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C'est si bon ! 〜 独身最後の日〜

入籍も間近という時期になり、青山の和食店の個室を借りて、恋人とわたしと互いの両親で会食をした。
親たちは始めこそ少々緊張モードではあったが、同年代ということで話題も豊富にありすぐに打ち解け、次第に誰もがリラックスして飲んだり食べたりした。
肝心のわたしは、雨という天候とつわりの症状の一つである頭痛で体調が優れなかったのだけれど、そんなこともいつの間に忘れるくらい、とても和やかな一時を過ごすことができた。
これからも彼らと、数えきれないほどこのような時間を重ねて行くのだろう。

特に、今に始まったことではないのだが、恋人の母が本当に優しい。恋人はこの人が注ぐ愛情をたくさんたくさん浴びて育ったのだと思う。わたしにはそんな優しさが見当たらなく、申し訳ないと感じる。

恋人とふたりで東高円寺に移動して、恋人の画家の妹の営む喫茶店へ。今日は、彼女にわたしたちの婚姻届の証人欄を記入してもらうという大切な目的のために来店した。

無事に記入してもらうと彼女は、わたしたちにお祝いの唄を歌うから、目を瞑って聴いてほしいと言う。物静かな妹は時々とても大胆になる。
言う通りに目を閉じると、ようやく聴き取れるほどの声で囁くように歌い始めた妹。高音が少し掠れながらも、静かで優しい声が空間に溶け込んで行く。  

歌が終わり、そっと目を開ける。
そこにある兄妹の笑顔を見たら、あたたかいものが込み上げてきて不覚にも涙がこぼれた。
この兄と妹の間に流れた、たくさんの時間を想った。

お祝いにと、ワインを開けてくれた。よく冷えた南フランスの白だ。
彼女が踊るように軽やかな動きでプレーヤーに載せたレコードは、ジャズにアレンジされた『 C'est si bon 』だった。
わたしのために、小さなグラスに本当に少しだけ注がれた白ワインを一杯だけ頂いた。久しぶりに口に含んだワインは、この世界の飲み物であることが信じられないほどに美味しかった。

明るくて優しい兄と、少し風変わりで物静かな妹(とても美人)が醸し出す雰囲気が溶け合う店内は、室内なのに虹が架かっているのかと思うほど幸せで楽しい色合いに満ちながら、それでいて、澄み渡っていてクリアだった。

C'est si bon.  It’s so good.

繰り返しレコードから流れてくるその言葉は、その時の三人の気分にぴったりだった。
どこまでも穏やかで優しい時間の中、「親戚になれて嬉しい」と、妹と言い合った。  

2018年6月20日

去年の今頃は、友人だった恋人からの好意に気付き始め、わたしも彼に抱く好意を認め、躊躇いながら言葉を交わし、瞬く間に好きになり、彼の店によく顔を出したり、飲み足りないと理由をつけては近くのバーに寄って、仕事後の彼と待ち合わせたりした。
互いの心が決まり、それをたしかめ合うまでの不安定な時期ではあったけれど、とても愛おしく、大切な日々だったことを思い出す。

まさかの一年後の今の状況を、想像だにしていなかった。 
こんなに信頼し合えるようになるなんて。 
こんなに深い絆が生まれるなんて。 
妻に、家族になろうとしているなんて。 

2018年6月28日

今夜は、独身というもの最後の夜なので、大好きなバー・ZEBECで独りの時間を楽しむことにした。
若い頃から、数え切れないほど何度も来ている場所だ。

ストーカーじみた人から逃れるために潜伏したこともあったし、いけない恋をしていた人とここで待ち合わせたこともあった。
極端にスキンシップが好きな人を連れて来る羽目になった時はその振る舞いからバーテンダーの目を気にしたし、実際少し好きだった女の子と手を繋いでここに来て、手を繋いだまま強いお酒を飲んで周りからレズビアンだと思われたこともある。
そんな数々の痛い行いさえも受け止めてくれた、このバーのカウンター(ごめんなさい)。

だけど、この一年はいつも、恋人を想いながら飲んだ。
好意を抱き合う友人として距離を縮めていた時期、恋人同士になり狂おしいまでに惹かれ合った時期、互いを知り、深い信頼を築いて来た時期。
揺れ動く様々な心の模様を、綺麗な色をした強いお酒で胸に流し込んで来た。

それなのに今夜は、古い友人のバーテンダーGに、この場所で初めてのノンアルコールの飲み物を作ってもらっている。
恋人のほかに強く想う人が、もう一人増えたからだ。

わたしのお腹には、ひとつの命が宿っている。
恋人と去年の夏に交わした約束、「積極的に自然にどんどんエロくなろう」の結果、わたしたちのところに来てくれた、大切な命だ。

わたしと恋人は明日夫婦になり、今年の冬に三人家族になる。
わたしへの宇宙からのギフトは、奇跡的に、豊かに増し加えられた。

2018年7月1日


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