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I gave my love of a cherry

部屋で音楽を聴いていたら、「久しぶりに●●さん(わたしの名)のアルバムが聴きたい」と、恋人が言った。
昨年発表した、わたしのオリジナル曲収録のCDだ。通しで聴くと1時間以上かかるのだが聴くことに。
前半はしゃべりながらまったり過ごしていたが、アルバムの後半になるにつれ、恋人が感情移入して泣き始める。

『隣に与えられたのが貴方だから 言葉で言えないほど人生を気に入る』という箇所の歌詞で感極まり、号泣。
わたしは笑いながら、彼の美しい涙を拭いた。
彼はアルバムが終わってもしばらく泣き、「ほんとにこんなに人を好きになれたのは初めて。爪先から頭まで、身体の内部まで好きです」と言った。

今まで、特定のモデルがいてその人の曲を書くということがなく、想像で書いてきたのだけれど、後から歌詞がリアルなものとして自分の心境に当てはまり、ハッとするということがある。
この曲は、彼のためのものになったのだなと思った。

隣に与えられたのが恋人だから、わたしは今こんなにも人生を気に入っている。
泣き止んだ彼は、今度はわたしに晴々とした笑顔を見せた。

2018年7月18日

事務的な手続きで恋人と午前中から動き、スムーズに終わった打ち上げでタイ料理屋さんへランチへ(小さな頑張りにも打ち上げという行動で労うことを忘れない)。
熱い体に気持ち良い店内の冷房、そこへ熱々のフォーのスープ。

帰りにコンビニに寄り、「好きなの何でも選んでいいよ!」とアイスを山のように大人買いしてくれて、部屋に戻ってアイスを齧り、冷たい唇で熱いキスをした。
心地良い寒暖差の連続を味わうのは、真夏の醍醐味だ。

2018年7月20日

わたしたちが森と呼んでいる寝室で、カーリー・サイモンの歌う『I gave my love of a cherry』をお腹の子供に聴かせていたら、仕事後に寄ってくれた恋人が寝室のドアを開けた。
ベッドに腰を下ろし、わたしのお腹にキスをしながら、「ただいま」と言った。
こんな光景を、映画か何かで観たことがあるとボンヤリと考えながら、カーリー・サイモンの声のような深い幸福に身を沈めた。

うとうとし始めていたら、生トマトを使ったレッドアイを作って寝室に戻った恋人が、わたしの隣でそれを飲み始め、ベッドサイドのランプの灯りが赤いグラス越しに美しく滲んだ。
まるで西洋の教会のミサで輝く、無数の赤いキャンドルのよう。

2018年7月20日

朝にバイバイをした恋人に、夜になるとちゃんと会いたくなるのが不思議だ。たわいもないことを報告し合って、身を寄せ合って眠りたい。
睡眠や食事を摂る時間に関しては不規則なわたしなのに、彼の愛おしさへの体内時計はとても正確で、寸分の狂いも無いようだ。
一緒に暮らして、朝は共に目覚めて夜は共に眠る、よりそばにいる日々を送ることで、愛おしさの体内時計が納得してくれるまで、あと少しだね。

恋人が発する、「僕らは夫婦だから」や「甘い夫かも知れないけど」などの言葉が、まだ聞き慣れなくてそわそわする。
恋人は恋人だけれど、家族になれたことが嬉しい。徐々に馴染んでゆく幸せな過程を、大切にしよう。

結婚関連の手続き等で直面する事柄において、二度目の結婚である恋人に、「前の時はどうだったの?」という言葉がつい喉元まで出かかる時があるけれど、飲み込んで知らんぷりする。
恋人もまた、同じく知らんぷりし、初めて考えるふうを貫いている(のだと思う)。

時に、初々しいふりをするのは、思いやりの芸当のひとつだ。
相手の全てを知りたがるのは、一種の攻撃に等しい。

2018年7月21日

今月末には、わたしの中では大きな規模(約百三十人を集客する)の自分主催の単独ライブがある。
そこで演奏する、子供の妊娠がわかった時に書いた曲を練習していたら、ここには居ないのに恋人の匂いがした(本当だ!)。

ああ驚いた。
そしてこの歌のサビの部分の歌詞は、かつての恋人の言葉で出来ている。

目に見えない不思議な導きを感じる力は子供の時よりずっと薄らいでしまっているけど、もう一度奮い立たせたい。
「世界は思っているよりずっと愛で満ちている」ということを確信して表現していくことが、わたしの歌だ。

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