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コーチングが嫌いだった理由

今や世に溢れる「コーチング」という言葉。
一般的になったのっていつ頃からなんでしょうか。

私がコーチングという言葉に触れだしたのは2018年頃から。
多分世間の流れよりは遅いのではないでしょうか。

当時の私は、自分を変えたくて変わりたくて、今の自分とは違う自分になりたくてなりたくてたまらない時期でした。
「コーチング」を受けたら全然違う自分になることができる気がして、当時の私にとっては大金を払って何度か受けました。

が、その結果なーんにも変わらなくて、気が付いたときにはコーチングが嫌いになっていました。
「お金かけたのに、なんも変わらないじゃん、、、」って。

そもそもコーチングを間違って理解していた

今になって振り返ってみると、私はコーチングが何かということさえも知らなくて。
コーチングを魔法の杖か何かで、ピロリんと魔法をかけて自分を変えてくれるものだと思っていた。

コーチングとは何なのでしょうか?
改めて検索してみました。

コーチングとは、コミュニケーションを通じて対象者一人ひとりの自発的な気づきや行動を促す育成手法です。目標達成を促す手法としてビジネスの世界にも広がり、企業内の人材育成方法として用いられるようになりました。コーチングにおけるコーチの主な役割は、双方向的な対話を通じてコーチング対象者が自身の視野を広げ、特定の課題に対する解決策や新たな気づきを見つけ出すためのサポート役です。

SmartHRMag

コーチは対象者(コーチングを受ける人)の課題達成のために、対象者が抱えている悩みや、思い、希望を明確化することをサポートして、課題達成のための経路を共に照らして伴走してくれる存在。そして、その手法をコーチングというのですね。

つまり主役はあくまでコーチングを受ける人。
コーチングを受ける人がその人自身が持っているものに明かりを当てて取り出し、むしゃむしゃかみ砕いて良きように再構築をする。
コーチは時にガイドをして、そっと見守り、ときに共に悩み、ちょっと違う道に行ってませんか?と提案をしてくれる人。

コーチングは突然理想の姿に変身させてくれる魔法の杖では全くありませんでした。
新幹線を何かも知らずに飛行機だと思い込んで乗って、「飛ばないじゃん、これ!!」って言っているようなものですね、、

自分を自分で理解することが嫌だった

コーチングを嫌いになったもう1つの理由は、コーチングを受けていると自分が丸裸にされていくような感覚がして嫌だったから。
自分を自分で理解することが嫌だった、目を向けたくなかったのだと思います。

「こうあるべき」「こうした方がよい」「こっちの方が安全」
私は、いわゆるべき論や社会で言う安全なもの、に従って生きてきました。

心では窮屈さや、本当はこうしたいわけじゃないという感覚を感じていたのかもしれないけど、それを押し込めて(無意識に)頑張ることを是として。

そうやって築いてきた自分の歴史や環境は、しんどいけどそれなりに心地よくて、頑張って築いたものだから手放したくなくて握りしめていた。

でもコーチングを受けることで、どこか「私が握りしめている心地よさは本当に求めているものじゃないんだけど、手放すのがとても怖いから持ってるんだよね」という自分に気が付いてしまう気がして怖かったのです。

本音を隠す。
得意技でしたから!!

クライアントが心を開示することを許可しなければ、コーチングは意味のないものになるでしょうから、私が「コーチングなんて嫌いだーお金だけかかって。ぷんすか」となった一番の理由はこれなのかなと思います。

自分を自分に開示することが怖かった。
それがコーチングを嫌になった理由の1つでした。

まぁそんな自分も〇してみては?

私がコーチングを嫌いになった理由を書いてみました。

・コーチングが何なのか分かっていなかった
・自分の本音を知ることが怖かった

そんな私でしたが、今はコーチ業についています。

なーんて言うことが出来ればおさまりがいいのでしょうが、、、
そんなことはなく。

でもね、今はこうやって自分の考えや気持を記すことが自分で自分への問いかけと答え、セルフコーチングになっているんじゃないかと思っています。

100%自分の本音で生きています!!とは言い切れないけど、
今はこんな選択をしたのね、こんな気分なのねと客観的に自分を見つめられるようになったのはとても大きな変化で。

コーチングを嫌いになったことさえも、今の自分にとっては糧になっている。
そうやって自分の過去の選択も〇していくことができれば、未来にも〇ができる。
そう思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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