対岸の彼女

昨夜、疲労していた恋人は眠るためだけのマシーンみたいになって先に休んだ。わたしも相当飲んでいたけれど、仲間たちと過ごした心地良い余韻に浸りたくて、少しウィスキーを頂いてから眠った。
目が覚めて、薄暗い部屋(朝日が嫌いなわたしはあらゆる工夫で遮光している)のベッドで、隣に愛する人がいる幸せ。
熟睡のあとわたしより先に起き上がった恋人は、わたしの身体の数カ所にキスをしてからキッチンに行き、あっという間にわたしのためのランチを作ってしまってからシャワーを浴びているようだった。寝室に戻るともう一度ベッドに横たわり、わたしをうしろから抱きしめた。そのままの体勢でゆっくりといろいろな話をした。

そのとき恋人は、わたしの名前を敬称略で呼んだ。普段は、さん付けをしているのに。その会話の間ずっと、名前だけで呼ばれ続けた。
会話はやがて長い長いキスになりセックスへと突入したけれど、その最中もずっと名前だけで呼ばれていた。わたしも彼をいつもとは違って名前だけで呼びながらセックスをした。

人生に舞い込んでくれた愛しい人。ありがとう。ふたりだと、食べる、飲む、眠る、セックスするというシンプルな欲求だけが素晴らしいものとして際立つ。「あまりの幸福に、他には何も要らなくなってしまって困るよね」と言い合った。
一緒に生きてゆく。ずっと。そのために働く。あなたのために生きる。

2018年4月5日

昨夜は恋人の店で昔の同僚である懐かしいお友達と楽しく過ごし、子供を親御さんに預けてきてくれていた彼女は帰り、そのあとほかのお客さんも少なかったので恋人とたくさん話しができた(仕事中の彼はわたしに対し敬語だがそれも好き)。嬉しくて少々飲みすぎてしまった。ワインでは足らず、シェリーやいろいろなリキュールの類もごくごくと飲み干した。恋人が勧めてくれるお酒は、なんて悉く美味しいのだろう。

すっかり出来上がったわたしは、恋人の店の帰り道にあるバー・ZEBECへいつもの如く立ち寄りたかったが、すでに店じまい。
懲りないわたしはこれまた行きつけの焼き鳥屋さんへ。カウンターに居たのはなんと、ZEBECのバーテンダーのJくん!外で会うのも珍しいし、酷く楽しくなってまたお酒をごくごく(ここではたいていラムハイボールを頂く)。

すっかり酔っぱらったわたしを、店を終えた恋人が迎え(正しくは回収し)に来てくれたけれど、その辺りから先に起きたことは覚えていない。
コンタクトも取らず眠りに落ちたらしいわたしが朝目覚めると、となりには安らかに寝息を立てる恋人、お手洗いに行ったついでにキッチンを見ると、お鍋の中に野菜スープ。
お手洗いから戻るとわたしの気配に気が付きいつものようにすり寄って来ながら「今日仕事忙しいって言ってたからスープ作っておいたよ」と言う。さんざん酔っ払ったわたしを迎えに来させられ面倒を見させられても嫌わないどころか、スープを作ってくれる彼には、頭が下がる。
恩返しに来週はダイエットしてお腹の肉をなんとかしよう(それさえ彼は気にしていないのだけれど)。恋人のために綺麗でいよう。なるべく。
冷蔵庫の野菜がうまく使われたスープはベーコンの出汁が効いていて、とても優しくて美味しい。

2018年4月9日

それにしても、昨夜十年以上ぶりに会った元同僚の女の子は、壮絶と言える人生を送っていた。2人の子供のシングルマザー。
1人目の子の父親からは包丁を突きつけられるほどのDVに合い、別れている。2人目の子の父親は、悉く仕事が続かなかったり、働いていると嘘をついてどこにも行っていなかったりで、離婚(発達障害なのだと、彼女は庇っていたけれど)。

男性を見る目がないなんて言葉で片付けるのは簡単だけれど…さすがにかける言葉を選ぶのに慎重になった。ただ彼女は、素直にわたしを必要としてくれた。こういうふうに外で美味しいご飯食べたり、自分が暮らしている街じゃないところで友達と会うのがとても重要なのだと。社交辞令じゃない「また会おうね」を、こんなに切実に言ってくれる子はあまり居ないと感じた。
「ねえ次はいつ会える?ランチしよ!ランチの後さ、買い物して一緒に夕飯作ってさ、ゆっくり食べようよ!あ、あとライブ行くよ!●●さん(わたしの名)の歌うシャンソンが聴きたい!」と、目を輝かせている。

彼女と一緒に過ごすことで少しでも息抜きになれるなら、わたしにとってこんなに幸せなことはない。そして彼女は無邪気に「彼氏さんもぜひ!」と言ってくれる。
もちろん恋人も全力で協力体制だ。「僕が夕食を作るからその間、ふたりでゆっくり喋ったり、子供達と遊んで。僕も子供と遊んでいいなら、キャッチボールでもなんでもするよ」と。わたしたちは今月末彼女の街を訪ねる。思い切り彼女をゆっくり休ませたいし、楽しませたい。子供たちふたりをたった一人で守っていても、彼女はまだまだ年頃の可愛い女の子なのだから。

◆       ◆       ◆

そのような友人も居れば、もう夢の中でしか会うことのない友人もいる。
その子は、眠りが浅い時には必ずというほど夢に出てくる。対岸のように隔てられた遠い場所にいるのに。
夢の中で彼女は子供を連れていた。たしかに子供がいても不思議ではないのだ。夢は単なる記憶の整理だと聞く。でも、そうだとしたらこんなに頻繁にあの子の夢を見なければならないほど、記憶が整理できていないということなのか。たしかにあの子との時間はまったくもって手付かずだ。

来る日も来る日も共に過ごしてすべてを共有していた学生時代に、貸し借りしながら順に読んで感想を語り合った小説『対岸の彼女』の主人公たちのように離れ離れになろうとは、あの頃は夢にも思っていなかった。

2018年4月10日

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