北日本一周旅行 中編

この記事は旅行記の中編です。
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中編となる本記事では③、④を紹介していこう。

3.太平洋フェリーいしかり・仙台港から苫小牧西港

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仙台港フェリーターミナルに到着した。時刻は18時半、出航の約1時間前である。徒歩乗船ならもう少し後でも間に合うと思うが、フェリーターミナルまで来るバスは本数が少なく、今しがた乗ってきた便が事実上の連絡バスとなっている。
そのバスで来たにしてはターミナルが閑散としているが、旅行オタクが忘れがちな事実としてフェリーというのは実のところ自動車で乗る人が大半なので、ターミナルはガラガラでも船に乗ってみると盛況ということはよくあることである。

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埠頭に悠々と佇む“白い雄姿”、北海道への頼もしい案内人であり今宵の宿でもある太平洋フェリー「いしかり」が停泊している。フェリーとして日本最大級の全長を誇り、シンプルかつ上品な見た目は海の上のグランドホテルといった趣だ。
太平洋フェリーも実は既に利用したことがあり、友人に誘われて名船と名高い先代「きたかみ」にて名古屋→苫小牧の2泊3日・40時間航路を経験していた。本邦最長の乗船時間も全く退屈することなく非常に優雅な船旅だったことが記憶に残っており、今度は自分が友人を誘って乗ることにしたのだった。

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ボーディングブリッジを伝って乗船するなり、エントランスの吹き抜けに同行者ともども歓声を上げた。旅客デッキ3フロアすべてに面する見事なホール空間で、象徴的にエレベーターが鎮座しているのも迫力がある。実のところ観光志向の強いフェリーではこのような吹き抜けがあることは珍しくはないのだが、目の当たりにしたのは初めてであった(これまで乗ってきた船はいずれも吹き抜けが無かった)ので自分も感嘆した。乗船口を入ってすぐにこの光景という演出効果も素晴らしい。

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今回利用したのは1等和洋個室。個室の設定が他と比較してかなり多い太平洋フェリーだが、値段は安価で手軽に利用できるのが大きな魅力だろう。同船で最も設定数の多い個室が特等だというのもすごい話だが、今回は価格と客室設備、利用人数を鑑みて1等和洋をチョイスした。それでもシャワーやトイレ、冷蔵庫にテレビ、一通りのアメニティも揃った十分すぎる設備である。

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和洋を選んだ理由の一つは靴を脱いで上がるリビングスペースがあることだった。同行者と酒を酌み交わすには最高の環境であろう。
出航まではまだ時間があるが、乗船してしまえばあとはやることは泊まっていても動いていてもあまり変わりはない。荷物をまとめてひと段落したのち、先に入浴を済ませることになり大浴場へ赴いた。なかなか混雑していたがそれでも十分な広さがあり、一日の疲れを流して湯に浸かっていると、おもむろに船が動き出した。出航の瞬間を甲板から見送らなかったのは初めてだったが、正直なところこの工業港の景色に特に思い入れは無かったし、入浴しながら出港を見守るのも乙な体験であった。

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風呂の後は夕食だ。バイキング形式で食べ放題の食事も太平洋フェリーでの船旅の楽しみの一つ。感染症情勢を受けてしばらく休止していたが、今回の旅行に再開が間に合って幸いであった。ハイボールを注文し酒に合う料理を取り揃えれば、夕飯なのか飲みなのか曖昧になってくるが、ともかく最高であった。特に名物のビーフステーキ(右下)は調子に乗ってお代わりしすぎ、かなり満腹になってしまった。
本当は夕食後に部屋で飲むつもりだったが、食べ過ぎてしまったため部屋に戻るとそのままベッドに横になり、21時頃には早々に就寝してしまった。

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…深夜3時。さすがに寝るのが早すぎたのか目が覚めてしまい、少し船内を散策してみる。夜風に当たろうと甲板に出ると、船は夜霧の中を進んでいた。明かり一つない黒い海の先にはひたすらに闇が広がっている。もしこの柵を乗り越えたら、永遠に見つけられることなく存在ごとこの世から消えてしまいそうな錯覚に陥る。生と死の境目に立っているような、えも言われぬこの恐怖感は、夜行航路で同じような経験をした人にはあるいは伝わるかもしれない。ある意味で船特有の感覚を少しだけ味わってから、自室に戻って再び眠りについた。

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翌朝、7時過ぎに起床した。夜半に少し目を覚ましたとはいえ、約9時間も寝ていたことになる。ここまで熟睡できる夜行交通は船の他にないだろう。波もほぼ無い穏やかな一晩であった。
船は津軽海峡を航行している。相変わらずあいにくの曇り空だが、ここが津軽海峡であることを思えばこれもまた一興というところか。北上してきたことを実感させる冷涼な海風を浴びていると自然と身体も起きてくる。

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レストランで朝食。昨夜の夕食は色々とやり過ぎたので、落ち着いたラインナップに。多めに盛ったサラダは揚げたジャコの香ばしい食感とごまドレッシングが良く合っていて、その他のメニューもいずれも美味であった。旅行は体力が必要、朝からしっかり食べると活力が湧いてくる。

