北日本一周旅行 前編

北への憧憬―。
関東に住まう人々には、これを多かれ少なかれ持ち合わせているものではないだろうか。東京から西へ向かえば太平洋ベルトを抜けて大都市がいくつも連なっているが、対して北というのは(言い方は悪いが)進むほどに閑々としていく寂しさにも似た風情がある。演歌の名曲「津軽海峡・冬景色」や、国鉄の印象が深い「いい日旅立ち」といった往年の歌謡曲も、こうした北への憧憬が歌い込まれている。
とはいえ、東北北海道がひたすらうらぶれているのかというと決してそうではない。仙台や札幌をはじめとする地方都市や魅力ある観光地を数多く有し、純粋に旅行先として十二分の価値を持っているのも事実である。
この旅行記は、そんな北への憧憬をたずねつつ、北日本を概ね一周した2泊3日の旅路の記録である。

0.行程

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今回は先に大まかな行程を示しておこう。本旅行記は6つの章に分けて構成する。
①特急ひたち3号:上野駅→(特急ひたち3号)→仙台駅
②仙台観光:仙台駅→昼食(牛タン)→松島観光→仙台港
③太平洋フェリー:仙台港→(太平洋フェリー)→苫小牧港
④札幌観光:苫小牧港→開拓の村→夕食(札幌ラーメン)→札幌市内ホテル
⑤青森移動:札幌駅→(特急北斗)→(北海道新幹線)→青森駅→昼食(海鮮)
⑥日本海縦貫線:青森駅→(特急つがる)→秋田駅→(特急いなほ(グリーン車))→新潟駅→(上越新幹線)→大宮駅

フェリー船内で1泊、札幌で1泊の計2泊3日の行程である。期間は2020年7月24日~同26日。例によって乗り物での移動がメインの旅行なので、現地観光が薄味なのは許していただきたいところだ。
前編となる本記事では①、②を紹介していこう。

1.特別急行ひたち3号・上野発仙台行き

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7月24日午前7時15分。暖かくなり感染症情勢もひと段落していた折に旅に赴いた。北への旅の起点となれば上野駅、これ以上の舞台はないだろう。あいにくの曇り空だが、この先雨は降らないらしい。寂しさへの憧れという意味では、この曇り空もまた舞台装置の一つに思えてきよう。
せっかくだからと駅舎の姿を拝んでから、中央改札へ足を踏み入れる。開放的な吹き抜けと大きな発車標は旅への期待を高めてくれるものだ。改札口を入ってすぐの駅弁屋で、東京を旅立つ朝にはお決まりの「チキン弁当」を仕入れた。

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さて、上野駅地上ホームだ。かつては東北や北陸方面への玄関口として栄華を誇った由緒あるターミナルだが、新幹線の開業、夜行列車の衰退、さらには上野東京ラインの完成なども相まって、“途中駅”と化した現在では往時のような趣を味わうことは難しい。
しかし、この地に2020年になって奇跡のような列車が帰ってきたのである。それが今回乗車する特急ひたち3号だ。

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震災から9年を経て2020年3月についに全線復旧を果たした常磐線。震災前と同様に仙台まで直通する「ひたち」も3往復設定されたが、上野東京ラインの開通により常磐線特急は基本的に品川発着となっていた。ところが、仙台行き1本目のこの「ひたち3号」のみ、ダイヤ上の都合か上野駅始発として運転されている。つまり、特別急行ひたち3号というのは「上野駅地上ホームを朝8時ちょうどに発車し、約4時間半かけて幹線を走り抜け東北の大都市仙台へ向かう在来線特急」という特急列車全盛期を強く彷彿とさせる列車なのである。今回の北への旅行のファーストランナーとして、これほど相応しい存在はないだろう。
17番線で同行者と落ち合い、意気揚々と乗り込む。荷物を上げたり食べ物や飲み物を並べたり、座席まわりがひと段落してまもなく8時00分となった。

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列車は定刻通りに上野駅を出発、しばしの間山手線などの通勤電車と肩を並べて走る。あちらの日常利用客を、非日常の客として旅の長距離列車から眺める一種の優越感も、この手の旅行のスパイスだ。
今回は普通車を利用した。仙台まで優雅にグリーン車というのも一つの夢だが、普通席もしっかりとした座席で落ち着いた黒のモケットは悪くない雰囲気だ。ブラインドのレールがあるとはいえ2列連続の1枚窓も特急車両らしさを兼ね備えている。このE657系と中央線のE353系は新幹線時代の現代における都市間特急用車両として、これからも愛用していきたいところだ。

