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子育てモラトリアム

私には妹二人と弟一人がいて、それぞれに家庭を持っている。
彼らの子どもたち(つまり私の甥っ子姪っ子)は小学中学年から新生児までばらけて7人いる。

彼らの子育ての様子を見ていると、私にはとてもできないなと思う。
きょうだいげんかをしている上二人を叱りながら、泣き叫ぶ新生児をあやすとか。自分がトイレに行きたい時に子どもが食べ物をひっくり返すとか。そういうハードさもさることながら(私ならすぐに発狂するだろう。自分のペースを乱されるのも、ガチャガチャした環境も人一倍苦手なのだ)、そのメンタル面の強さ、しなやかさに尊敬の念を抱く。

内弁慶な娘1を励まし誉める、マイペースな娘2を叱りつつおもしろ発言にウケる。その時々に適切な反応をしてあげる。自分が辛い時でも。それで子どもたちは愛されていることを信じられるし、叱られたことを受け入れられる(その割に何度でも叱られることをする子どもというものが理解できん。私ならすぐに叱ることをあきらめそうだ。その点においても尊敬する)。子どもと同じ目線で喜び、笑わせ続けるのもすごいことだと思う。子どもはどんどん成長していくのに、そして何より自分とは違う人間なのに、同じ目線で居続けるなんてできそうもない。

彼らはいつから「親」になったのだろう。
私のきょうだいはもともと人間力高かったな。部活ではリーダー格だったし、家族想いだったし、友だちもたくさんいるし、芯のしっかりした人間だ。なんだ最初からスタートラインが違ったのかそうかそうか。

スタートラインが違うと言っても、私が立ってたスタートラインが悪かったとはまったく思っていなくて、私はその代わり繊細だし自分の世界を大事にしているし彼らと目指している場所が違うだけだ。

でも世の中には私みたいな人間で親になった人もいっぱいいると思うんだ。
みんなどうやって親になっていくんだろう。泣き止まない夜を乗り越えて、作った離乳食を撒き散らかされ、やがて生意気な言葉でやり返され、してるうちに自然と親になるものなんだろうか。それとも私の周りの親がすごいだけで、意外にみんなだめな親なんだろうか。「だめな親」の定義は難しそうだけど。

私も子どもがほしいと思ったことはないではないけど、子どもがいなくて本当によかったとも思うんだ。自分以外の人間のことに責任なんて持てない。私は基本的に自分と自分以外の人間を区別して生きているから、子どもが自立するまでの間その精神的な均衡が保たれなくなりそうな気がする。

「今はまだ」と言いたげにモラトリアムなんてタイトルつけちゃったけど、「とりあえず今ではない」と思いながらここまできちゃったけど、年齢的にも出産はもうないだろうし「逃げ切っちゃった…」という感じです。ほしかったかも…いろいろ無理だろう…の間を揺れ動いてるうちに選択の余地もなくなって寂しくはある。
「あったかもしれない」人生に想いを馳せる。

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