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「人種を考慮せよ」という人の偏見

2023年6月29日、アメリカ最高裁が違憲と判断したのは、大学の入試専攻における人種考慮である。人種考慮とはこの場合、黒人やヒスパニック系の受験者に、人種を理由に加点する制度である。

人種を考慮する理由は多様性を求めるため、とされている。

しかしここには人種に対する偏見がある。
例えば両親の経済環境も同程度、住む場所も宗教も風習も学歴も成績も大体似たような黒人と白人がいたとする。
この場合、黒人を入学させた方が多様性は上がるだろうか? 確かに学生の見た目という点では多様性が増すだろう。しかし大学が求める多様性とは見た目の話ではなく、考え方の多様性であろう。同じような生活・文化で育ったふたりであれば、その点で多様性は増さない。

多様性を求めるため人種によって加点する、というのはその考え方の背後に、黒人は経済的に貧困で、白人よりも劣った教育しか受けていない、黒人なので黒人らしく考えるだろうといった偏見があるからである。
黒人にも富裕層がいれば貧困層もいるし、十分な教育を受けた人もそうでない人もいる。確かに白人との割合は異なるかもしれないが、黒人だからといって必ずしも貧困なわけではないし、黒人にも様々な考え方をする人がいる。

貧困で十分な教育を受けられなかった人への救済は必要である。
しかし、それは白人に対しても同様である。貧困層の白人を救わない理由はない。
もし、家庭の経済的な理由によって十分な教育を受けられなかった人を救おうと思うなら、人種ではなく、経済環境によって加点したり、枠を設けたりすればいい。

  1. 十分な教育を受けられなかった貧困層の学生を救済する必要がある

  2. 黒人やヒスパニック系だから貧困である

  3. 故に人種による加点を行う

これは偏見に基づく措置である。そうではなくて、

  1. 十分な教育を受けられなかった貧困層の学生を救済する必要がある

  2. 経済状況による加点を行う

こちらである。
(そもそも入試段階での救済ではなく、子供のころから十分な教育が受けられる政策を行う方が良いが)

同様に、考え方の多様性確保のためには、それぞれの学生の、考え方をそのものを問うべきである。
黒人は黒人らしく考えるだろうから、黒人を入学させれば多様性は増すはず、というのは全くの偏見である。人種を問わず、考え方は人それぞれなのだから。

経済状況にせよ教育状況にせよ、確かに傾向としては強いものがあるのだろう。また、その解消には多くの費用と時間がかかるのだろう。
だからといってこのまま一括りで考えていては偏見は無くならない。
学生個人の考え方、経済や教育状況を見て考えるべきである。

名角こま

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