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朝食のチキン弁当をつついているうちに、ひたち3号は順調に常磐線を進み常陸の平野を駆けて行く。広大な農地は東京の後背地としての近郊農業の盛んさを如実に表しているようだ。
実のところいわきまでは過去にひたちに乗車済みの区間だった(正確にはいわきから上り方面に乗車していた)。もっと言えば常磐線は比較的普段から乗る路線であるし、土浦や水戸までも何度か乗ったことがある。だが、見慣れた車窓も上野駅を発ちこれから仙台に向かう旅路の途中と思うと大きな旅情を持って感じられるものだ。

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水戸を過ぎ、日立、高萩と進んでいくと、次第に右側の車窓に太平洋が見えてくる。幸いなことに天気も上り調子なようだ。いわきを過ぎ特急再開区間に入れば車窓に緑が増え海もさらに近くなる。新幹線はおろか東北本線でも味わえないこの車窓を得られるというだけで儲けものだろう。

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「歴史的に正しい都市間特急だ!」などとはしゃいでいるだけでは勿体ないのもひたち3号の旅の特徴かもしれない。富岡~浪江間の復旧区間の沿線では、今なお帰宅困難区域指定を受けたまま除染作業が続けられている。9年前から人の手が入らぬまま、時が止まったというよりむしろ残酷に時が過ぎてきたことを実感させる草生した廃墟群は、この地が負わされた宿命を深く感じさせる。それでも、常磐線の復旧によってようやく人が戻れるようになってきているようで、運転再開はゴールではなく復興のスタートなのだと実感させられる。

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新地~浜吉田間は津波による被害を受けて内陸に線路を移設した区間だ。被災という背景は踏まえつつも、線形の良い単線高架を行く車窓は純粋に爽快である。この区間も全線復旧前に乗車したことがあったが、当時は普通列車だったので今回特急列車で乗り通せるのが贅沢だ。
そうこうしているうちに左側から東北本線が近づき、列車は合流地点である岩沼駅を通過していく。つまりここから先は、僅かな距離ながら純然たる「東北本線特別急行列車」となるわけだ。改めて思い返してみると、東北本線を定期列車で特急が走っている区間は東京~栗橋間とここ岩沼~仙台間のみなはずで、そう考えるとやはり趣深い。

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高架区間から望むは仙台都市圏の街並み。七大都市の間をJR在来線特急が直接結んでいるのは東京仙台間だけであり、ここまで来たことが早くも感慨深い。

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地上に降り、特別急行ひたち3号はいよいよ終着駅へと吸い込まれて行く。
個人的に東武浅草や青森駅の印象からかターミナルというのはカーブして入線していくというイメージがあり、その意味でもこの車窓は印象深いものとなった。

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12時29分、上野から4時間半を完走し、ひたち3号は無事に終着駅仙台に到着。かつては寝台特急も発着した由緒ある1番線に入線するのも粋である。旅情も乗り応えも素晴らしい列車であった。

2.仙台観光

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東北最大の都市、仙台。その玄関口に相応しい威厳を持つ仙台駅地上駅舎は、駅前に張り巡らされたペデストリアンデッキを含めてこの街の象徴的な光景の一つとなっている。ひとまずこれを一目見てから、さあ行動開始だ。
現在の時刻は12時半。仙台ではここから夕方5時頃までしばしの滞在時間があるので、軽く観光する算段だった。ただし、まずは昼食だ。
仙台と言えばもちろん牛タンだろうと店を探し始めたが、夏休みに入っていることもあってか駅構内の店舗も駅前アーケードの店もどこも行列が形成されていた。滞在時間も長くないので昼食ばかりに時間を取られるのも勿体ないが、ここまで来て牛タンを諦めるというのも惜しい。悩んだ結果…

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「利久」である。仙台発祥の牛タン専門店であることには間違いないのだが、全国展開をしており何であれば私の地元のショッピングモールにも出店している。そう思うと微妙な気がしないでもないが、仙台で地場資本の店で牛タンが食せたのなら次第点ということにしておこう。大手なだけあって味も申し分なかった。

