吉田鋼太郎さん

【スタッフ】
脚本:宮藤官九郎さん
チーフプロデューサー:伊藤響さん
プロデューサー:枝見洋子さん、茂山佳則さん
演出:水田伸生さん、相沢淳さん、鈴木勇馬さん


●第1話 名言集

なにそれ、誰目線の意見?

-正和「だってエリアマネージャーつったら出世コースじゃん。期待も責任も大きいし。」
-茜「え、なにそれ、誰目線の意見?

「ゆとりですがなにか」第1話 - 宮下茜

職場で順調に出社し、店舗統括のエリアマネージャーとしてバリバリ働く茜。
そんな茜に対し、職場では部下にあたる同期かつ恋人の正和は、"出世コースだ"とさも成功者かのように言葉をかけますが、それに対して茜が言った言葉です。
働いて順当に出世して地位や収入を得ていくことは、わかりやすいステータスかもしれません。
それに価値を感じる働き方も一つのありかただけれど、それだけが価値ではない。
自分にとっての幸せは自分で決めるという、茜の意志を感じて印象的な言葉でした。




●第2話

正解なんてないよ。ほっとけ。

「怒鳴るのは正解じゃなかったよね。結果、響いてないし。まぁでも正解なんてないよ。ほっとけ。ミス重なって契約切られたらそいつの責任。損するのは会社。」

「ゆとりですがなにか」第2話 - 宮下茜

後輩社員の山岸からパワハラだと訴えられた正和が、茜だったらどうしたかと問いかけた際の、茜の返答です。
仕事で重大なミスをした山岸に対して、正和が行った説教は、客観的に見ても業務指導の範囲内ではありましたが、山岸の態度にカッとなった正和は、山岸に対して感情的に怒鳴り散らしてしまいました。
茜は、それ自体は"正解じゃなかったよね"としつつ、この言葉を正和に投げかけました。

最後の一文、「ミスはそいつの責任。損するのは会社。」という言葉は、とてもドライな考え方のようにも受け取れるかもしれませんが、必要以上に自分を責めず荷物を背負い過ぎずに働くためには、時にこうした割り切った考え方ができることも必要なスキルだと感じます。

相手の成長のためにとこちらが一方的に思っても、結局伝わらなければ意味がないし、人を変えたり、人の未来まで背負うのは、時に苦しい。
「ほっとけ」と言い放ってくれる茜のような存在がそばにいることは、時にとても心強いと思います。
自分自身も必死に働き、女性としての迷いを抱えながらも営業部のエースとして活躍をしている茜を知っているからこそ、この言葉は無責任でもドライでもなく、やさしく響く一言として受け止められました。


レベルアップしないで何回も何回も同じこと繰り返してる

「すげぇなぁ。入れそうな大学入って、入れそうな会社入って、辞めずに続いてんだよ。すごくね?ごめんな。気分悪くしなたら謝る。ごめん。まじで関心してんだよ。だってさ、ゲームで言ったらレベルアップしないで何回も何回も同じこと繰り返してるからね。余裕でクリアできるステージを。

「ゆとりですがなにか」第2話 - 道上まりぶ

東大合格を目指して11浪中のまりぶが、新卒で入社した企業で働き続けている正和と、小学校教師として働いている山路に投げかけた言葉です。
文字にするとなんという嫌味だと思ってしまいますが、正和も山路も、このまりぶの言葉を聞いて、感情的に言い返すわけでもなく、思うところがあり、反論しませんでした。

やりがいや熱意をもってキラキラ働いている人がどれくらいいるでしょうか。
「何やってるんだろう」と思ったり、このままこの先これが何年何十年と続いていくのかと想像してうんざりすることも、どんな仕事をしていたって誰だってありますよね。
その虚しさをゲームに例えたこの台詞、たまに思い出します。


今辞めたら何にも得るもんねぇから。元取るまで辞めねぇよ。

「イメージしてねぇよこんな社会人生活。でもやるよ兄ちゃんは。得意先まわって頭下げて焼き鳥焼いて年上のバイトにコキ使われて部下に笑われて、意地でも辞めねぇよ。今辞めたら何にも得るもんねぇから。元取るまで辞めねぇよ。

