ドイツでの経験から、加賀での挑戦へ
デュッセルドルフのアート拠点
今井 この番組は暮らしをつなぎ続けるためのヒントについてお話を聞いていますが、ここまで3回お話を伺って、大土町はまさに暮らしをつなぎ続けるのが難しくなってると思います。暮らしをつなぎ続けるってどうしたらいいんだろう、ネイティブとはなんだろうと、本当に考えさせられました。
木村さんは加賀に来る前はドイツにいらっしゃったと伺ったんですが、ドイツのどちらで、どういうことをされてきたんでしょうか。
木村 デュッセルドルフっていうドイツの西側の街に住んでいました。元々のきっかけは、東京に住んでいてもう既に妻と暮らしていて、ところが妻が美術館のキュレーターをやってたんですけど、研究職に変わっていきたいっていうことがあって、研修のためにドイツに行くって決まったんです。僕はその頃雑誌のカメラマンをやっていって映像も作ったりしていたんですけれども、このまま続けて全部ずっと多分おそらくあんまり変わらない東京での暮らしがあるんだったら、ドイツに一緒に行っちゃうかなと思って、ただついていったっていうのが最初なんですけども。実際いざ行ってみてから仕事を探しました。その中でドイツではアーティストがいっぱいたくさんいて、有名とか、それで食えているとかっていう人だけじゃなくて、個人での作品を作っているという人もいっぱいいて、そういう人たちに混じりながら話していくうちに、やっぱり自分もどんどん作っていきたいなみたいな感じで、そういった活動もいっぱいやるようになっていってあっという間に5年が過ぎてっていう感じの暮らし方でした。
村上 なるほど。映像に限らずアーティストの人たちが、デュッセルドルフには結構集まっているということですが、そういう人たちが長くやっていける土壌みたいなのがあったりするんですか。
木村 そうですね、デュッセルドルフというと、やっぱり有名なデュッセルドルフ・アート・アカデミーという芸術大学があって、特にベッヒャー夫妻っていうドイツの写真の世界ではものすごく有名な大御所がかつていて、その人が教えていて、それが脈々と受け継がれて、結構有名なアーティストがずっと出ている街だったりするんですね。
僕はドイツに行ってから文化庁の新進芸術家海外研修制度っていうのに申し込んで、隣のケルンという町にある、ケルン・メディア大学(KHM)っていう大学にゲスト研究員みたいな感じで通うことになったんですけれども、その大学は今度はテレビとか映画とかを中心にすごく有名な大学で、作品を作る人がたくさん周りにいたということです。
村上 作品を作っていくうえで、それを発表するのも大事なモチベーションの一つかなと思うんですけど、どうしても日本だとそこそこ名のある方じゃないと作品を展示するとか、僕ら普通の人の目に触れることってないような気もするんですけど、そのあたりいかがですか。
木村 まさにその通りで、僕はドイツに行くまでは仕事をしながら、帰ってきてから夜中に自分の作品の構想をまとめていました。またそれをあまり人に話したことはなかったんです。発表するときも、海外の映画祭とかに発表するんですけど。日本でいわゆる実験的な短編映画みたいなものを発表できる場所というのは少なくて、仲良くなったりして飲みながら「そういうの作ってるんですよ」なんて言うと、なんていうのか、ちょっと自分が無駄なことに力を注いでいるすごく奇妙な変な人のように周りから見られているんだろうなって自分でも思っていたし、それに対する社会的なポジションもないし、非常に生きづらい感じがあったんですよね。
ところがドイツに行って、デュッセルドルフに腰をすえてみると、社会的にものすごく大きな存在なんです、そういう人たちが。自分は作っている、それによって社会に対してメッセージを発している、そういったものを発表する場所も多く、そういう人たちに対する国や県や州の助成金もものすごく多い状況でした。
新しい映像との関係を、加賀から
村上 そういった5年間を経て、加賀に結局行かれるわけですけど、他のチョイスも含めて何か検討されていたのか、加賀に何かポテンシャルを感じたのか、どうだったんですか。
木村 その後は本当に偶然でした。そもそも戻るきっかけとなったのは、映像を作る仕事をしているのと、妻の研究職とで、かなり生活の中は本当にフルで回転していなければいけない状態で、帰国する1年前に僕たちの娘が生まれたんですけれども、そのために時間を取ろうとすると、かなり収入がもう減ってきていて、ドイツのちょっと怖いルールなんですけれども、ドイツ人に対して海外からの移民っていうのは70%以下に支払いを抑える必要があるんですね。そういった意味ではこれ以上上がる見込みも特になかったですし、まず日本に戻ろう、いったんちょっと体制を整えようということで、戻ることにしたんです。
その時に僕の実家である群馬か、妻の実家である石川県かどっちかにしようっていう話になって、食べ物が美味しい石川県にしようってなったんです。
村上 加賀で「映像ワークショップ」という法人を作られて活動をしているわけですけど、そこのイメージにはドイツのイメージみたいなコミュニティーみたいなところがあるんでしょうか。僕からするとただ単純に作品を作ってるというのでもないように思えるんですが。
木村 実際のところ、映像ワークショップっていう社名を最初に考えたときの経緯としては、ドイツですごくお世話になっていた施設がありまして、Filmwerkstatt、英語に直すとフィルムワークショップという場所でした。それはつまり映像ワークショップなんですけど。
