SHAME - 個人的な領域 -
わたしの感情の混乱や落胆を、恋人は言葉で制することができる。ひとつひとつ丁寧に選んで発する言葉にを手綱のように使い、わたしの心を導く。キスはほとんどわたしからするのだけれど(忍耐力が恐ろしく欠如しているのだ。いつだって。)、何回かに一回、恋人からしてくれる時の照れくさいような喜びと言ったら。
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もしかしたら、映画というものはすごく個人的な領域なのかもしれない。映画は大好きな娯楽のひとつだし、娯楽を越えて心に刺さってくる興奮を抑えきれず、恋人と共有したくなるのだが、難しい(なぜならわたしたちの酒量はいつだって膨大だから、睡魔に憚られてしまう)。
小説なら、そのページを2つの頭が寄り添って2人で読むなんて馬鹿げているから個人的な領域だと理解するのに、映画は2人で1つの画面を観られるので、ついつい共有したくなる。けれど、個人的なものなのだろう。すごく。そう思わされる作品が、今観ている『SHAME』。
感動超大作!とか、全米を震わせた!とかみたいに、心情を強制してくるものはひとつもない。むしろ、大半の人が、はー?!っで終わるのではないかと思う作品。意味不明を極める。でも、どこまでもどこまでも悲しくて、わたしはこれをたった1人で受け止めたいって思わされるから、好き。
2017年8月26日
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