創作メモ:人語を解する獣は脅威を失われる

 こういうの書いてる隙があるならさっさと小説を書かねばならんのだが。

 前置きはこれでいい。とりあえず書きたいことを書こう。
 さて怪物といってもいろんなものがいる。おばけだったりドラゴンだったり巨人だったりはたまた異形のモンスターだったり。ところによれば巨大な秋刀魚頭の人型のおばけがいるみたいだが彼らに共通する一つの問題がある。

「怪物は人語を解すると獣ではなくなる」のである。

 『彼岸島』に出てくる魚人型邪鬼を紹介しよう。画像を載せればわかりやすいのだがそこは著作権的にまずいので各自で調べてもらおう。簡単に紹介すると秋刀魚のような頭と胴体を持つ巨大な半魚人で、初登場で群れで主人公たちを囲ったり「ざばんざばん」と主人公たちに迫ってくる様は明らかにホラーなのである。
 しかしこの魚人型邪鬼がネタとして扱われるのも画像検索すればわかるだろうけど、「怖いか人間よ!! 己の非力を嘆くがいい!!」とか言っちゃうのである。ここで聡明な読者なら気づくかもしれない。黙っているほうが怖いじゃないかと。それが今回の話の本題だ。

 人語を解するということは会話ができるということだ。当然かもしれないがそれが大事だ。会話ができるというのは意思疎通に他ならない。コミュニケーションができる時点で同じステージに立つことになるわけだ。
 生半可な知性を得た獣は、獣としての強みである野性を剥奪されるのである。人語を話し出した途端にそいつは異形の怪物ではなく「登場人物」という枠組みの中に当てはめられてしまう。ゴジラを想像してほしい。もしゴジラが作中で人に向かって言語を用いて喋りだしたらぐぐっと魅力が下がるぞ。

 まだ想像し辛いのであれば、逆を考えてみよう。
 つまり喋らなくて怖い怪物がどういうのがいるかだ。『星のカービィ』シリーズでクリア後に大抵解禁されるボス連続バトルの腕試しステージがあるのだが、この腕試しの最難関には必ず待ち構えている奴がいる。本編でのラスボスを更に強くした存在である「ソウル」系のボスだ。
 彼らに共通するポイントとしては「正気を失って狂気に陥ってる」にほかならない。本編では何かしらの悪巧みや目的があって力を得たがカービィに撃破される。その後再び力を得た姿がソウルシリーズに共通する部分だが、彼らにはもはや人格や記憶なんてものはない。暴走する力を行使する存在であり、破壊装置そのものである。彼らには言葉も通じず、止めるには完膚なきまでに叩きのめして壊すしかないのである。彼らを倒したら断末魔を上げて完全に散っていく。プレイヤーにとっては最高難度をクリアした達成感と共に一抹の虚しさをも味わうのだ。これが醍醐味。

 これで「人語を解する化物」と「人語を解さない化物」の2つを出してみたのだが、最近の名作で非常にわかりやすいケースが出てきたので紹介しよう。
 「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」に出てくる厄災ガノンだ。ゲルド族の長であった魔王ガノンははるか昔より、勇者リンクとゼルダ姫と因縁の戦いを続けてきて、その度に封印されたり敗北したりする。今回のブレスオブザワイルドはゼルダシリーズの全ての因縁が収束すると言ってもいい作品となっている。
 ガノンはもはや長年の対決から自我も失っており、呪いや怨念としてハイラルを滅ぼさんとする厄災そのものと転じている。もはや言葉を投げ交わすことなどもありえない。しかしその手段は悪辣でかつ凶悪なもので、ハイラル王国の滅亡という過去最悪の結末をゼルダ姫たちにもたらしてしまう。その100年後がブレスオブザワイルドの舞台であるわけだが、魔王ガノンが厄災ガノンに転じる姿はまさに「人語を解さない獣こそが一番の怪物である」という明示にふさわしい存在である。

 ではなぜ「人語を解する」ことが「獣や怪物」と言った脅威性を奪うことになるのか。
 それは知性というのが魂の救済と足り得るからである。

 言語を解するだけの思考力とその相手がいれば、もしかしたら語り合うことでその獣や怪物が抱えていた因縁や怨念や苦悩や感情といった魂のわだかまりを取り除くことができてしまう、つまり魂の救済ができる交渉の余地が残ってしまうのだ。
 逆に人語も解さないのであれば、その脅威を止めるためには殺すか壊すしか方法がなくなる。どちらかが生きてどちらかが死ぬという弱肉強食めいた世界の理に当てはめるのが獣としての本性だろう。
 だからこそ、それを破壊したときの怪物の散りざまというのはどの作品でも最高なのだろう。

 そろそろまとめに移ろうか。
 もし恐ろしい怪物をデザインしたいというのであれば「人語を解さない」ほうがいいだろう。人語を解するようになった時点でそいつは怪物ではなく「登場人物」という枠組みに押し込められ、交渉や交流を通して「魂の救済」が可能となってしまう。この魂の救済というのは役割を終えることだの。命ではなく魂というステージで果たしてしまうわけだ。しかしそれは獣のやることではなく人のやることであるため、怪物性を奪いかねないわけだ。

 直近の作品で言うならば「サンダーボルトファンタジー2」で出てくる鬼没の地を根城とする巨大な竜だったり、「ゴブリンスレイヤー」で出てきたオーガとかがそれにあたるか。生半可な知性は獣としての脅威を奪うことにもなりうる。

 逆に料理するのであれば「意味不明な言語、解読不能な言語、もしくは意味をなさない言語の並びを並び立てる」ことで不気味な化物感をさらに組み立てることができるかもしれない。餌を引き寄せるための罠として言葉を真似ておびき寄せたりとかそういうのもいるだろう確か。

 とまぁ話しは脱線しそうになったがこれにておしまい。獣は喋らず知性は喋る。喋る知性からは獣としての本質を損なうことになる。そういう気付きを今回記事にしてみた。

 読んでくれたあなたにはせんきゅー。

私は金の力で動く。