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中学受験について思うこと

中学受験は歪んだ教育システムの代表格として槍玉に挙げられがちだ。しかしそれでも私は子供に中学受験をさせたいと思っている。

中学受験を通じて高校・大学入試まで通用する勉強の手法が身に着く、というのが一つ目の理由だ。私自身は地方公立高校出身であり、中学受験とは無縁であった。しかし、小学生のころは時間を持て余していたため、麻布や開成、灘あたりの有名私立中学の入試問題をよく解いていた。その過程で、難しい問題に対する立ち向かい方が身に着いたと思う。また、脳の回路がねじ切れるくらいまで物事を考える経験をしたことで、問題を解く作業に抵抗を覚えなくなった。この経験があったからこそ、県内では一番と言われる高校に入学するのに苦労はしなかったし、東大対策も苦痛ではなかった。

もう一つ、大きな理由がある。それは、芽生えた危機感が途切れないことである。小学校高学年のとき、はじめて親のパソコンを借りて麻布の問題を印刷して解いたときの衝撃は忘れられない。同学年の秀才たちは、我々が下校中に道端で雑草を食べている間に、こういう問題と格闘しているのかと驚愕した。それと同時に、ここで生まれた差は容易には埋まらないし、このまま地元でダラダラ過ごしていたら本当にこのまま地元で終わるんだという危機感が芽生えた。この危機感が上京するまで途切れなかったことは、大学受験の成功に大きく寄与したと思う。

私は趣味で問題を解いていただけだが、それでも衝撃は大きかった。もし塾の模試や本番の試験を受けていれば、内心に及ぶ影響は段違いだっただろう。否応なく同世代の優秀層のレベル感を把握できるし、自分が今どの位置にいるのかを具体的に突き付けられる。そして受験に成功して名門中学に入学できたならば優秀な同期に囲まれることによって、希望の学校に入れなかったのであればその悔しさによって、中学受験を経て形成された危機感は容易に維持されるだろう。

今振り返れば、危機感を持つのが遅かったら/途切れてしまっていたら、大学入試や高校入試に失敗していたかもしれないし、そもそもそのスイッチが入らなければ高卒だったかもしれない。結果として私は最後までスイッチをオンにしたまま大学受験を終えることができたが、途中でオフになったかもしれない/最初からオンにならなかったかもしれない分岐はいくらでもあり、実際私の周りにもポテンシャルに関わらず早々とオフモードになった者は何人もいた。中学受験はこうした「分岐」を圧倒的に減らしてくれると思う。

中学受験を批判する文脈では、競争やプレッシャーそのものを悪とするような論調が見られる。しかし受験は中高大問わず本来的にレースであり、競争やプレッシャーとは無縁ではいられない。中学受験が病的といわれるのは、子供に課す競争があまりにも過酷であるからで、競争自体を回避するのは何の解決にもならない。おそらく一番大事なのは、とりあえずチャレンジしてみるけどダメだったらダメだったで良い、と思わせてあげることなのだろう。もし子供を持つようなことがあれば、どんな結果でも受け入れる雰囲気を作ったうえで、思う存分チャレンジさせてあげたい。

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