さーくる森人類

第1回「ジャパンSDGsアワード」の最高位を受賞した北海道下川町で20年前は「環境」という言葉がタブーだった件

なんだか思っていた以上に日本でSDGsへの関心が高まっているようで、我が町にも熱い視線を感じます。

まるでレーザービーム。いや、もう少しゆるいかな。

というわけで今回は、そんな熱視線が注がれる

第1回「ジャパンSDGsアワード」の最高位を受賞した北海道下川町で

20年前は「環境」という言葉がタブーだった件

そんな状況をどう打開していったか、について書いてみます。

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「環境」=「ダム反対派」

私が下川町に移住した1999年頃には既に、環境問題を何とかしたいという先輩移住者が何人もいました。

その中の一人から当時こんなエピソードを聞きました。

役場職員と話していた時に「環境」という言葉を出したら「ダム反対派ですか?」と聞かれたことがある

当時サンルダムはまだ計画段階でいわゆる環境保護派の反対運動が起きていました。

なので環境意識が高い=ダム反対という図式ができあがっていました。

サンルダムに対して表向きは全町を挙げて推進、反対しているのは町外者、町民はいてもごく一部の例外、ということになっていたので

環境意識の高い移住者に内側からダム反対運動を助長されては困るということでしょう。

というわけで「環境」という看板を掲げて活動すれば即「ダム反対派」と認識され、支援や協力はおろか、疎外されかねない状況でした。

一方で、伐っては植える循環型の林業とその森から生まれる木質資源を余す事なく活用する林産業が注目されるようになり

保母武彦著『内発的発展と日本の農山村』(1996年、岩波書店)で内発的発展の事例地として紹介されたり

北海道電力会長や北海道経済連合会会長を務めた戸田一夫氏により北海道における産業クラスターのモデルとして見出されたり

評価はうなぎ登りでした。

こうした評価の基盤になっていたのは「持続可能性」でした。

国際的な文脈では気候変動などへの危機意識の高まりから「環境」面での持続可能性が

国内的な文脈ではバブル崩壊後の「経済」面での持続可能性が

地域的な文脈では大都市一極集中と地方の過疎化という「社会」面での持続可能性が

問われていました。

特に「環境」か「経済」かの二択ではなく、「環境」と「経済」の両立が求められ、「環境」あるいは「エコ」が時代のキーワードとなっていく流れの中で

下川町の事例がはまったと。

それに伴い移住者も増えていました。彼らの多くは「環境」に対する意識が高い。

ところがダム建設で「環境」という言葉はタブー…なんというアイロニー。

「環境」という言葉を「森」に置き換え

そんな状況下でしたが、先輩移住者の方々は「環境」という言葉を「森」と置き換え、あくまでも下川町の歴史的な文脈に寄り添って、

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