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宝猫の虎君と一緒の12月

12月には、クリスマスや新しい年を迎える準備など、1年の最後の月となりますが、私の誕生日がある月でもあり、宝猫の虎君の命日もあります。

もう今から十数年も前になります。

何年経っても思い出され、涙を流しながら記事を書いていますが、まだ6歳半の若さで天国にいってしまいました。

私の大きな罪であり、過ちであり、後悔です。

病気に気づいてあげられなかった。

年1回の注射はしていましたが、「まだ若いから来年で良いよね」とレントゲンを含めた健康診断をしていませんでした。

固形フードを食べると、時折もどすこともあったのも、「食べ過ぎたのかな?毛玉かな?」で済ませていました。

虎君は学生の頃保護した、兄弟猫達の1にゃん。鍵しっぽの男の子で、同じく手元に残ったみけと名付けた姉ニャンコにいつもいじめられて、ニャーニャー鳴いてるニャンコでした。

遊ぼう遊ぼう!とワンコのようにボールなどを持ってきたり、ねずみのオモチャでよく遊ぶ活発な子だったのに⋯

肺炎にかかっていました。病院に行ったときは肺が真っ白になっていました。

朝、姉のみけがニャーニャー鳴くので部屋に戻ると、赤い泡を吹いて倒れていました。

すぐさま病院を探して診てもらい、大きな病院で入院となりました。

初めて1匹で離れて過ごす虎は、悲しそうに心細そうにニャーニャー鳴いていたのを、今でも思い出します。

それが最後でした。


虎が倒れた日は、私の誕生日の前の日で、

誕生日は病院で頑張ってくれて、翌日息を引き取りました。

虎はいつも私の後をついて回るニャンコで、寝るときも顔の側にべったりなニャンコでしたが、亡くなるときまで側から離れませんでした。

完治すると思っていたので、呆然としました。まだ若いから大丈夫だと思っていました。

猫はほかに2匹いたので、残った猫のためにも頑張らないと気を張っていましたが、当時ギャグマンガとウチのニャンコ達を扱った連載猫マンガを描きながら、「もう虎はいないんだ」と悲しみが溢れ、涙をボタボタこぼしながら描いていました。


しばらく猫マンガやギャグマンガは描けなくなりましたが、残った姉のみけと、先住猫がなんとか支えてくれて、マンガ関係の仕事を続けてきました。

初めて失った宝猫の虎君。12月の誕生日になると、側にいる虎を思い出します。

私が生まれた日に寄り添って後をついて回って、これからは、ずっとずっと側にいてくれます。