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なりたい自分より、なりたくない自分を考えてみた

やりたいことがあるってかっこいい。なりたい姿があるってかっこいい。
常に理想の姿に突き進んでいけたらハッピーだ。

ただ、それがどうにもうまくいかないときもある。

ショックな出来事があったとき。落ち込んだとき。悲しみのどん底にいるとき。
人は、日々の生活を送るのでさえ必死になる。

私もどうにも動けなくなったことがある。
仕事がうまくいかなかった。失敗であれば、それは次につなげることができる。でも失敗でもなかった。失敗すら羨ましいと思えるくらい、なにも出来なかったのだ。

自分なりには動いているつもりだった。それでも、なにか結果が出るほどには行動を起こせていなかった。
なにをしたらいいのかわからなかった。なにから手をつけたらいいのかわからなかった。だけど最大の原因は「やりたい」と心の底から思えていなかったことなんじゃないかと思う。

行動を起こせず、それでも結果が求められ、これからどうしていけばいいかもわからない。考えれば考えるほど、どんどんと自分の身体と心が固まっていくのを感じた。
思考も行動も狭くなり、悪循環に陥った。

日々の生活すらままならなくなり、どうすればいいのかわからなかった。
自分のすべてが嫌になり、自分をやめたくて止めたくて仕方なくなった。

そのとき思ったのだ。
自分の嫌いな部分を一つずつ潰していこう、と。

自分の嫌いな部分を潰していく、というのはイコール自分がなりたくない自分にならないようにすることだった。

それは、理想の姿を描くよりももっとシンプルで簡単だった。
夜更かししない、朝起きる、大切な人を傷つけないようにする、仕事に取り組む。ひとつひとつ整理して、クリアするためには何をしたらいいのかを書き出していった。

私はなりたくない自分になってしまっていたから、やるしかなかった。崩れていく崖がすぐ後ろに迫っているように、道はひとつしかなくて、必死に取り組むしかなくて。ここで止まったら、もう戻れない気がした。

毎日、ひとつずつ、ちょっとずつ取り組んだ。そしたら、少しずつ動ける範囲が広がってきた。

人は「差」を実感したときに、行動に移せると言う。
理想の自分や憧れの姿、もしくはライバルだとか、上を見上げて差を感じるのがベストだと思う。

だけど、上を見上げることができないときは、下を見てもいいのではないだろうか?
なりたくない自分にならない。それはなりたい自分へと自然と繋がっていくから。


どこでもいいから。進んでいこう。

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