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日本学術会議を共産党員支配下に置いたとされる福島要一とは?

こちらで東大・ICU名誉教授の村上陽一郎氏と屋山太郎氏の弁から、日本学術会議は7期連続で委員を務めた福島要一氏を中心に共産党の支配下となっていたことが指摘されていることを提示しました。

日本学術会議 第一部 ニューズレター(第23期8号) でも「35年」の歩みとあり、福島要一氏の著書【「学者の森」の四十年―日本学術会議とともに】では「40年」とあるので、連携会員としても関与を続けていたのが分かります。

福島要一氏の情報がネットではほとんど出てこないため、日本共産党の機関紙の「前衛」1968年11月号を見てきました。

前衛1968年11月福島要一1

沖縄・小笠原返還要求中央実行委員会の代表委員、沖縄・小笠原返還同盟の理事長として紹介されています。

いかにも共産党組織っぽい名前です。

「沖縄返せ・安保なくせ」というスローガンが書かれたバッジがありますが、これは返還同盟のものです。

沖縄返還安保

日本学術会議についても「前衛」の中で触れられており、学術会議会員の選挙権・被選挙権を沖縄の学者が持つように(沖縄返還は1972年)働きかけていたというのが分かります。

前衛1968年11月福島要一3

第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号 昭和30年7月29日
○山中委員 省略
 私はここに共産党に対するところの機関である公安調査庁の資料を持ってきておりますが、内容について詳しく述べることは時間がありませんので差し控えますが、長野あるいはその前の高知ですか、それらの教研大会等において、いかに日教組のこの教研大会に対する集団攻撃が重点的に行われたか、しかもまた、あなた方の教研大会を自分たちがイニシアチブ、ヘゲモニーを握るに至るまでどのような努力を大会に集中しておったかということは、具体的に何月何日何時より何時までどういう人々が集まったかということがはっきり出ております。その中には、日教組の中にある全国グループ会議というようなものも持たれておりますし、また、共産党のそのような会合に対して、あなた方日教組講師団の教研大会に出席されました人々がここに一ぱい入っておられますが、それらの人々のうち、そのグループ会議に出席をされまして、しかも指導的な役割を果しておられる方もおられます。しかも、それらの人々のうちには、単にあなた方の日教組の講師団の一人であるばかりではなく、教科書の編著に明瞭にタッチしておられる人々がおられるわけであります。しかもその中には明瞭に届出の共産党員もおられます。私どもとしてはそう思っているわけです。たとえば国分一太郎、福島要一という人、こういう人は届出党員であります。その他にシンパサイザーもおられましょうし、いろいろとそういった人が、あなた方の教研大会を目ざして、共産党が重点を置いたそのグループ組織会合に出席をせられまして指導的な役割を果しておられる。はたせるかな、あなた方としてはこれに対して努力されたととも、ここには明瞭にしるされているが、現実においてそれらの人々は着々と一歩ずつ地歩を固めてきつつあります。共産党の機関誌「前衛」において、長野教研大会の成功は全くわれらのパック・アップしたものであって、新しい労働運動がここから始まってきたのだということを高らかに謳歌しております。

国会議事録には、福島要一氏が共産党員であるという指摘をする者の発言が残っています。

※このエントリは追記するかもしれません。

※※続きらしきものを書きました。

以上

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