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退店する直前、会計の横にこれを見つけて思わず写真に収めた。仙台に実在した福の神、仙台四郎の人形である。この地におけるある種の民俗信仰を示すものとして、これを見られただけでも仙台市内で食事をした甲斐があったというものだ。
店を出ると時刻は13時半過ぎ、残りは3時間半といったところか。複数箇所を回るには厳しいが、どこか一つのポイントなら十分観光できそうだ。同行者としばし打ち合わせ、市内散策や地下鉄乗り通しなどの案も出たが、次の行き先である仙台港フェリーターミナルが仙石線方面なこともあり、ここは無難に松島に行くことになった。

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せっかくなので仙台駅ではなく始発のあおば通駅から乗車。シールドトンネルでこじんまりとした1面2線の単独地下駅はJRらしからぬ雰囲気だが、いざ電車に乗り込むと地下区間を行く205系は往年の京葉線を思い出させる懐かしさを感じた。
あおば通から乗ったのは当たりだったようで、次の仙台駅では乗り換え客が大量に乗車し一気に立ちまで出る乗車率になった。

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塩釜のあたりでは高架区間を走る。駅間も家々との距離も近く、この路線が私鉄由来なことを強く実感させる。途中東北本線と並走する区間では、富山地鉄から見た北陸本線の車窓を思い出す雰囲気もあった。
右手の車窓に穏やかな内海と島々を望んでまもなく、電車は松島海岸駅に到着した。駅を出てすぐのところで遊覧船のチケットが販売されており、出航時刻や乗船時間を確かめるとちょうど手頃なオーダーだ。何も決めてきていなかったので一瞬悩んだが、同行者の決断でチケットを購入することにした。行程を立てるだけではなくこういうときに瞬時に判断を下せるのも、旅行に際する重要な能力だと思った。

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松島海岸は新しそうな公園が綺麗に整備されていた。古くからの観光地にしては意外に思ったが、これがおそらくば津波被害からの再整備なのだと気づく。きっかけこそ負の出来事であれど、そこから一等観光地に相応しい空間を新たに整えているのはある種の力強さを感じる。
桟橋に赴き、先ほど購入したチケットで観光船に乗り込む。この手の船によくある90年代の面影を感じさせる好ましい雰囲気で(銘板を確認し損ねたので改めて調べてみると1999年竣工とのこと)、乗客はそれぞれのグループがまとまって着席できるくらいの適度な乗り具合だった。2階のグリーン席も興味があったがやや混みあっていたため、自分たちは1階の窓際に腰を下ろすことにした。

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遊覧船というだけあって島々のすぐそばを航行していく。公園からはだいぶ遠く、これだけ近くからたくさんの島を観覧するのは船からでないと不可能だろう。やはり乗船して正解だった。
小島が無数に集まっている景勝地は他にも英虞湾や九十九島などがあるが、松島の特徴はやはり松が自生していることだろう。旧来より目出度いものとして見られてきた松がこれだけ多く象徴的に生えている光景は、現代はもとより歴史的にも非常に印象的だったと思われ、季語を完全無視した俳句を詠みたくなるのも頷ける見事さであった。

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陸に戻りまだ少し時間があったので、散策していると駅前で牡蠣を出している店を発見した。生牡蠣もあった気がするが、出先で体調を崩すわけにはいかないので大人しく焼牡蠣を注文。醤油を垂らしただけなのに旨味が素晴らしく、「海のミルク」と評するに相応しい濃厚さがきわめて美味であった。
仙台での観光については何も決めてこずに来たが、松島の遊覧船に牡蠣となんだかんだ時間を余すことなく満喫することができた。

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松島海岸駅から仙石線上りに乗り、途中の中野栄で下車する。フェリーの連絡バスは仙台駅を出たのちこの駅を経由して仙台港に向かうため、中野栄駅で乗り換える方が時間を節約できるという寸法だ。
特に何の変哲もない駅前ロータリーでしばらく待ち、やってきた宮城交通の赤いバスに乗り込む。フェリーターミナルへのアクセスが途中駅からバスというのはフェリーあるあるの一つかもしれない。

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港湾地区に入っていくと、何やら自動車が大量に整列されている。左奥には既に入港している太平洋フェリーが見えるが、今日の便は名古屋発なので販売用に運ばれてきたトヨタの新車あたりだろうか。対北海道だけでなく以外にも本州内航利用も多いようだ。
まもなくバスは太平洋フェリー仙台港フェリーターミナルに到着した。ここからは豪華フェリーに乗り、ついに渡道だ。

中編につづく

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