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「ブルーリボンバッジの着用頻度」という日本人分断工作

毎日毎日付けてるような議員なんて、数えるほどだろう。

バッジの有無だけで人物評価なんてのは、ただの分断工作でしかないです。

ブルーリボンバッジの本来の用途

ブルーリボンバッジは、そんな使われ方をされるために作られたのではない。バッヂ本来の役割は、拉致被害者奪還に向けた集合意思を形成するためのものです。

矮小化された論点にリソースを割かせる工作

「バッヂをつけてる頻度」を問題視することの害悪は、河野太郎議員の話やブルーリボンバッヂの話に限らないのです。

他の政治的な問題においても

単純化された不毛な論点設定で情報が錯綜しリソースが削がれ本質的な認識・議論が広がらない】という状況を生み出すこと。

これが害悪であり、分断を狙う者の目的。

したがって、「テレビ出演のときは河野太郎はバッジを外していた!」「着用頻度が少ない事が問題だと言っている!」などの低レベルの話をしている者にいちいち指摘することはしません。

論争化されることそれ自体が害悪だから。

「正しい批判」が人物disの道具になってる人へ

さらに言えば、今回の件で「正しい批判」をしている者も要注意です。

一人が全てを背負う必要は無い。そのための政党政治

これは一つの考え方だと思うのですが、普段そんなに付けてない人がブルーリボンバッジをつけることで「おっ今日は付けてるなッ!」って反応が生まれることで、ブルーリボンバッジの存在が喚起されたり強調されたりしませんか?

逆に、常につけているとそれが当たり前になり過ぎて話題にもしなくなるというのが実際では?

全員が同じ着用行動を取る必要は無くて、安倍さんや菅さんや岸さんはほぼ常につけてるレベルで常に存在を示し、他の議員は定期的に付けることで着用時に違いがあって目に留まる。

こうした広い役割分担の中でブルーリボンバッジが機能すれば良くて、特定個人にある1つの着用方法を強要するべきではないでしょう。


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