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ガチ恋堺雅人と幸福でたまらない時間について

堺雅人のエッセイを読んでいる。

本一冊に54作のエッセイもいくつかのインタビューが収録されているのだけど、なんというか、まったく先に進めない。

そりゃ、わたしが読んでる最中に携帯が気になって、とか、喉が渇いて水を取りに行ったとか、
そういうこともあるのだけど、
見どころが多くて
一つ一つが短いものでも、あれこれ気になると進まない。
齢32にして(今の私とほとんど変わらない!)明治時代の詩人や江戸時代の蘭学者が出てきたり、卑弥呼が出てきたり、
近況の話題からそんなところにタイムリープしたりして、奥深さがとんでもない。
(と言っている自分の浅学なことよ)

何者か、堺雅人。

そんなことで、立ち止まりながら、調べながら読み進めていると、とても遅読で3日ほどかけてようやく半分の170ページに辿り着いた、という始末である。

しかし、この遅読。
とんでもない贅沢である。
遅読という言葉を知ったのは
stand FMという音声配信アプリのこの放送を聴いてからだ。👇

#179 教養を身につけたければ消費より咀嚼!自分の五感で言葉を紡ぐ。

遅読の反対、速読というのは随分前にいろんなところで話題になっていて、
速読のススメとか、速読のハウツーとか、
速読がいいものである、手に入れたら素晴らしい人生が待っているスキルという前提で語られてきた。

わたしも速読できたらよかった。

読みたい本は山のようにあるし、
知りたいことも山のようにある。
速読ができたらこんなに愚鈍じゃなかったかもしれない。
とか思った時期があった。

私はこの配信をなんども聞いてしまったから、もう改めて聞かなくても良く覚えているのだけど、
「大人になったら遅読でしょう?
その作品を、他人の感想や言葉でわかった気になるのではなく、自分で噛んで噛んで噛んで噛んで咀嚼するのがいいんでしょう。」
というようなことを言っている。

かっこいい。

でもわたし、意外とそういう読み方をしていた。やったー

好きな言葉を書き写したり、
知らない単語を調べたり、
知らない歴史上の人物をググったり。

こんなことはいい本にしかできない。
基本的に小説なんかはストーリー重視で、言葉がどうとかあまり思わないのだけど、
(言葉の美しさに唸った小説は、林真理子の白蓮れんれん、だ!!!!!)
エッセイやノンフィクションは好きな言葉をつい追いかけてしまう。

ちなみに、私史上本当に美しい言葉を使うひとというのは、石牟礼道子さんだ。

熊本の天草に生まれ、水俣病を私小説ともルポとも言い難い独特な手法で書き上げた『苦海浄土』は個人的ノーベル平和賞で(誰得)
同氏のエッセイ?私小説?これまたジャンルに困るのだが、『椿の海の記』という作品もとてつもない。

場所柄、海の描写がよく出てくるのだけど、
読んでいるこちらにまで
潮の香りがして、じっとりペタペタと汗ばんでくる感じさえする。

もう一度
わたしの好きなstand FMの私の好きな配信に話を戻すと、
このかた、
「1冊をじっくり読むだけでも良い」
ということもおっしゃっている。

わたしが1冊しか生涯に本を読めないとしたら、
真っ先に持っていくのが、
この『苦海浄土』だろう。
(写真は単行本1150ページほど。300ページくらいの?文庫本がおすすめです)

一般的に水俣病と言えば、高度経済成長期という時代に強く求められた企業が水俣病を引き起こし、罪なき漁民たちが苦悶に喘いだ、という事実から、加害企業バッシングの風潮がある。

この本はそうではない。
当時の漁民の生活、思考、信仰、言葉、水俣病の症状、まちの熱気、加害企業への暴動の様子。

細かな風景が思い浮かぶほど精密に描かれていて、
漁民たちへの暮らしの祈りが込められている。
何度読んでも咀嚼しきれない。

細かな描写から当時の風景は手に取るようにわかるような気がするのに、私はいまだに水俣病のことを語ることができない。
そんな権利さえないように思う。

この本に出会えた私は一生この本を咀嚼するだけでも十分幸せだ。

それでも私は自由に本を読む環境が許されているから、堺雅人のエッセイも読んでいるのだけど、
この書き写したり、調べたりなんだりという時間。
本の骨の髄までしゃぶり尽くしているようで、本当に幸福なのだ。

54本読み切ってしまうのが、あまりに惜しい。

これはガチ恋フィルターがかかっているのか、
本当に良書なのかよくわからない。

きっと両方だろう。
しかし、こんなにも奥深い堺雅人氏を、演技だけを見て好きになる私の目もなかなか良い目を持っている気がしてよかった!

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