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李登輝総統と武士道、そして日本精神

台湾の本省人初の総統、李登輝氏が逝去されました。

ご冥福をお祈り申し上げると共に彼に関していくつか書き留めておきます。

李登輝総統と武士道

李登輝氏は1923年(大正12年)の生まれです。

私の祖父と同世代です。

私は祖父とまともに会話できるレベルになる前に祖父が他界しましたが、【戦前の日本人】について血肉を宿した言葉で把握したのは李登輝氏の書籍によるところが大きいです。

その中で「武士道解題 ノーブレス・オブリージュとは」というものがちょうど手元にありました。

彼の業績に関しては既に至る所で紹介されているので、ここでは本書を中心に彼の思想に触れていきます。

李登輝と日本の偉人

武士道解題」には李登輝氏の生い立ちが書かれていますが、それよりも厚い文量をもって、日本の偉人の経歴や業績が紹介されています。

禅と日本文化を世界に広めた鈴木大拙、哲学の大家である西田幾多郎、そして「武士道」の著者である新渡戸稲造。

彼らの人生から、少年期・青年期の李登輝氏がどのように影響を受けたのかが描かれています。武士道の理解の前置きとして記述され、実に本書の3分の1を占めます。新渡戸稲造に関しては、李登輝氏が農業経済学を学んだきっかけであるため、特に詳細にその人生が記述されています。

そして、巻末には2002年10月に予定していた慶應義塾大学での講演「日本人の精神」の原稿において、八田與一の嘉南大圳の灌漑事業に関して、詳細に論じています。

李登輝氏を通じて、戦前の日本人の思想、信念を見ることができます。

「使役」に報じた李登輝氏の中学生時代

李登輝氏が中学時代のエピソードとして「使役」に関するものがあります。

朝の6時頃に起床の鐘が鳴ると同時に奉仕活動に向かう同学の中でも、もっとも人が嫌うであろう便所掃除を行ったと書いています。

とにかく、みんなが嫌がる仕事を率先してやりたかったのです

それは学校教育における道徳観と、小学生時代に読書に勤しんだことによって生まれた自己修練の気持ちからでした。

最も辛い事を貫けるかどうか、それが自分に課した最大の課題だったのです。

この時点で、「ああ、この人は日本人なんだなぁ。」というものを感じ取ることができます。

それまでの思想を止揚(アウフヘーベン)したところに新渡戸稲造の「武士道」

本書では李登輝氏が私淑した思想家の名前がポンポンと出てきます。

親鸞、エマニュエル・カント、ゲーテ、倉田百三、トマスカーライルなど。当時の日本人のインテリ層が学んだであろう書籍、思想家の考えとそれを受けて「死生観」に懊悩呻吟していた李登輝氏がどのようにそれらを実践しようとしていたのかを端的に説明していきます。

李登輝氏は、青春時代の魂の遍歴に最も影響を与えた三冊としてゲーテの「ファウスト」、倉田百三の「出家とその弟子」、トマスカーライルの「衣裳哲学」を挙げ、その三冊を止揚(アウフヘーベン)したところに新渡戸稲造の「武士道」があるとしています。

と、ここまで【書籍の中で紹介されている書籍】について書いていたのですが、お分かりでしょうか?

李登輝氏はこれらを自分で或いは旧制台北高校などで読んだ(中には英語の原文で)としていますが、要するに、当時の日本(台湾含む)において世界中の書籍が集まっていたということです。

そのような「文化レベル」について本書でことさらに強調されることはありませんでしたが、そうした土壌があったからこそ李登輝氏が学ぶことができた、というメッセージが潜んでいると思います。

さて、「武士道」についての解説部分はここでのテーマじゃないので捨象し、彼の現代日本に対するメッセージを一部紹介します。

現代日本に対する失望と期待

本書の冒頭、あとがきにおいて、李登輝氏が現代日本に対して懸念を表明し、また期待を表明しているのがわかりますが、本書刊行後14年が経過しても示唆に富む記述があります。

いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、と私は憂慮しています。そして、この傾向をこのまま放置していけば、日本だけではなく世界全体が不幸になる、と心の底から危惧しているのです。

はじめに 12頁
日本でも、最近になってようやく「教育基本法」そのものをもう一度見直してみようといった機運が盛り上がってきているようですが、このような「心霊(精神)改革」の動きに対して最も強引に反対するのは、やはり「中国」でしょう。彼らに言わせれば、「武士道」などというものは、日本の軍閥によってでっちあげられたものであり、日本の軍国主義や侵略政策を正当化しようとする以外の何物でもないのだ、ということになってしまいます。
おそらく、私がいまこのような本を世に問うたら、それこそ彼らは目の色を変えて騒ぎ立てるでしょう。ことあるごとに「日本の教科書」などについて内政干渉も甚だしい態度を示してきた連中のことですから、どんなに不条理なことを言ってくるかわかりません。私自身もそのことについて熟慮を重ねました。しかし、それでも構わない、こういう時代だからなおのこと「いまこの本を公刊することに意義があるのだ」と決意を固めたのです。なぜなら、それもまた「武士道」精神の根本だと思い定めたからです。

あとがき 319頁

チャイナが日本の教科書の記述に関して文句を言ってきたということは厳然たる事実です。教育基本法については、第一次安倍政権において、改正が実現されました。

台湾人であるにもかかわらず、22歳までは日本人だったということから、日本国内の問題を我が事のように受け止め、考え、改善策を論じていたのです。

李登輝氏から学んだ日本精神(リップンチェンシン)

私が「武士道解題」と「台湾人と日本精神」を呼んだのは2009年頃でした。

既にいい大人になっていたのに、日本というものを、日本人というものを全く知らない、むしろ台湾人である彼らの方が、知っているではないか、恥ずかしい。

こういう想いから、新渡戸稲造の「武士道」や福澤諭吉の「学問のすすめ」、夏目漱石や太宰治、芥川龍之介の小説など、戦後日本の書籍をいくつか読むようになり、私の中の「日本人」が形成されていったと思います。

同時期、その傍らにエドマンド・バークの「フランス革命の省察」、ハイエクの「法と立法と自由」など、現在の私の思考能力の根幹をなす書籍と出会ったことと併せて、とても重要な時期でした。

李登輝氏がいなければ、今の私は存在し得ませんでした。

深く感謝します。どうか安らかに。

以上

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