北日本一周旅行 後編

この記事は旅行記の後編です。
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後編となる本記事では⑤、⑥を紹介していこう。

⑤青森へ・特急北斗&青函トンネル

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早朝6時前。眠い目をこすりながらホテルをチェックアウトし、札幌駅の改札を通る。今日は最終日、ここから丸一日かけて関東へと舞い戻る帰路に就く。
早朝のターミナルは発車を待つ回送車両が何本か停まっていたが、利用客の方はまばらだ。幸い改札内の駅弁スタンドは営業を開始しており、朝食を確保できた(保険として前日に少し用意もしていたが)。そういえばこの時間の札幌駅といえば6時ちょうどにキハ40系の普通旭川行きというのがあったな、と思い見に行ってみると、早朝にもかかわらず同好の士と思しき人々が10人ほど乗り込んでいた。やはりその手の人々の間では有名な列車らしい。

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かくいう自分は本州へ向けて南下する身。こちらも6時ちょうど発の特急北斗2号にて、函館もとい新函館北斗駅へ向かう。ターミナル00分発車の都市間特急というのは気分の良いものだ。車両は北斗に充当される2形式のうち古い方のキハ281系、幼少期に写真集で見ていた車両にこうして乗車するというのは少しばかりの感慨がある。
利用したのは自由席。時間的にまず座れないことはないと踏んだのと、指定席車両は紫色の新型座席に換装されていることから敢えて自由席にしたのだった(実際に読み通り原形座席の車両だった)。

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列車は定刻通り札幌駅を発車した。北へ向かう函館本線も南へ向かう千歳線も札幌駅からしばらくは同じ方向へ走るため、先述したキハ40系の旭川行きとしばらく肩を並べて走るが、速度差は歴然で苗浦工場の横あたりで追い抜いてしまった。やがて函館本線の線路も左に分かれて行き、北斗2号はいよいよ南下を始める。

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北海道の駅弁は美味い。これは前回の渡道で学んだことだった。なにせ駅弁で寿司である、生の海鮮をいただけるというのも素晴らしいし、それでいて味も逸品だ。どうせ列車移動しかしないのだしビールくらい買ってきてもよかったなとさえ思ったが、ともかく朝からこれは贅沢だ。
そんな北の幸に舌鼓を打つが、車窓の方はというと正直ここからしばらくはあまり見所は無い。朝食を食べ終わると、腹が満たされたのと早起きしたこともあり、海沿いに出るあたりまで振り子に揺られながら一眠りすることにする。

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…途中何度か目を覚ましつつ、東室蘭を出たあたりでようやく頭がはっきりしてきた。ちょうど列車は内浦湾沿いの線路を進み始めたところのようだ。
旧来の函館本線に対して、海沿いに走る室蘭本線・千歳線ルートは「海線」とも通称されるが、その名に偽りない素晴らしい車窓が広がっていく。ひたすら海を眺め行く旅路はさながらクルーズのような雄大な気分にさせてくれる。

さて、1時間少々で内浦湾と別れを告げ、列車は森を発ち駒ヶ岳の付け根を進み始めた。―しかし、ここで予期せぬアクシデントが。快調に走っていた北斗2号だったが、警笛を鳴らしたと思うとおもむろにブレーキをかけ始め、そのまま停車してしまった。…間もなく入った車内放送で、「シカとの衝撃」と報告された。
北海道ではよくあることである。新函館北斗での接続時間においてすらこうした野生動物との衝撃や雪による遅延を考慮して長めに設定されているくらいで、現に行程上の乗り換え時間は22分もあった。しかし、22分以内に運転が再開できる保証はどこにもない。やきもきしながら待っていると、嫌な予感が的中したのか列車が動き出したのは約25分後だった。
こういうトラブルに備えて行程にはバッファを設けてあった。仮に新幹線を一本逃しても、青森での昼食時間をカットすればその後の行程に復帰できるようにはしていた。とはいえ新函館北斗という何もない駅で1時間以上も待たされるうえ昼食まで食いっぱぐれるのは御免だ。回復運転を加味しても乗り換えられるかは五分五分か…と思案していると、再び車内放送が入る。曰く、新幹線は接続待ちをしてくれるとのことで乗り換え予定の乗客は申し出るようにとのことだった。これでようやく一安心し、車掌に申し出るとともにすぐに乗り換えられるよう降車準備をしてデッキで到着を待った。