「ゆとりですがなにか」第2話 - 坂間正和

パワハラで訴えられた正和は、店舗へ異動となり、店長として勤務することに。
就活中の正和の妹・ゆとりに対して、正和が、自分に言い聞かせるように叫んだ言葉です。

入社した頃は、これからの自分に期待して、活躍する自分をイメージしていたはず。
しかし、理想と現実は違い、やりがいや楽しさよりも、苦しさや虚しさの方が多い今。
今の自分や、今までの自分に、自分自身で疑問を抱いてしまう今。
でも、でもですよ。それでも必死に働いて毎日がむしゃらに生きているわけです。生きていかなければいけないから。

「ゆとり世代」「これだからゆとりは」と言われてきた正和だって、ゆるく生きているわけでは全然なくて、社会に出て波にもまれながらも、ちゃんと意地をもって必死に働いているわけです。
人に語れるような成功体験があるわけでも、誇れるような道のりでもない。
輝かしい未来が約束されているわけでもない。
それでも、泥まみれでも、ぱっとしなくても、働いて、生きているわけです。
しがないサラリーマンでも、誰に知られるわけでもないどこかのそこらへんの若者でも、みんなプライドをもって必死に生きているんだという強さを感じられる気がして、とても好きな台詞です。

この後、物語の終盤で正和は退職して実家の酒屋を継ぎますが、退職を決めた理由は、この時言っていた「元」をちゃんと取ったと自分で納得できたから
逃げ出したわけでも負けたわけでもなく、納得して退職をした正和の姿がとても印象的でした。
重要なのは、自分が納得するかどうか。
自分が今いる場所に納得できるか。
どこにいて何をしていようが、大切なことはそれですよね。



●第3話

余計なものが一切ない、理由なき結婚

「私は結婚だけがしたいの。わかる?余計なものが一切ない、理由なき結婚。

「ゆとりですがなにか」第3話 - 宮下茜

正和との結婚について考える茜の言葉です。
20代も後半となり、年齢的には結婚や出産のことも考える頃。
「今辞めなければ婚期を逃す」とか、「転勤か結婚かを天秤にかける」とかではなく、純粋にこの人と結婚したいと思って結婚だけをしたい、という茜の想いには共感しました。

1987年生まれの茜は、この時2016年なので28歳くらい。
女性って、このくらいの年齢になるとやっぱり結婚や出産というのを意識するようになります。
一方で、男性と同様に、このくらいの年齢になってくると、仕事にもやりがいや達成感を感じられるようになったり、責任ある立場を任されたり、いろいろな機会に恵まれるステップアップの時期だったりもする。
仕事か結婚か。
人生って別にこの二択ではないし、どちらも手に入れる方法だってあるかもしれないし、どちらかに捧げる人生だって幸せになれるはず。
でも、どうしても女性が、特にこのくらいの年齢で少なからず抱く悩みや葛藤、本音が表現されているように思いました。

この作品の中での茜は、社会の中での女性の象徴でしたが、宮藤官九郎さんはなぜこんなにも女性の心情を的確かつ繊細に描けるのでしょう。
茜の姿には共感する部分がとても多くて、時に涙しながらこのドラマを見ていました。


いい先生じゃなくていいんで、いい人間になってください

「僕やあなたにとってはただの1か月の研修かもしれないけど、だけど、だけどね、子ども、あの子たちにとっては一生を左右する1か月かもしれなくて、そう、しれないんだよ。そんな重要な1か月をネットの情報なんかで答え出してほしくないし、だから何を言いたいかっていうと、いい先生じゃなくていいんで、いい人間になってください。

「ゆとりですがなにか」第3話 - 山路一豊

教育実習生の佐倉悦子に対して、指導していた山路が言った言葉です。
私自身、教職を目指していたことがあり、教育実習も行いましたが、まさにこの台詞の通り、教師も大人も大切なのは人間力だなと当時思っていました。
教師と生徒って、一方的に教師が生徒に何かを教えるわけじゃない。
教師だからって完璧であらなければならないわけでもなくて、子どもにとって家族以外で接する初めての大人として、ちゃんと向き合い、一人の大人としてしっかり生きるその姿を見せることが、少し先に生まれて大人になった大人が、先生が、次の世代の子どもに対してするべきことかなと思います。

山路って、山路も山路で色々とポンコツなところもあるんですが(笑)、でも先生というお仕事をしている山路って、本当に素敵なんですよ。
子どもたちとちゃんと人として対話をしているし、子どもたちからも慕われているし、別に毎日やりがいに溢れた綺麗な日々ではないけれど、それでも信念をもって仕事をしている
そんな山路らしさが滲み出た言葉でした。




