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アメリカン・フットボールとの出会い

私とアメリカン・フットボールの正式な(?)出会いについて、紹介してみたいと思う。

入学手続きの日

 それはもう今から30年以上前のこと、3月の後半だったはずだ。
 合格した大阪の大学の入学手続きに、母と二人で出向いた日のこと。
 とある校舎で合格した学部の所定の手続きを終え、出口に向かったとき、ふいに、妙に明るい複数の声に囲まれた。運動系の部活の勧誘だ。
 その中で、最初に声をかけてきた人の「高校時代何かスポーツしてた?(大阪なので、関西弁だったかもしれないが、その細部までは残念ながら覚えていない)」という問いに、高校時代サッカー部だった私は戸惑いながらも、「サッカーを・・・」と声を絞り出した。

 その瞬間だった、(おそらくサッカー部だった)その最初の声掛けをした人の満面の笑顔の横からスッとのびた手が私の腕をつかみ、出口横の即席ブースへ、母とともに誘導していった。

 そののびてきた手の持ち主は、見た瞬間それとわかる、アメリカン・フットボールのスタイルをしていた。
 私はといえば、大学でアメリカン・フットボールをやってみたい、という漠然とした思いを持っていた。持ってはいたが、おそらくその勧誘がなければ、自分から入部のドアを叩いたかどうかは今では定かではない。
 もしかしたらそのドアを叩く前に別の勧誘になびいた可能性もある。
 また、時はバブル前、「POPEYE」や「Hotdog Press」といったファッション系男性向け雑誌が、青春を謳歌する花の大学生、という雰囲気を作り出していた時代である。その辺のゆるいサークルに入って、まさに大学生活を謳歌する方向へ傾いていた可能性は捨てきれない。

 とにもかくにも、その時その校舎出口で行われた勧誘が、私とアメリカン・フットボールの正式な出会いであった。

入学式の日

 そして入学式。
 ちなみに、手続きの日に結局名前や(おそらく)実家の電話番号などを書き残してはいたが、今と違い、携帯電話もなく、私が入居した寮には部屋に電話さえない、という環境だ。こちらからアクションを起こさなければ、アメリカン・フットボール部が私に連絡をとることはほぼ不可能であった(と思っていた)。
 入学式が終わり、しばらくはふらふらと、大学生活を楽しむためのサークルとかを物色して回れるかな、なんて思いながら、式典の体育館を出たときだった。

 あの、入学手続きの日に伸びてきた手がまたもや私の腕をつかんだのだ。

 同じ人だったのかどうかはわからない。が、少なくとも、その人(当時3年生、その後長きにわたりお世話になる人・・・10年前くらいに一度飲んだが、その後お会いできていないな・・・)は私の顔を覚えていたのだ。
 そのまま、グラウンドに連れていかれた私は、同じような境遇の他数人のメンバーと一緒に、疑似アメリカン・フットボールのようなゲーム(たぶん、今でいうフラッグフットボールのようなものだったと思う)に参加、その後、キャンパス近くの喫茶店で昼飯をおごってもらった。

 正式入部契約だ。

 結局、大学生活を謳歌するためのチャラいサークルなどは探す暇もなく、であった。「体育会だけど正式な部ではない、同好会扱い。月・木・日の週3休みだからバイトとかもできるよ」という言葉が、かろうじて大学生活を謳歌するための通路に聞こえ、結局それが殺し文句だったことも覚えている。

アメリカン・フットボール人生を決定づけた日

 入学式の翌日だったか何日後だったかは覚えていないが、練習参加初日(初日かどうかも定かではないが)。グラウンドで練習後、既存部員の前で、新入部員としての自己紹介に加え、希望ポジションを言う、という場があった。

 そこで私が言った希望ポジションは“クウォーターバック”、これが、その後、私の人生の大半を形作る、おおげさにいえば私という人間を形成する基礎となる事だったと言っても過言ではない。

 なぜクウォーターバックと言ったのか、今ではそのときの心理状態をまったく覚えていない。他にも目立つポジション(ランニングバックやワイドレシーバー)も思い浮かべてはいたはずなのだが、なぜか、クウォーターバックという言葉が口をついた。

 以上が、私が大学でアメリカン・フットボール部に入り、運命的なクウォーターバックというポジションにおさまるまでの経緯である。なにはともあれ、その後何十年もつきあうことになるアメリカン・フットボール人生はこうして始まった。

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