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朝食後も11時の到着までしばらく時間があり、売店を覗くと鉄道趣味者にはお馴染みのスジャータのアイスクリームがあったので購入。部屋でしばしくつろぎ、やがて船は11時ちょうど、定刻通りに苫小牧西港に接岸した。

4.札幌観光・開拓の村と札幌ラーメン

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苫小牧港からはフェリーに接続する高速バスで札幌へ向かう。苫小牧駅からJRという選択肢もあったが、時間的にも値段的にも高速バスの方に利があり、ここは鉄道に拘ることはないだろうという判断だった。実際乗り換えもなく目的地までリクライニングシートに座っているだけなのは楽だ。
バスは札幌駅行きだったが、次の目的地に向けて終点までは乗らずに途中の大谷地駅で降車した。

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大谷地駅からは札幌市営地下鉄東西線に乗車。普通鉄道に準拠した大型の車両ながらゴムタイヤ式という独自規格が興味深い。確かにキビキビした加減速が印象的であった。話には聞いていた札幌市営地下鉄の特徴である六角形の貫通路も見ることができた。
終点の新さっぽろ駅から路線バスに乗り継ぎ、次の目的地に向かう。

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今回の旅行の目的の一つでもある北海道開拓の村に到着。札幌市街地の西のはずれにある屋外博物館で、開拓時代の建物を移築保存している、いわば明治村の北海道版のような施設である。エントランスになっているのは旧札幌停車場駅舎とのこと。
園内には貴重な建築物が並んでおり、一通り見学すれば丸一日はかかるだろう。しかし残念ながら今回はそこまでの時間は無く、またこの施設に来たのには一つの明確な目的があった。

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「馬車鉄道」…明治から大正の鉄道黎明期には日本各地に存在した鉄道の形態の一つである。都市内交通や軽量交通として盛んに敷設され、軌道(路面電車)の前身と言える。しかし現在では顧みられることもあまりなく、保存運行されているのは2例のみ、市街鉄道としての保存はここが唯一だ(もう1例の保存は岩手県小岩井農場の農場内トロッコらしい)。

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村内を縦断する馬車鉄道は路線の半分ほどが複線となっている。客車は札幌市電の前身である札幌馬車鉄道の車両を復元したものとのことで、当時と異なり鋼製となっているものの雰囲気は申し分ない。保存建築が並ぶ街並みの中を闊歩していく光景は往時の「馬車鉄道」の姿を実感させた。

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車内はロングシートで、採光窓のあるダブルルーフ構造も忠実に再現されている。明治村で乗った京都市電N電を思い出したが、黎明期の路面電車となれば「電動客車」の名の通りこのような客車に電動機を備え付けたような発展をしており、あながち間違いでもないだろう。

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もちろん実際に乗車することもできる。徒歩と変わらないゆっくりとしたスピードで、コウコウと軌条を走る音が響く。馬の動きに合わせて客車のバネが前後に揺れているのが分かる。馬車鉄道を体感できる非常に良い経験であったが、こればかりは文章では表現しきれないので読者諸氏にも是非体験してもらいたいところだ。
園内の建物もいくつか見物したが、馬車鉄道を何往復も記録していたらあっという間に時間になってしまった。行きと同じ路線バスで開拓の村を後にする。行きは地下鉄新さっぽろ駅から来たが、途中でバスがJR森林公園駅を経由することが分かったのでせっかくだからと帰りはJRに乗ってみることにする。

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やってきたのはJR北海道の一般電車としては最古参である721系。シンプルで端正な正面デザインとデッキ付き転換クロスシートが酷寒地の普通電車として711系からの正統進化を感じさせ、個人的にはお気に入りの形式であるが、老朽化やラッシュ帯へのクロスシートの不向きなどの問題から引退が近づきつつあるようだ。十数分の乗車で札幌駅に到着。

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札幌駅からすすきのの方へ歩いてきた。夕方17時、まだ日の高い時間であるがここらで夕食にすることにしよう。というのも、札幌ラーメンにありつくにあたって当たり外れのない観光客向けの店を目指してすすきののラーメン横丁にあたりを付けたのだが、時世柄人出の多い夜に繁華街に赴くのは避けたいと早めの時間に決めたのだった。朝食を船内でしっかり食べたぶん昼食を省略したこともあり、腹具合も丁度よい。

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札幌ラーメンを体現する濃厚な味噌スープにバターとコーンが添えられた一品にありつく。食文化が風土を表すのはラーメンでも同じで、脂が多めで少しからい濃厚な味わいは、この北の街に訪れる厳しい寒さを逆説的に感じさせた。
食後は腹ごなしに大通公園のあたりを散策したり同行者と歓談したりしたのち、早めにホテルにチェックインした。宿では本場のルイベをアテに一杯やったりもしつつ、出発の早い翌朝に備えて早々に就寝した。

後編につづく

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