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優しい気持ち

バタバタと用事を済ませている時は、いつも以上に周囲に配慮したいとき。

混雑し始めた市内の幹線道路を急ぎ移動していると、長い下り坂の下の横断歩道脇の歩道で級友に別れを告げている男の子たちが見える。
近くには小学校が、下校時間だ。
黒のTシャツにジャージ、野球帽にランドセルと見本のような小学生の男の子が車道に少し身を乗り出して、行き交う車をキョロキョロと見渡している。
私よりも先に横断歩道に差し掛かり、停車するダンプカー。男の子がこちらをジッと見ている。
後続車に減速をアピールする為、長めにブレーキをかけ徐行から停車。
まるで「渡ってもいい?」と尋ねるような男の子の視線に応える為、私は白いドライビンググローブを見える様にオーバーアクションで「どうぞ」と差し出した。
誰の教えか本人の個性か、満面の笑顔で右手に取った野球帽をウイニングランの様に大袈裟に振りながら横断歩道を駆け抜けた。停車した全ての車のドライバーに笑顔を振りまき、ダンプカーに手を振った。
ダンプのドライバーも手を振り返していた。

私も思わず頬が綻びる。
再び車列が流れ始める。

用事の終りに、自分の為の買い物を。クーポンが多い店で、会計時に持っていれば遠慮なく使ってほしいと促されるが、多くてチェックしていなかった。
『ここに来る時は、クーポンの準備をしておかなければ!』
長財布の中を探りながら、スタッフさんとクスクス笑い合った。


店から出る頃には交通量はすっかり増えていた。
多くの市道と交わる幹線道路を横切って住宅街に入るには、更に多くの安全確認の手順を踏む必要があった。
せっかちな土地柄で知られている地域だが、今日は驚くほどスムーズに手順は進んだ。まるでそう動くことが決められていた映画のワンシーン。
駐車場を出る発進の為にも方向指示器を使うべきだな、と改めて思う。意思表示は教習中だけの形ではなく、いつもの運転に。

帰宅すると、国際便で届く書籍をタッチの差で受け取れなかったことを知らせる不在連絡票がドアに挟まっていた。

すぐに受け取りの手配をと不在連絡票に書かれた指示に従ってスマートフォンを操作するも、進まない。
希望の受け取り時間が指定できなかったり、自動音声が全く聞き取れなかった。経費削減なのか、直通の番号は書かれていない。
聴力が高過ぎて生活に支障があると診断されたことがある私だが、自動音声が歪んで聞こえるのか、抑揚がなく、声としては認識できなかった。ただ音が流れているだけ。
途方に暮れ、郵便局に直接足を運ぶことにした。
夕方の郵便局は大混雑で、周囲に倣って列に並ぶ。受け取り窓口は番号札がない。
先に受け取り手続きをしていた女性客が「お待たせしました」と荷物を抱えて私に会釈をしてカウンターを離れる。私も一礼して返す。
まだ局に戻っていないのでは?と思った荷物を、暫くして受け取ることができた。
局員さんが早口で何かを言っているが、内容はわからない。音の抑揚や口の動きでサインか免許証かなにか言ってる様だが聞き取れない。
自分は聴力にちょっと難があることを、自ら耳を指さし、そして手のひらを仰向けて身振り手振りで伝えた。
察してくれた局員さんは素早くジェスチャーで身分証明を提示するよう伝えてくれた。
聴力がやたらと高いのは障害ではない。けれど聴き取れない場面も多く度々会話に困るので、この機転は本当に助けられた。
国際便は全てアルファベットで記載されているので、私の免許証と交互に確認するのは少し手間取っていたようだ。
ジェスチャーが素早く出せる局員さんには感謝しかない。

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一か月程前に注文した画集は、海外からの発送だ。
遅延や破損は予想の範囲内なので構わないが、思ったよりも簡素な梱包は衝撃に耐えられなかったようで、封が少し剥げ、本体の画集は四つ角が全て丸く変形していた。閲覧には問題ない。
新品とは思えない表紙の皺を見て眉間にも皺を寄せるが、国内では手に入らないものだと思えば気にならない。

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(最近また遊び始めたので購入を検討していた設定画集。全文英語。読むのが楽しみ。)

たくさんの人の手を借りて私の元まで届けて貰った、その証拠なんだと破れた梱包材を眺めて想像する。

たくさんの人の手を借りて、お互いの生活を成り立たせている。
たくさんの人の機転に助けられている。
それを忘れずに、優しい気持ちでありつづけたい。

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