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新函館北斗駅での乗り換え中にそそくさと歩きながら撮った1枚。発車標の時計を見ると発車時刻を4分ほど遅らせていたようだ。対面乗り換え構造が幸いし、新幹線改札もスムーズに抜けられるようきっぷ無しで開放されていた。無事にE5系の座席に腰を下ろして安堵の息をつくと同時に、新幹線は新函館北斗駅を発車した。
はやぶさ号はしばらく道内を走っていく。北海道を新幹線が走っているのは未だに意外な感じだ。木古内を過ぎると狭軌の津軽海峡線と合流し、青函トンネルに入っていく。

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青函トンネルはそれ自体が観光スポットなだけあって、新幹線車内でも観光案内のテロップが流されていた。湿度が極めて高い海底トンネルで窓の外側が曇ったのが印象的だった。
本邦の鉄道土木を代表する存在と言っても過言ではない青函トンネルだが、個人的には何故かあまり感慨を感じないというのが正直なところだった。在来線時代に「北斗星」などで通りたかったという本音もあるが、貨物共用で最高速度が抑えられている中途半端な状態になっていることや、新幹線がまだ札幌まで通じていないこと、乗っているのが上り方向なことなども理由かもしれなかった(実は青函トンネルはこのときが3回目だったのだが、いずれも北海道側からの進入だった)。新幹線札幌開業後に東京から札幌行き新幹線に乗って通り抜ければもっと感慨深く感じられるかもしれない。

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新青森で在来線に乗り換え、青森駅に到着した。今や東北地方の代名詞とも言える存在になった701系のトップナンバーが出迎える。ここで予定通り1時間半の昼食・散策時間となった。

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駅前の店で海鮮丼の昼食。朝も寿司だったが、やはり北の港町に来たからにはこうでなくては締まらない。ここではビールもいただいた。ウニも載った豊富なネタはいずれも旨味が深く美味であった。

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食後は青函連絡船八甲田丸の方へぷらついてみた。残念ながら船内を見学する時間は無かったので、いずれちゃんと見に来たいものだ。「津軽海峡・冬景色」で強烈に印象付けられた青函連絡船への憧憬は、それが絶対に叶わない切なさをはらんでいるが、それでもこの青森という港町は往時の旅情をふんだんに感じさせる地であった。

⑥日本海縦貫線特急ルート・つがる&いなほ

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往年のターミナルに佇む特急列車。いささか編成が短いとはいえ、その風情は十分である。
ということで青森駅からは特急つがるで秋田まで南下する。本数は少ないが、3時間近くかけて青森と秋田という都市間を結ぶ在来線特急として押さえておきたい列車であった。大阪から青森に至る「日本海縦貫線」ルートの優等列車では最北のランナーでもある。

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JR第一世代らしいシンプルながら悪くない座り心地の普通席に揺られ、奥羽本線を駆けて行く。日本海縦貫線とは言うものの秋田~青森にあたる奥羽本線は内陸を走るため緑が印象的な車窓が続く。青森駅で購入したりんごのリキュールを蒲鉾と一緒にやっていると、ある意味見どころのない車窓にむしろ在来線時代の都市間列車での旅らしさを感じ、気分が良くなってくる。

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秋田に近づいてくると、車窓右手の遠くに水面が見え始める。あれがかの有名な大潟村こと八郎潟干拓地だ。かつて日本で二番目の広さを誇った八郎潟、その大部分を干拓によって陸地・水田化した我が国の農業史に残る一大事業である。大潟村内にある東経140度線と北緯40度線の交点も含めて、いずれ見物に行ってみたいものだ。

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秋田駅に到着。こちらも由緒ある立派な地上ターミナル駅だ。新幹線が来ているが、新在直通のミニ新幹線のためのりばも地上在来線ホームの一角にあり、在来線時代の雰囲気を損なわずにいた。ミニ新幹線の在来線区間は実質的には在来線優等列車と変わらないのではないかと感じ、乗ってみたくなった。