●第5話

そしてどんどん婚期遅れる。

-正和「仙台の支店任されるんだってね。すごいじゃん。どんどん出世する。」
-茜「そしてどんどん婚期遅れる。黙ってたのはまだ迷ってるからだよ。」

「ゆとりですがなにか」第5話 - 宮下茜

仙台への転勤話を受けるかどうかで迷っていた茜が言った言葉です。
仕事だけを考えれば、仙台への転勤は正和の言う通り出世コース。
仕事で結果を出してきた茜だからこそ掴んだチャンスです。
一方で、今仙台へ行けば、正和との結婚を先送りにしてしまう。
茜なりの葛藤がいろいろとある中で、なかなか結婚を言い出さない正和への苛立ちもあり、つい放たれた茜の言葉でした。

茜って、バリバリ働いてはいるけれど、別に仕事に全人生を捧げるタイプではない
バリキャリ風の女性って、仕事第一人間みたいに思われることがあるけれど、別に皆がそうではない。
何かを諦めたわけでもないし、すべてを手に入れたいわけでもなかったりする。
何が一番したいかって、幸せになりたいんですよ。
でもその幸せがどこにあるのか、何をもって幸せといえるのか、考えてもなかなかスパっと答えなんて出ないし、答えなんて日々変わる。揺らいで当然。
ひとりでは手に入れられないものもあるし、自分で答えを出したいけれど、誰かにこっちだよって引っ張ってほしい気持ちになる日だってある。
茜を通じて描かれる複雑な女心と、微妙にすれ違ってしまう正和との関係がとてもリアルで、特にこのシーンはぐっときました。
私は女性目線でどうしても見てしまいますが、男性目線だとまた違う感じ方になるんだろうな。

これ以上仕事に生きがい感じてていいのか

「でもふんぎりつけるんだったら今かなって気もする。これ以上仕事に生きがい感じてていいのかって思うし。どんどん辞めづらくなるだろうし。

「ゆとりですがなにか」第5話 - 宮下茜

ひとつ前の茜の言葉に続く言葉です。
「これ以上仕事に生きがい感じてていいのか」って、ふと思うことありますよね。
仕事ってなんやかんやあっても結局楽しかったり、好きだったりする瞬間ってあって。
頑張ってきたからこそそんな瞬間に出会えるし、出会ってしまうからまたも少し頑張ってみようかなんて思えてしまったりする。
大体つまらないしくだらないしぱっとしない毎日でも、なんやかんや生きがいみたいになってしまっている部分もある。
でもふと、「このままでいいのかな」って、怖くなることありますよね。
私はまさにこのドラマを観ていた当時がそうだったので、ずーんと響く言葉でした。


女、男性に決めてほしくないそんなに。結婚、仕事、自分で決める。

-正和「結婚しようって言ってほしかったのかな。転勤、俺の存在が出世の妨げになってるような言い方するからさ。」
-山路「俺にはそんな風に言ってなかったよ。仕事が結婚の妨げになってるって言ってたよ。」
-まりぶ「どっちなんだよ。」
-ユカ「どっちも真実だよ。男性みんな勘違いしてる。女、男性に決めてほしくないそんなに。結婚、仕事、自分で決める。男性決めなくていい。男性、女しあわせにすればいい。」
-まりぶ「そんなこと言われたら黙るしかねぇだろ。」

「ゆとりですがなにか」第5話 - 道上ユカ

これまた女性目線の感想になってしまいますが、このユカの言葉には全力で頷きました。
女と一言で言っても色々なタイプの人間がいますが、私はこの考え方に結構共感できるタイプで、パートナーと付き合ったり結婚しても、「幸せにしてほしい」とは思わないし、結婚するもしないも、仕事を辞める辞めないも、別に指示されたくない。
いろいろな理由があって何かを選ばざるを得なくても、誰かのせいでそうしたと思わずに、自分が選んだと思いたいし、そう思えるように、自分の足で立っていたいと思います。
だから男性にも、「幸せにしなければ」「機会を奪ってはいけない」とかではなくて、自分がどうしたいか、俺がどうしたいかを、対等に考えて話してほしいと思ってしまいます。

