古着屋には人生がある

日記を書きます。
ここ最近の日記にあまりにも動きがなかった。
原因は簡単で一切外に出ずに何もしていなかったから。
適当にYouTubeをみてだらだら過ごしていた。
ずいぶん幸せな生活だが、日記を書く上では不幸だ。
YouTubeで見た内容なんてほとんど覚えていないし何か大きな感想が湧くわけでもないので書くことがなくなってしまう。
一日の怠惰が必ず最後に僕を責めるシステムが完成されてしまった。

なので今日は一日中散歩をしていました。

昼から夜まで歩いたのでこの結果だ。
正直びっくりしている。
32㎞か……
東京から横浜まで行くことが出来るような距離。
それを歩いたのだから大したものだ。
ペースはゆっくりだったのでそこまでの疲労はなかった。
それでも企画として成り立つような距離なことは変わらないが。

ここまで歩くと健康なのか不健康なのかわからなくなる。
散歩なので負荷は大きくはないが累計8時間近く歩いていた。
休み休みとはいえ8時間運動することは良いことなのか?
学生時代の部活ではアップなどを除いて2時間以上は確実なオーバーワークと教わった。
8時間は明らかなオーバーワークではある。
でも今日は体からのサインは一切なかった。
これはセンサーが可笑しくなったからなのか?
まあ、健康を目的とした散歩ではないのでどうでもいいのだけれども。

ずっと散歩をしていたわけではなく寄り道はたくさんしていた。
古着屋や本屋、夕ご飯を食べたり。
かなり充実した散歩だ。
普段古着屋さんに入らないので少し緊張した。
なんとなくおしゃれな人御用達のイメージがある。
でも実際はそんなことなかった。
意外と年齢層の広いお客さん。
きっと子どもの服を選んでいるであろうお母さんや何かの夢を追っかけていて金欠の人、ただ単純に古着が好きそうな人。
いろんな人が古着を見ていて、みんなゆったりした空気感が漂っている気がした。
ブランドを扱うようなお店ではなかったのでかなり安い。
税込み550円のトレーナーがずらっと並んでいたり、1500円のコートもいくつかあった。
今まで見たことのないような服の値段で面白い。
今日は散歩の荷物になってしまうので買わなかったが今度は何かを買いたいな。

古着には確かに誰かが使った形跡がある。
それが面白かった。
前の持ち主が袖をまくってきていたこと、腕を組むことが癖だったであろうこと、肩が左に傾いていたこと。
いろいろなことが分かった。
そのことが僕以外の人間にもそれぞれの人生があるように思えて神秘的だった。
古着屋にはいくつもの人生が詰め込まれていた。
そう思うと僕の服も古着として売ってほしい。
僕のセンスと誰かのセンスが合致してまた服の形が変わっていくと思うと何とも言えない満足感が得られる気がする。

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