Alto Moncayoと娼婦ごっこ

積雪がすごいので、自分の家より仕事場から近いうちに避難してくれることになり、さすがの天気だからいつもより早めに来れるかなという淡い期待を抱いていたが、甘かった。彼はなかなか来ない。かなり自分勝手なこと言うと、その勤勉具合たまにいい加減にしてほしい。
そして非常に遅くに現れた恋人は、雪の中から来たにも関わらず彼特有の温かい雰囲気を全身から放ちながら、閉店前の最後のお客様のこと、閉店後にしなければならなかった雪掻きのことなどを丁寧に説明した。でも説明を最後まで聞くより先に、わたしはもう彼の顔を見ただけで笑顔になっていた。そのあとは、相変わらず笑い転げ合って過ごした。

昔は寂しくて、付き合っている人の帰りの遅さに怒ったり、泣いたり、喚いたりした女だった。もっと酷いと、疑ったり罵ったり。今、ちっともそうならなくて済んでいることに驚くし、感じ入る。わたしを鬼のような女にさせない恋人の大らかさと、魔法のようなわたしたちの相性の良さにただただ感謝するばかりだ。

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水曜日という、なんの変哲もない平日がこの上なく好きになってしまったのは、恋人の休みの曜日だから。寒波が来ているらしく、なるほど空気が冷たすぎるこんな夜は、家で恋人が創ってくれるごはんと楽しい会話が一番。彼が久しぶりに運命を感じたという赤ワインをわたしに飲ませたいと、仕事で取引しているというワイン業者からプライベートで購入してくれた。お洒落なお店で蝋燭の灯りで頂く贅沢はもちろんだけれど、お料理をしてくれる恋人を見ながら、キッチンに置いた丸椅子に座って、笑いながら飲むワインの幸福なこと…。
高価で特別なワインはまな板の上で開けられ、たっぷりとした赤ワイン用のグラスはキッチンの入り口のワゴンに置かれる。年が明けたのに片付け忘れられたサンタの格好をしたクマの人形や、カゴに入ったガムシロや、わたしがお腹を壊した時に恋人が買ってきた貼るホッカイロや、歯磨き粉なんかが放置されたキッチンワゴン。そこでスペインの赤Alto Moncayoを頂いている。どんなふうにこれを好きなのか語る恋人を、うっとりと見つめながら。ソムリエの恋人は、「味が開いて来たね」と言う。シンガーのわたしにとって、喉が開いて来たと同じようなことなのだろうと理解する。

恋人が焼いてくれた、この上なく美味しいラムに噛り付き(外食じゃないからナイフもフォークも使わず手掴みで行こうと言う意見が一致した)、羊と赤ワインの素晴らしい相性の余韻に浸りながら、Netflixのソムリエのドキュメンタリー番組を恋人と観ている。実は一回わたしは観たものなのだが、ソムリエ資格のより上の階級の取得に励んでいる恋人に観せてみたところ、とても勉強になると食いついてくれたので今一度一緒に観ているが、ひとりで観た時と違ってさらに興味深くなるし、いちいち面白い彼のコメントに笑い転げるはめになるので驚いているところだ。

ふたりともすっかりほろ酔いになった。ルームウェアに着替えたのに派手な大ぶりのピアス取り忘れてるわたし、高価なワインのあとなのに口寂しくなってジャンキーなつまみを買いにファミマに走ってしまった恋人、煙草の匂いが嫌いなのにベランダで一本吸ってきた恋人を楽しさのあまり許しちゃうわたし。
いろんなアンバランスがごちゃごちゃに入り乱れながらも心底平和で暖かい今夜は、ありふれているようで宇宙の始まりから、たった一度だけの今夜でしかない。美味しかった赤ワインのボトルを良いアングルと光で撮影しようとしている恋人と、食後のバニラフレーバー付きジャスミン茶をアイスで頂こうとしているわたしのタイミングもまた、今夜だけのものだ。

ソムリエのドキュメンタリー番組を観たあとは、恋人がファミマで買ってきたウィスキーをひとつのグラスでロックで飲みながら(よく暖房の効いた部屋で)、わたしの大好きな映画『her』をふたりで観ている。この映画は、いわゆる人間の男性と、SiriのようなOSとの恋なのだ。
その主人公の男性と、OSとの、声でのセックスシーン。そんなものを、実在する恋人と一緒に観たら、本来は気恥ずかしく、気まずいはず。なのにわたしたちは、ぴったりくっつきながらこのシーンを観て、涙を流した。それは、自分たちが生身の人間同士として愛し合い、セックスができる尊さと奇跡への感動を、共有したから。

映画のあとに突入したセックスは、なぜか「娼婦ごっこ」と題してそんな設定で。昇天しそうなくらい気持ちが良くてお酒もすごくたくさん飲んでいたので、最中にふたりとも気絶(寝落ち)。翌日LINEで「今度続きお願いします」「はい、近いうちにお願いします」と送り合う、律儀でアホで、愛に溢れたふたりです。


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