でもきっと男性には男性ならではの想いや考えがあるんですよね。
「黙るしかねぇだろ」のまりぶの言葉も重みがあります。


俺だってわくわくなんかしませんよ。でもやってますよ。

俺だってわくわくなんかしませんよ。さっきの話。もう無理って毎日思うし、好きな生徒苦手な生徒いるし、全然同僚も嫌いな奴いる、親も、名前言ってもいいけど。顔見たくないやついるよそれでもやってますよ教師。こんな俺でも。割り算の筆算に 4時間ですよだいごくんLDの子、あーってなりますよ泣けてきちゃいますよこんなの一生なんか無理ですよせいぜい1日ですよ、でもやってますよ。

「ゆとりですがなにか」第5話 - 山路一豊

私が好きな、働く山路(笑)
教職を聖職にせずにこんな風に愚痴を山路に言わせる脚本が好きです。
誰だって何をしていたってみんな人間、楽しいことばかりでもやりがいばかりでもない。
でもやってますよ。生きてますよ。だって社会はそうやってまわっているから。
みんなそうでしょ。みんな必死でしょ。生きるってそうだよね。
かっこいいもんではないけれど、そうやって生きてるよ。
かっこ悪くたってよくない?生きていくんだから。

この作品のそんなテーマが、私は好きです。




●第6話

頭悪いは違うぞ。ダイゴは割り算の筆算の手順が苦手なだけ。

頭悪いは違うぞ。ダイゴは割り算の筆算の手順が苦手なだけ。でもいい考えだな。メガネも電卓も、みんなと一緒に勉強するための必要な道具だもんな。」

「ゆとりですがなにか」第6話 - 山路一豊

学習障害があり、算数だけ特別教室での授業を受けることになったダイゴくんという生徒。
ダイゴくんに対して、クラスの子供たちはみんなとても友好的なのですが、筆算が苦手なダイゴに対して、つい「頭悪い」という言葉を使ってしまった生徒がいました。(この生徒には一切の悪意はありません)
それに対してきちんと「苦手なだけ」と伝えた山路でした。
この考え方をつい忘れてしまう大人って結構いると思います。
差別でなく区別。欠点ではなく個性。
あらためてハっとさせられました。

この生徒の「頭悪い」発言には本当に悪意はなくて、単純に、「目が悪い子はメガネをかけるんだから、頭が悪い(筆算が苦手)なダイゴは電卓を使えばいいんじゃないかな」という発言でした。
時にこういう子どもたちのシンプルな発想が、本質だったりしますよね
公開された映画の中でも、LGBTというテーマに対してこのシーンに通じるシーンがありました。
大人って色々やっかいに考えてしまうけど、子どもみたいにシンプルな頭で考えると答えが出る。そうだ、それが本質だったよね、っていうこと、結構あります


それが本当の平等。本当のゆとり教育

「明日からダイゴくんは、算数の授業だけ学習室で授業を受けます。(生徒"かわいそう!!")  かわいそうじゃないぞ、いいか、聞いて。これは、ダイゴを置いてけぼりにするためでも、ダイゴが森くんに勝つためでもない。みんなと一緒に勉強して、みんなと一緒に社会に出るために必要な、特別な措置です。ダイゴが電卓を使っていい時代がそのうちくると思う。それが本当の平等。本当のゆとり教育だと先生は思います。」

「ゆとりですがなにか」第6話 - 山路一豊

ひとつ前の発言に続く、ダイゴくんの件での山路の言葉です。
こんな風に考えてわかりやすく伝えてくれる先生がいたから、ダイゴくんも自分らしく過ごし、他の生徒たちもしっかり本質を理解しました。
私もこんな先生に出会いたかったなぁ。

私の話になりますが、教職課程をとっていて特別支援学校での研修をさせていただいた際、クラスの中に歩くのが少し不自由な子がいました。
校庭で持久走をすると、どうしても走るのが遅いので、どんどん周りの子に抜かれてしまう。
「悔しい」と涙を流しながら走るその子に、私は並んで一緒に走ることしか出来なくて、「どうしてこんなに泣かせてまで走らせるんだろう」「かわいそうだから参加させなくてもいいのに」と思ってしまいました。