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秋田駅での待ち時間は1時間ほど、観光には足りないので駅前まで少し散策してみる。地方都市ではアーケードはよく見るが、ここのそれは異常に大きく驚いた(と言ってもその代わり距離は短いが)。日にちや時間帯もあるかもしれないが活気が少ないのが少し気がかりだ。秋田市は航空写真で見ても中心街がどこかよく分からない。
駅ナカの土産物店は充実しており、少し物色してからホームへ戻る。

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ここからは特急いなほで一気に新潟まで向かう。いなほ自体はそれなりに本数があるが、大半が酒田折り返しで秋田まで来る列車は少ない。つがるも少ないため乗り継ぐ行程はなかなか難しいが、両列車を乗り通して新潟~青森を移動するのはちょっとした夢であった。日本海縦貫線のうち北陸路は新幹線の開業によって細切れになってしまっており、純粋に特急でリレーできるのは北側だけになってしまっている。
車両は特別塗装の瑠璃色編成にあたったようだ。側面だけ捉えると少しだけブルートレインを彷彿とさせ好ましい。

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今回は奮発してグリーン車を利用!日本一豪華とも言われるいなほグリーン車を秋田から新潟まで満喫する算段だ。仕切りがあるため厳密には違うものの単純計算でシートピッチは普通席の倍、今回利用した2人掛けの席などは半ばコンパートメントのような雰囲気さえある。ヘッドレストが最近よくあるファスナー式ではないためずり落ちてくるのと、テーブルがインアームドでやや窮屈なのが玉に瑕だが、車端にはフリースペースまであり値段からすれば大満足のクオリティである。

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羽越本線は海沿いを走る区間が多い。それはすなわち車窓が素晴らしいということだ。出発時から持ってきていたウィスキーのポケット瓶をついにここで開け、日暮れゆく日本海を眺めながらしばし至福の時間を過ごす。

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秋田の地酒も忘れておけない。乗車時間が長いのをいいことにここぞとばかりに酒を飲むのが列車旅の贅沢だ。アテも地のものであるハタハタを選び、市内を見られなかった代わりにここで秋田を味わう。

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あいにくの薄曇りで夕日を拝むことはできなかったが、夕暮れの日本海の車窓は心に残る感傷があった。良い言葉ではないのを承知の上で、「裏日本」とも称される日本海側の風情は、むしろ日本の原風景とも言うべき郷愁が残っている気がして心に迫るものがある。谷村新司が「大人に変わったら日本海に逢いたくなる」と歌うその意味が分かるものだ。

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酒田を出たあたりで駅弁の夕食とした。こちらも秋田で買っておいた弁当だ。海沿いを往く車窓を眺めながらの駅弁もまた、列車旅としての旅情を最高に感じられた。
しだいに辺りも暗くなり、酒と夕食、それに旅の疲れで眠くなってきたところで、せっかくのグリーン席とリクライニングをいっぱいに倒して一眠りすることにした。
―目が覚めると車窓は完全に夜で、新潟の街の灯が見える。交直切替を全くもって見逃してしまったが、その代わり心地よい微睡であった。

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約3時間半を完乗し、新潟駅に到着した。高架ホームも見慣れてきたところだ。ちょうど新幹線連絡ホームに入線しているが、このまま真向いの新幹線がこの度のラストランナーとなる。Maxとき、引退迫るE4系を今のうちに味わっておく。

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自由席のうち2階席の一部は日本唯一の3-3アブレストとなっている。これもE4系の引退とともに失われるものなので、敢えてここに乗車した。通勤需要を見越して設けられた質素な座席だが、混まない列車であれば3人席を1人で使えるので横幅は広々だ。リクライニング機能もカットされているため新潟からの利用では乗車時間が長くやや不向きに感じたが、良い体験であった。
大宮で下車し、無事に全行程を終え帰宅した。

以上、北日本一周旅行の旅行記であった。今思い返すと、フェリーを利用したことで移動距離に対して2泊3日と比較的短い日程で済んでおり、効率的に回れたのだと感じる。その上で松島や札幌、青森で時間を取って少しは観光が出来たのも旅行として良かった。ただやはり復路のいなほ車中で夕日が見られなかったのが心残りで、というのも冒頭でも述べた歌謡曲「いい日旅立ち」の歌詞中の「夕焼けを探しに」というフレーズを思い浮かべて出発時から期待していたのだ。日本海に沈む夕日、は今後また求めていきたい。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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