昔の鉄道に荷物を積み込んだりとか、鉄道をちょっと直したりもするような、結構広大な場所があって、そこを元々はスクワットといって60年代に大学生たちが占拠して、それはデュッセルドルフ・アート・アカデミーの学生たちだったんですけど、みんなで映画作ろうぜっていうような感じで勝手にやり始めた場所なんです。それがだんだん70年代、80年代となって定着していく中で、デュッセルドルフ市が管理して99%ぐらいは市からの助成金によって成り立っていて・・・
村上 そこからもう合法になっていったんですね
木村 そうですよね。メインの活動としては上映会。有名なそれこそトム・クルーズが出るようなものから、すごくマイナーなもの、若い映画監督が作って「試しにみんなに見てもらいたい」みたいなものまで、いろんなものを見せていて、住民たちが夜な夜な自転車で駆けつけて、みんなで見て、終わった後に酒飲みながら、あーだこーだ言いながら感想を言い合うっていう会が行われていて
村上 楽しそうですね。
木村 そうなんです、めちゃめちゃ楽しいんですよね。それだけじゃなくて映像制作のためのワークショップをやっていたりとか、デュッセルドルフのアート・アカデミーとか、それこそ僕が通っていたケルンのメディア大学の学生たちに向けて、もう一歩高度な技術を得るにはどうしたらいいかとか、有名な映画監督を呼んできてレクチャーをしたりとかっていうことをやっていたり。
なんていうか、僕にとってはそれまで、映像とは制作するっていう関わり方しかなかったんですね。もっといろんな使い方、映像との関わり方がもっといっぱいあるんだ、それを全部楽しんでよかったんだ、そうかっていうのが目からウロコで。
そういう意味では加賀市に戻ってきてすぐにアーカイブをやりだしたっていうのは、僕にとっての最初のチャレンジだった感じですね。
村上 加賀に戻ってきて4年ぐらいの間に、どういうふうになっていて、これからどういうふうにしていこうっていうイメージとかどうですか。
木村 そうですね、映像とのいろんな関わり方っていうのを意識していくのと同時に、社会の中での映像の役割っていうのが、ここ数年でだいぶ変わってきたなっていうのを実感していて。
それまでは映像を見るっていう視聴者の立ち位置というか、映像との関係がメインだったはずなんですけど、誰もが作るようになったし、カメラがカメラとしてっていうよりはセンサーの一部みたいな、何か社会の流れ、AIの大きな仕組みの中の一つのセンサーみたいにカメラが使われているっていう方がメインになってきているような感じがしていて。
その中で映像ってどういうふうに今度関わってたらいいんだろうっていうのが僕の中の今のテーマですね。
日本を離れていたこの5年間の中に、もしかしたらそのスマホみたいなものが大きなきっかけなのかもしれないけど、ある種その木村さんからしたタイミング的に一致して、やりたいことこれならいけるんじゃないかみたいな、そういう揺さぶりがいがあるタイミングだったんですかね。
木村 それは確かに振り返ってみると、いいタイミングで戻ってきたかなとは思います。
村上 改めて映像ワークショップというのはどんな活動をしている団体になるんでしょうか。
木村 社会における映像のポジションが変わるような今の状況の中で、新たな映像との関わり方を実際に考えてやってみるっていう場にしていきたいです。
村上 自分たちがこうやるべきことが見えていく中で、今、加賀にいるという、改めてここを0と見たときに、どういう時代に、映像作家そして映像ワークショップとして存在し続けようとしてるという意味ではどうですか。
木村 うーん、難しいね・・・。でもやっぱりドイツを経てとてもよかったなと思うのは、日本にいるとすごく自分自身の東京自体とか思い出すと、やっぱり他の業者さんとか他のカメラマンがやっていることに合わせて、時代の最先端にいなきゃみたいな意識があったんですけれども、ドイツって結構、全然そんなに協調性がないというか、バラバラで。「いや別に4K使うやつは4K使えばいいけど、俺はまだずっと16ミリフィルムでやってんだよね」っていう人も割といっぱいいたりとか。なんかみんな勝手なんですよね。自分も日本っていう社会の中でそういう勝手な映像業者さんでありたいなって思いますね。
今井 すごく楽しい仕事に外から見てるとすごく聞こえます。このシリーズでは大土という町の話を聞いてきたわけですけれども、今までになかったようなアイディアで大土を改めて位置付けていくような仕事・役割なのかなとお話を伺っていて思いました。ありがとうございました。
(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 木村悟之)
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次回のお知らせ
北海道白老町の飛生(とびう)という地区で、廃校になった小学校を拠点に彫刻作品を作り続ける国松希根太さんにお話を聞きます。かつて子ども時代を過ごした町で、今までつなぎ続けられてきたアート拠点。国松さんはどんな日常を過ごし、そこからどんなことを感じて作品を作っているのでしょうか。お楽しみに。
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