ある日、休み時間に家庭科室への移動をしなければいけない時、ふと気付いたらその子の姿が教室に見当たらなくて。
探したら、他の皆よりも一足早く、その子はたったひとりで移動を始め、苦手な階段を一段ずつ一生懸命昇っていました。
声をかけたら、「私はみんなより歩くのが遅くて、階段も上手に上がれないから、みんなより早く出るんだ」と。
そう言ったその子の表情には、悲しさは一切なくて。むしろ笑顔でした。
ただみんなと次の授業を一緒に受けるために、自分でどうしたらいいかを考えて、誰に教わるわけでもなく、そう行動していたんです。
その子は自分とお友達との違いをよく理解していて、その上で自分はどうしたらいいかをちゃんと自分で考えて見つけていました。

私は、たかが数週間の研修で一緒になっただけ。だからこそ、目の前で何かが出来ない子に対して、すぐに手を差し伸べたくなってしまいました。
そうすれば私の自己満足にはなるかもしれない。
だけどその子自身は、その子らしさを持ってこれからもっとたくさんの人に出会って、社会の中で生きていかなければならない
生きていくために、学校が教えるべきことは、苦労をさせないように手取り足取りその場を整えてあげることではなく、その子がこれからを生きていく力をつけることなんだなと、その時思いました。
先生方も親御さんも、そのような考えでいらっしゃることを知りました。
学校という場所での学びの意義を思い知った気がした体験でした。
そんなことを思い出したシーンでした。

だから変わんなくていい、上を目指さなくていいよ

別にダメなままでいいんだよまーちんは。頑張っても社長になれるわけじゃないしさ。転職してスキルアップするタイプでもない。だから変わんなくていい、上を目指さなくていいよって言いたいけど、それは上司として言えないわけ。卑屈で、頭固くて、優柔不断で、自分に自信がなくて、それがまーちん。変わったらおもしろくないし。別にだったらまーちんじゃなくていいじゃん。山路でいいじゃん。あたし会社辞める。仙台行かない。ダメなまーちんといたい。でもそれは言えない。あーあ。つまんない女だなあたしは。」

「ゆとりですがなにか」第6話 - 宮下茜

全部投げ出してまーちんといたい、まーちんだけ選びたい、という茜の素直な本音が可愛らしくて泣けました。
あれだけバリバリ仕事も頑張ってきた茜の本音って、こんなにシンプルなものだったんですよね
頑張り続ける社会人としても、「変わらなくていい」「上を目指さなくていい」って言われると、ほろりときてしまう時があります。

職場では茜は正和の上司で、その関係性が少しやりづらいところもある。
正和も、この会社で働き続けるのであれば、それなりに結果を出して出世しなければと考えています。
その思いは、サラリーマンとしての意地でもあり、男としてのプライドでもあるでしょうから、茜は否定するつもりはないし、それが正和の本音なのであれば応援したい。
でも、正和の本音がそうでないことをわかっているから。
そういうことに価値をおいて自分を押し殺して自分らしさを失うくらいなら、変わらないでほしいんです。
今の、そのままのまーちんが好きだから
いい女だよ茜ちゃん。愛しかないなぁ。
男性はこういうことを言われたら微妙なのでしょうか??



●第7話

あんたたちはね、やらなきゃできない子なの。

やればできる子なんかいない、迷信よ。あんたたちはね、やらなきゃできない子なの。…って、なんで言えなかったかなぁ、あの子に。」

「ゆとりですがなにか」第7話 - 田之口明子

山岸に対して、息子を自殺で亡くした明子が言った言葉です。
明子の息子は、新卒で企業に勤め、結果を出そうと頑張りすぎたあまり自分を追い詰めてしまいました。
怒られることや恥をかくことを恐れて、自分を良くみせようと必死になってしまう。
期待に応えなければとプレッシャーを背負い過ぎて自分を責めてしまう。
自分はやればできるから。やらなきゃ。できなきゃ。
そうやって自分を鼓舞しつづけなければならず弱音も吐けない日々は、苦しいものです。
どんなに周りから褒められても、自分自身が自分を認めてあげられなければずっと苦しいし、どんなに周りから否定されても、一番苦しいのは、自分が自分を否定してしまうことだと思います。

「やればできる」と「やらなきゃできない」は、ぜんぜん違う
社会や周囲からの無言のプレッシャーによって、思ったよりも人は追い詰められているのかもしれません。
考えさせられる言葉でした。



