料理で胃袋を掴まれ、人格で魂を掴まれる

気が付けばお付き合いをして11ヶ月が過ぎた。
恋人とのLINEのアルバムを見返すと、本当に全部が良い思い出だ。一緒に食べた美味しいものと、一緒に飲んだ美味しいワインと、ふたりの笑顔と友人たちの笑顔で溢れている。

平和をくれる人、本当にありがとう。

嬉しいこと喜ばしいことはいつだってふたりで共有したし、悲しいことや困難なことはいつも半分を背負ってくれた。助けてもらってばかりでなかなか助けてあげることはできていないけれど、これからも手を取り合って行きたいと心から思っている。

そして、そんな恋人を産んで育ててくれた彼の両親に心から感謝している。素晴らしい人たち。彼らの残りの人生を、少しでも喜ばせ楽しませたい。もちろんうちの両親も。
それがわたしたちが出会えたことへのお礼だと思う。

可笑しい事かもしれないけれど、恋人のことを考えると、好きで愛おしくてありがたくて、泣けてくる。これは子供の頃、両親が死んでしまうことを想像すると悲しくて泣けたのと似ている気がする。
家族というのはそんなふうに、静かに静かに心に沁みてくるものなのかも知れない。

長期的に愛せる人との関係を築くのは、永住できる家を持つのに似ている。引越は楽しいし刺激的だけれど、それはいつか定住できる場所を求めている過程に過ぎない。
はい!次!のような恋も楽しいけれど、そのループに終わりがないと思うと息切れしそうになる。昔はそんなことを考えなかった。

2018年6月4日

恋人の途方もない優しさが、たまに苦しくなる。結果的にそれに甘えてしまう自分を自分で追放して、悲しくなる。わたしの貪欲な空腹が、彼の身も心も食べ尽くしてしまうと感じる。
しかし、謝ってもお礼を述べ続けても彼を打ち負かすことはできない。長い年月をかけて鍛錬された彼の優しさは、とても手強い。

一方で酷く矛盾しているけれど、わたしがほかのどんなものよりも失いたくないのは、その恋人の優しさなのだ。
正確には、彼が優しさを失くしたり手放したりすることはないけれど、それがわたしへ向かなくなったら…それを考えただけでさめざめと泣けるほどに、もうわたしは弱い。

2018年6月6日

今日わたしが頼んだ某案件で、非常に困難でイレギュラーな状況下にあっても、恋人は彼らしい佇まいを一つも見失うことなく、現場の人たちへの丁寧さも一つも見落とすことなく、最初から最後まで彼然として、大役をやり遂げた。そんな彼を本当に誇りに思う。
さすが料理でわたしの胃袋を掴み、人格で魂を掴んだ彼である。

数人で撮った写真を恋人に見せると、「一番左の人(写ってるのはわたし)誰?笑顔がすごい好みなんだけど」などと言う。
わたしもおどけて、「今の苗字が、残り1ヶ月切った人だよ」と返す。
それぞれの忙しい時間を過ごしているけれど、こんなふうにバカバカしくてほっこりする冗談は、言わないより言う方が良い。

あとひと月も経たないうちに、わたしは恋人の妻になる。

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