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バーザムナ

10年ぶりに私はバーザムナへ行く。
ザムナにはアボカドの苗はないけれど大きな猫がいた(今はもういないかもしれない) ザムナの猫はみんなにただ「ネコ」と呼ばれて愛されていた。

もしかしたらあなたがいるかもしれない。最後に会ったのは10年前のこと。もうザムナにはいないだろうけれど、いるかもしれない。もしいたら、今の私では会いたくない。あの頃の私で記憶していてほしい。

けれど、私はザムナに行く。
彼らに会いに。
いや、もう彼らもいないかもしれない。10年はちょっとした年月だ。
だけど、あのマスターはあそこに立っているだろう。それだけは信じられたし、それだけでザムナへ行く意味は十分あると思った。

10年前、私は誰にも何も言わずにあの街を出た。あなたの匂いのする街にはもういられないと思った。逃げるように私は西へ東へと街を変えた。ひとつの街にとどまる意味を感じられなかったから、模様替えをするように街を変えた。

あの街に戻りたい。あなたと出会う前のあの街に戻りたい。

カウンターでは、見たことのない青年がビールを飲んでいた。マスターは「あぁ、いらっしゃい。そちらはヤムくん」10年前と変わらぬ温度でそう言った。「ヤムさん…はじめまして」「こちらは、ヨウちゃん」「ヨウさん…はじめまして」
あの頃から変わらない。「はじめまして」と互いに言葉を交わせば、もう初対面の儀式は終わり。あとはただ酒を飲みながら話す。

それぞれの近況。「ヨウちゃんは今もパソコンの仕事、一人でやってるの?」「あ、はい。今もホームページを作ってます」「ヤムくんは高木さんとこの隣にできたインド料理屋で働いてるのよ、行ってあげてよ」「はい、ぜひ。じゃ、高木さんの隣にあった喫茶店は閉じたんですね…」
誰々が去って、誰々がやってきた。誰々と誰々が付き合って、誰々と誰々が別れた。

そしてあなたの話。「ヨウちゃんはまだ平田くんと?」「いや、とっくの昔に別れてますよ。もう存在を忘れてました」「いやそうかなとは思ったんだよ、ごめんごめん、平田くんはオーストリアに行ったきりよ。翻訳の仕事は日本にいなくてもできるからね」「そうなんですか、知らなかった…」ヤムさんが助け船を出すように口を開いた。「オーストリアは2年前に行ったことがあるんですよ、友だちが」「なんだ、ヤムくんじゃないのかよ」マスターと私は吹き出した。その後ヤムくんはひとしきりその友だちの話をしていた。
優しい人なんだな、と私は横目でヤムさんを眺めていた。

そして深夜には政治の話あるいは平和の話。それはある種理想主義的で、私が今いる世界では鼻で笑われそうな、平和への願い。
だけど、私は「それを信じていていいのだ」と救われた気持ちになった。私はザムナを出ればきっと今より少しマシそうなことを選択することしかできないだろう。だけど信念まで売ってはいけない。自分の想いを自分だけは信じていなくては。

今の私をかたち作った、おとなたち。そしてこれから出会う、おとなたち。
昔の私、今の私。
私はまだ信じられる気がした。

こんな酒場にこそ人生の意味がある。

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