●第8話

ゆとりゆとり言うけどさ、あんなにゆとりのねぇやつもゆとりなんだぜ

「かっこいいよ。自分にとって大事な物ちゃんとわかってるし、そのためにハードな状況でズタズタに傷つきながら戦ってるし。俺さ、あの店の何が好きかってさ、坂間っちの働きっぷりなんだよね。それ見せたかったの今日、職場のやつらに。ゆとりゆとり言うけどさ、あんなにゆとりのねぇやつもゆとりなんだぜって。いろんなとこにぶつかって、皿割って、バイトに怒鳴られて。タレと塩間違えて水道で洗ってさ。いねぇよそんなやつ。向いてねぇよ。かっこいいじゃん。あの姿見てたら、俺もなんかやらなきゃって思うじゃん。自分探してる場合じゃねぇなって。」

「ゆとりですがなにか」第8話 - 道上まりぶ

まりぶが正和のことを言った言葉です。
○○世代とか、イマドキの~とか、いろいろ言われるけど、みんな一人一人の人間で、毎日必死に生きてるんだこのやろう、という、プライドとリスペクトを感じさせる台詞でした。
この作品のテーマを表現した台詞で、とても好きです。

道上まりぶは、作品の中では基本的にずっとふざけているけれど(笑)、ふと真面目なテンションになり本音や本質をついた話をする時の柳楽くんのお芝居がとても素敵です。

会社のためになんて変わんなくていい

「給湯室の女子たち、"あの二人デキてるみたいよ"  "えーだって宮下さんって早川課長と不倫してんじゃないの?" そんなやつらの集まりだよ、会社なんて。だから、会社のためになんて変わんなくていい、まーちんは。」

「ゆとりですがなにか」第8話 - 宮下茜

取引先で重大なトラブルがあり、会社のために頭を下げた正和が、良い意味で"愛社精神をもてるようになってきた"と言った時、茜がかけた言葉です。
茜が正和に対しても自分自身に対してもずっと大切にしていること。
会社がすべてではない、仕事がすべてではない、自分を大切に生きること。
それが伝わってくる台詞でとても好きです。
会社のためになんか変わんなくていい。自分のためでいい。自分の人生、自分が主役なんだから、自分中心でいいんだよ。


誰より上ですか?

-野上「いや坂間さんもったいないよ、若いんだからまだまだこれから。」
-正和「まだまだこれからなんです?」
-野上「いや何って言われたら困っちゃうけど、上を目指すとか。」
-正和「誰より上ですか?

「ゆとりですがなにか」第8話 - 坂間正和

そんなこんなで退職を決めた正和に対して、取引先の野上は、もったいないと。それに対して正和が言った言葉です。
自分の人生の主役は自分だから、誰かよりとか、関係ない。
「元」をとって決断をした正和が、清々しく言った言葉がかっこよかったです。

この流れで正和が茜にプロポーズをするのですが、そのシーンも大好きでした。
茜ちゃんのよろこびかたが本当に可愛らしくてとても素敵だった。
安藤サクラさん大好き。まーちんの涙もぐっときました。
あんなに色々悩んだり葛藤したりしていた茜が、すぱっと「結婚するなら仕事辞める!」と本音で笑顔で言い切ったのもよかった。
色々ぐるぐるごちゃごちゃ考えてしまうとキリがないけれど、いざ答えを出す時って、いちばんシンプルな気持ちだったりするんですよね。




●第10話

他人の間違いを、許せる大人になってください

「体と違って、心の思春期は生きている限り続きます。だから、大人も間違える。怠ける。逃げる。道に迷う。言い訳する。泣く。他人のせいにする。好きになっちゃいけない人を好きになる。すべて思春期のせいです。大人も間違える。間違えちゃうんだよ。だから、他人の間違いを、許せる大人になってください。

「ゆとりですがなにか」第10話 - 山路一豊

山路が生徒たちに伝えた言葉です。
これもこの物語のひとつのテーマを表現している台詞でした。
別にみんな完璧じゃないし、かっこわるいところもあるし、いろいろある。
でも、そうやって生きてきたし、今も生きているし、これからも生きていくんだよ。
世代やら時代やらとどんなワードで語られようが、ひとくくりにされようが、一人一人の人生があって、一人ひとりが必死で生きている。
許容し合って、受け入れ合って、それができる人たちとそばにいて、生きていこうよ。
そんなメッセージを受け取りました。




以上です!

映画版は、エンドロール中のシーンで泣けました。
この物語のテーマでもある愛すべき日常が描かれていて、とても好きでした。
最後、「つづく」で終わったので、またいつかこの物語の続きを覗きたいと思います。