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正しくなさを体験したいわたし#その2「何様」/読書感想(再読)

私は滅多に再読をしない。
しかし、先日に本書の内容を少しばかり話し合うタイミングがあったので、再読してみようと思った次第だ。

再読した短編は「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」。
一度読んだ物語をまた読むのもいいね。


私の正しさの納得感を得たい

衝動のままにしてしまった正しくないことの上に立ったときにだけ見える景色を、見てみたかったはずだ。
そんな場所にだけ眠っている何かがあるならば、掘り出して、きれいに洗って、つぶさに観察して、そのうえでそうかこんなものなのかと投げ捨ててやりたかったはずだ。

何様/むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった。

1度目に読んでから5ヶ月ほどが経ったが、まだ私は正しくなさは体験できていないみたいだ。
体験したさが心にあるままだ。もはや”憧れ”に近いのかもしれない。
その体験に自分自身の不釣り合いを感じてもかまわない。
一方を選ぶ時にもう一方を知らないまま選んでいるような状態に感じる。
納得感を得たいのだろう。どちらかが良いと決めた時に納得感の高さを得るためには両方知っているべきだ。

じゃあ、具体的にどんな体験をしたいんですか?ここには述べませーん。
仕事関係で有りますね。恋愛関係でも有りますね。

私は何を正しいと思うのだろう?という疑問に始まり、
→あるものを正しいと思う。
→その正しさを選ぶ理由の納得感を増やすためにはどうしたら良いか?
→逆に位置する正しくなさも経験すべきだ。
こういう流れだ。


自分のブレーキを緩める

仕事、恋愛、学生時代の悪さ、それに対して何かとブレーキの強い自分
若さに任せて街でナンパすることができないし、酔って暴れることもできない地味な自分。
学生時代、悪さをしていた不良が大人になって急にボランティアに前のめりになったりするパターンをよく見かけるが、行いの善し悪しからすると矛盾した印象を受けるかもしれない。
でも、あの人たちは元々アクセルの踏み込みが深くて、ブレーキが緩い人なのだ。
だから一旦アクセルを踏み込めば、物凄いスピードで突っ走っていく。
そういった人は、人生で経験したことの幅が広く言葉に説得力がある、ような気がする。

何様/解説(若林正恭)

若様LOVE!
きっと私はブレーキが強いのだ。理性的なのだ。
私にとってそれが強いことは臆病であるということだ。
少し少し、それを緩める方法を見つけてきた。
そして、良い方向に進んでいると感じているのだ。

きっと考え過ぎなのも、一つのとても大きなブレーキだ。
こんなに文章を書くせいだ。
私のブレーキはもっと緩めていい。
なぜなら、正しくないことを体験したいのだから。





正しくない=悪い??

正しいの対義語は悪い。
正しいの否定表現は正しくない。
ゆえに、悪い=正しくない。
・・・上記の等式は私の感覚的に成り立たない。
悪いことを体験したい訳ではないのだ。
正しくなさを体験したいのだ。
微妙に違うと私は思っている。
今はまだうまく説明ができない。

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