見出し画像

福島要一、11期33年日本学術会議委員だった:「民科」に共産党員が多い事も記述

日本学術会議に長年在籍していた共産党の福島要一氏の著書に、彼が学術会議とどのように関わってきたのかが書かれていますので一部を紹介します。

11期33年日本学術会議会員だった福島要一

学者の森2

「学者の森」の四十年 福島要一(下)はしがきⅱ頁より。

福島要一氏は、1期から12期まで(上巻のはしがきには途中1回落選したとある)のうち、11期もの間、日本学術会議の会員だったと書いています。

「7期連続」とは言われていましたが、ここまで関与しているとは思いませんでした。

たしかに、日本学術会議に関する著作を執筆する「資格」のある人であると言えるでしょう。

13期からは3期以上在籍していた者は委員になれないルールに変更され、現在は「再選不可」のルールになっています。

民主主義科学者協会の深い関与

学者の森3

「学者の森」の四十年 福島要一(上)17頁より

福島氏は、日本学術会議の構成に民主主義科学者協会のメンバーが多数選ばれており、役割が大きかったことを書いています。

福島氏自身も、「民科」の一員でした。

福島氏は「民科」が日本学術会議の組織や考え方に大きな影響を持ったこと、共産党員が多かったこと、ただし、構成員は多種多様なものであったこと、「地学団体研究会」と協力して会員選挙に力を入れていたことなどを紹介しています。

日本学術会議の創立時の委員には(拓殖秀臣氏の著作からの引用だが)、一部4名、二部5名、三部5名、四部8名、五部2名、六部2名を送り込んだと記述しています(当時は7部構成。医学の部門である七部には送り込めなかった)。

なるほど、「民科」は現在、法律部会以外は活動をしていないのですが、こうした背景があるから法学者に「民科」の人間が多いのだということがはっきりしました。

取りあえずはここまで。

以上

サポート頂いた分は主に資料収集に使用致します。