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将来の夢ないけれど、やりたいことに寄り添って生きてる

最初の記事で自己紹介を書いたのは、私の中ではとても良かった。
シンプルなデザインのサイトの仕業なのか、どうしてもこういうところに文章を出す!となると、格好をつけて書きたくなってしまうから。でも自己紹介を書いたことで、ハードルが下がった。
私にはそんなお洒落センスはない。

noteの公式には、「読者を増やすために素敵な自己紹介を書くと良い」と、そんな記事を流し目で見た。有料記事を出すつもりは未来永劫ないけど、誰かにスキになってもらいたい気持ちは私にもある。

この記事には「いま自分が取り組んでいること」と、「これからどんなnoteを書いていくか」を書くと良いとあった。あぁ、皆さん志が高い。高すぎて見上げてるとクラクラするし、首が痛くなる。

私には、子供の頃から将来の夢がなかった。
文集やら面談やらで、いつも聞かれるその質問に頭を悩ませていた。適当に流行りを書くことが多かった。
将来の夢を語るというのは、将来の野望を思い描くことだと思っている。だけど私にはその野望を持つ自信がない。自己肯定感がとてつもなく低い。自分になにか大きなことをなせるような気がしていなかったからだ。
それは今もあまり変わってない。

それでも生きていられている。

自分でも驚いている。
今やりたいことを見つめ続けていたら、たとえ志が低くとも幸せに生きていけるってことに。「やりたいことだけやる」なんて言葉が流行ったこともあったけど、そんな強い意志はない。私はやりたいことを大切に、移り気多くも、それなりにやってきただけだ。
強運なんだろうな、ありがたい。

なんとも、ぐうたらというべきか。
将来の夢がなくても、やりたいことの目標を自分の中に持って、楽しみながらほんの少し努力をするだけでもなんとかなるものだ。

こんな話を自分の子にもしているのだが、彼女には明確で壮大な将来の夢がある。何故だ?不思議だ、ウラヤマシイ。

最後に肝心のこれからの私のnote。
私がいま気になったコトやモノの話を書いていければいいなと思っている。


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