映画感想:『トゥルーマン・ショー』は最も新しく古典的な神話である。

 トゥルーマン・ショーという映画を見た。
ネタバレありありなので気になる人は今すぐ撤退して映画を借りてみてほしい。名作だから。

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 あらすじはこうだ。 ジム・キャリーが演じるいたって普通の30代の青年男性、トゥルーマンの人生は全て「ドキュメンタリー番組」として収録されている。彼の生誕から成長まで24時間フルタイムで全世界で放送されている超人気番組である。トゥルーマンの住む世界は全てセットの中であり、天候すら自由に操作することができる閉鎖された巨大な世界である。
もちろんトゥルーマン自身はそのような真実を知らずに生きていたが、ある出来事を境に彼が真実を知ってしまうという物語。

 この作品が非常に面白かった理由の一つに、実は単なるヒューマンドラマではなく、神話に通ずる物語の黄金比が秘められていることにある。

 トゥルーマンは作中で「自分の住む島という閉鎖された空間から脱出すること」という目的を達成しようとするのだが、過去に植え付けられた水恐怖症、生来よりの偽りの友人、あらゆる箇所にある監視の目などの試練の乗り越えていく。
 その過程で中盤から超重要人物、トゥルーマンショーを作ったプロデューサーというハゲのオッサンが出てくる。彼もトゥルーマンの脱出に対して試練を与えてくるのだが、その構図が「神との対決」という神話的構図になっているのである。

 映画を見ている我々にも、物語の中でドキュメンタリーを見ている観客たちにとっても「プロデューサーはハゲのオッサンの人間である」ことを当然のことながら認知している。しかしそれを認知できない人物が世界に一人だけいる。そう、トゥルーマンだ。

 トゥルーマン自身はプロデューサーの存在を知らない。天候や世界すら操る全能の存在であるプロデューサーはトゥルーマンにからしてみれば神のような超常の存在である。それは現実で考えればバカバカしいことだが、トゥルーマンにとっては避けられない試練である。

 そしてトゥルーマンはどうしたのか? 神に立ち向かったのである。

 それは間違いなく英雄的な行動であり、遥か数千年前から受け継がれてきた英雄譚における主人公に相応しい魅力的な行動なのだ。
「プロデューサー=神」という歪な等号が「観客であり視聴者」である我々にだけ認識できる。 つまりトゥルーマンショーは「青年が神から与えられた試練を乗り越えて英雄になる」という、ギリシャ神話でいうヘラクレスなどの超古典的かつ普遍的な物語なのである。 なんてステキなことだろうか。人類史から続く魅力的な物語の黄金比というものを、この映画は見事にやり遂げてしまったのだ。
 そこにテレビショーやセットなどテクスチャを貼り付けることで現代的な物語に見せるように演出している。 極めて現代的でありながら、その本質は普遍的な神話伝説の物語である。そのような矛盾しつつも成立する面白さが秘められていた。
 そしてこの映画はラスト1秒まで一切気を抜かず落ちを作り出してくれた。だがここから先については別の機会に語るとしよう。

 過去に書いた文章を転用しながら書いた分であるのでイマイチ内容がとっ散らかってる気がするがそのままにしておこう。
 とりあえずだ。ここまで読んでくれた人にはとっくにネタバレフルオープンになってしまってるけども、見てほしいぞ名作『トゥルーマン・ショー』。

 読んでくださった人に感謝を。

私は金の力で動く。